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金子みすゞの自由な鑑賞・研究を  矢崎節夫氏の定説に気兼ねせず

 山口県が生んだすぐれた詩人・金子みすゞの詩への感動が広がっている。みすゞの詩集が100万部をこえて普及され、多くの人人が深い共感を示しており、多くの子どもたちが心を動かし愛唱している。商業主義マスコミによる毒花が狂い咲きしたような文化の腐敗状況のなかで、金子みすゞの詩が70年の時をこえて新鮮な響きをもって受けとめられているのである。

 みすゞの詩に感動 講演内容は不評
 このようなみすゞの詩と人生について、埋もれていた資料を収集し、広く普及した矢崎節夫氏のはたした功績を否定するものはいない。同時にそれは矢崎氏1人の努力ではないし、山口県を中心とする多くの人人の努力のうえで実現したことも否定することはできない。ここで、矢崎氏がみすゞの詩を広く普及したことで功績があることと、同氏のみすゞの詩の評価について正しいかどうかは別の問題である。


 下関市立美術館で開催中の「金子みすゞの世界展」で、市内の子ども文庫関係の母親たちがおこなったみすゞの詩の朗読、下関少年少女合唱隊の歌声などは、参加者の心をうつものであった。だが25日におこなわれた矢崎節夫氏のみすゞを評価する内容の講演は好評とはいえなかった。100人ほどしか参加者がなく、かなりのものが寝ていたし、みすゞの詩から受ける印象とは異質なものを感じていた。なかには「新興宗教のようだ」という人もいた。このことが示すことは、みすゞの詩そのものには多くのものが感動しているが、矢崎氏のみすゞ評価には感動していない、それが大衆の評価、現実の効果であるということである。


 矢崎氏の講演は「21世紀へのまなざし~みんな違ってみんないい」と題するものであった。


 その論点は第一に、「大漁」「お魚」の詩をあげて、「そこには“いのち年”がある。わたしはいま、53歳だが、地球に命が生まれたのは40億年まえなので、わたしは40億53歳ということになる。40億年のあいだには、わたしは木だったことも鳥だったこともある(輪廻転生)。すべての命は絶対的平等、人間クンの命もいわしクンの命も同じだ」というものである。

 

 これはいまマスコミでさかんに宣伝されている「人間中心ではいけない」「地球環境を守れ」「共生」という考え方である。上関では「スナメリを守れ」となり、有明海では「ムツゴロウを守れ」となったりしている。

 

 もう一つは「わたしと小鳥とすずと」などをあげて「あなたはあなたでいい。努力しなくても、努力してできなくても、あなたはあなたでいい。いるだけで100点満点。両親や先生は1人1人の子どもの違いを認め、まるごと愛すべきで、登校するのがつらそうなときには“休んでいいよ”とやさしくいってあげるべき」というものである。


 これも、アメリカがいう「自由、民主、人権」の主張であり、10年まえに文部省がうち出した「個性重視」「興味・関心第一」の考え方であり、その結果子どもの荒廃が深化したと教師や親が心を痛めているのである。
 いずれにしても現在の商業マスコミにおもねり、いまの時流にのった評価にみすゞをとじこめるものであることは疑いない。

  売名や金儲けと無縁な詩精神


 金子みすゞの詩のなにが人人の心を打つのか。ふだん目を奪われがちな、強いもの、きらびやかなもの、表面的なものとの対比で、弱いもの、貧しいもの、表面にはあらわれない本質的なものに、あたたかい光をあてていることである。

 またなんの代償も求めず、ただ人のために自分の仕事をコツコツとはたす、名もない存在の発展性や力強さを、身近な土や太陽などにこと寄せて激励していることである。


 それをわかりやすい、音読にたえるリズムを持つ、しかも凝縮され選びぬかれた言葉で定着させていることである。
 そして詩の感動というとき、それは詩人そのものの、その時代を生きた態度そのものが根底にあり、だからみすゞの詩の評価は、彼女の全人生と切り離すことができない。


 みすゞが生まれ育っていく時期の彼女が影響を受けた詩人は、「子ども、婦人、働くものが人間として登場した」大正デモクラシーのもとで、「民衆のための芸術という考え方が勃興した」時代の、「自己の青春を文学の主題として選びとった」詩人たちであった。


 みすゞの人生は薄幸であったが、それに負けて日陰にうずくまるのではなく、そこから飛躍して、世の中の弱いもの、貧しいもの、虐げられたものをたたえる詩を勇気を持ってうたった。それは時流におもねらず、当時の広範な虐げられた人人の奥底に流れる心情を代表するものであった。


 それはおよそ、売名とか金もうけとか、そうした薄汚れたものとは無縁の生き方であり、この彼女の人生をくぐった詩が、70年の時をこえて、商業マスコミの腐敗した売れんかなの文化のはん乱のなかにいるわたしたちの心に新鮮に響くのである。


 また矢崎氏の講演に、下関のほとんどの文化関係者、とくにみすゞの詩の発掘に協力した人人が参加していないことも特徴であった。それは、みすゞの詩を展示したり、朗読したり、曲にしたりすることが、そのたびに矢崎氏の許可を得るように要求され、自由な鑑賞や研究の障害になっているという経験をしているからである。それはみすゞの詩を独占しようとすることへの強い批判である。

 思想の自由保ち商業主義を批判
 みすゞの詩の発掘のためにかかわった人人のなかで、矢崎氏ははじめは純粋であったといわれるが、全集を発行したころ、さらにみすゞの兄弟である上山正輔氏、金子堅助氏、いとこである花井正氏らが亡くなったころから、とくに人間が変わったという評価がある。


 みすゞの詩集は160万部が売れ、全国からの講演依頼は年間100回にもおよぶという。講演料もあがって1回50万円にもなるという。「大漁」はみすゞの代表的な詩であるが、「大羽鰯(いわし)の大漁」で浜で「祭りのように」なっている側の現在の矢崎氏がいるのではなかろうか。しかしみすゞは「大漁祭り」の陰で、海のなかでおとむらいをしている鰯たちの側にいるのである。


 仙崎や下関の名もないみすゞの愛好者たちは、みすゞを後世に残そうと、埋もれていたみすゞの発掘に努力していた矢崎氏にたいして、「何千万の草の子を育てる土」のように無償の援助をして惜しまなかった。金子みすゞが激励してやまなかったのはこうした「土たち」であった。矢崎氏は土の側、つまりみすゞの側であろうか。


 みすゞが夫あての遺書でしたためた、「あなたが与えられるのは金だけであり、心の糧を与えることはできません」といった、そのような精神の側であろうか。


 名を売り利を求めようという姿勢が、つまり矢崎氏本人の利益になることが真理だというような商業主義にどっぷりつかった精神で、みすゞの詩と人生を評価することはできないであろう。
 すぐれた詩人である金子みすゞの詩について、自由に鑑賞し研究することを遠慮する必要はない。ことは芸術の問題であり、その生命は思想の自由である。とくにみすゞが生まれ、詩作に励んだ下関と山口県において、その責任は大きいといえる。

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