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農民が参加した維新の誇り  『動けば雷電の如く』 山口市小郡で380人が観劇

劇団はぐるま座は18日、山口市小郡ふれあいセンターで『動けば雷電の如く』公演(主催/小郡公演実行委員会)をおこない、寒風吹きすさぶ冷雨のなか、小学生から90代の年配者まで380人が結集した。小郡は明治維新とのゆかりが深く、今も息づいている地域であるが、山口市と合併してから町の疲弊が顕著になるなかで、「町の活性化にむけて町民同士が団結していく出発点としていこう」と今回の公演がとりくまれ、熱い公演となった。また会場ロビーでは、地元出身の奇兵隊士の遺品や、実行委員によって描かれた高杉晋作の生涯を綴った絵巻物などが展示され、大きな関心を集めた。
 初めに実行委員長の小田穣亮氏が挨拶。小田氏は明治維新において決定的役割を果たした大田絵堂の戦いの勝因が、小郡宰判の支援なくしてはなし得なかったことについて触れ、小郡の住民やその指導的立場にあった林勇蔵の気概が、「“義(正義、正しいこと)は、勇(実行力)によって行われ、勇は義によって生ず”の典型であった」こと、これと「高杉晋作の天才的ともいえる戦機の把み方」とが合わさり勝利につながったとのべた。
 また、「俗論党の藩政府から、正義派諸隊を援助したものは厳罰に処す、という厳しい沙汰書が出されている状況の中」で、軍資金をはじめ1500人もの若者、軍夫が戦いに参加し、「本当に勇気のある行動であったと思う」と話した。氏は続けて、140余年の月日を経て、当時と時代状況が重なってくるなか、近代への大転換の原動力であった当地での公演は誠に意義深く、誇りある歴史を受け継いで「この閉塞した時代を打開していく一助となれば」と語った。
 期待が高まるなかいよいよ幕が開けると同時に客席からは拍手が起こり、高杉が萩を脱出して決起を決意し詩吟を吟ずる場面や、功山寺決起の合吟の場面でも大きな拍手が沸き起こった。さらに、小郡の林勇蔵ら庄屋同盟の呼びかけで近郷の農民たちが米俵を運び支援に駆けつける場面ではあちこちですすり泣きが漏れ、万感の拍手となって舞台と客席が一体となり最高潮となった。
 今回の小郡公演は、昨年の山口市や防府市での公演を観劇した人人を中心に、高校生、大学生、教育関係者、会社員、農業者、商業者、医療関係者、老人クラブ、文化協会など多彩な層の21人が実行委員会に集った。
 旧小郡町は四年前の平成の大合併で山口市と合併してから予算も削減され、町営施設は民営化が進むなど疲弊に拍車がかかり、住民が楽しみにしていた七夕祭りもなくなった。今後の駅前開発では180億円もの資金が動くとされるが、「そのほとんどはJRに入って町は疲弊するばかり。このままではいけない」と、住民同士の団結の出発点として精力的にとりくまれていった。
 沖縄戦で父を亡くし遺児として苦労してきたある商店主は、「現在にあっても国はなにもしてくれない。今、新しい方向に向けてみんな模索しているが、閉塞した時代状況のなかで、力を合わせて自分たち自身が切り開いていくしかない。商売のことでも岩国のことでも同じだが、結局アメリカに吸いとられるようになっている。高杉晋作のように人の顔色を見ず捨て身の情熱で前に進む強さがいる。山口県は素晴らしい人材がおり、勉強して力をつけていきたい」と話した。

 町民同士の交流広がる 取組みの過程で 
 とりくみの過程では、「先祖が米を持って海善寺に行き、そこで握り飯を握って大田絵堂の戦いに駆けつけ、その後勇蔵から中村という苗字をもらった」「馬を連れて椹野川に援軍に駆けつけた」とその活躍を誇りにしている人人との出会いをはじめ、地域に脈脈と受け継がれてきた維新の誇りや伝統がいきいきと語られた。
 また、農業者の反応も特徴的であった。小郡は、戦後県内で初めて農業組合がつくられたところであり、南部地域は山口市を支える有数の農業地帯として知られる。しかし、小泉政府以来の農業政策により現実に合わない農業の法人化が持ち込まれたことで、ますます厳しい状況となるなか、国策に対する激しい怒りが語られた。ある酪農業の男性は、「10年前には130円/㌔㍑だった乳価は85円になり、8000万円投資しても赤字で、やればやるほど赤字。酪農家は激減している」と実情を語り、「働く者がバカにされ報われない世の中ではだめだ」と実行委員に加わった。
 また、ここ数年でマンションとホテルが乱立し始めた新山口駅周辺では、「農業委員の仕事は農地の宅地転用の判を押すことばかり」だが、「国策を動かさなければ農業は潰れる」と激しい思いが語られた。
 また、舞台の内容を紹介した紙芝居が、老人会、婦人会、よさこいチーム、デイサービス、3カ所の朝市、企業、少林寺、少年剣道クラブ、鴻城高校、小郡中学校剣道部、柔道クラブ、ユーモアクラブなど地域の人人の手で精力的に持ち込まれた。
 実行委員の80代の女性は、「今の若者は団結してなにかをやり遂げるという経験に乏しく、なにに対しても冷めた装いをするが、仲間のありがたさや胸の熱くなるような感動を味わわせてあげたい」と語った。
 紙芝居を見た小学生は、「少人数でも力を合わせれば勝てると思った」と語り、中高校生は、「彦島割譲は初めて知った」「団結がすごいと思った」と話し、青少年の反応もとりくみの力になっていった。
 こうして迎えた当日。終演後の俳優を囲んでの座談会は、感動冷めやらぬ人人の熱気で溢れた。80代の男性は、「団結の力がすごいと思う。農民が米俵を持って来るところは涙が出た」と語り、男子高校生は、「3回観たがなぜ心に残るのかなぁと思う。何回観ても感動する」と口口に語った。
 実行委員の70代の男性は、「たくさんの人に観てもらった。短期間の間に実行委員が日夜歩かれ、一丸となって情熱を持ったことで叶わないことが叶っていった。力を集めてすばらしい小郡にしていきたい。これからの活力にしていきたい」と紅潮して話した。
 また公演後、「今後も継続したつながりを持っていきたい」「ぜひ地元の高校で学校公演をしてほしい」などの声も寄せられ、3月下旬に町おこし団体が主催する祭りには林勇蔵の功績の寸劇を持って参加することが決まっている。
 なお小郡公演は劇団はぐるま座にとって今年最初の上演であったと同時に、小郡公演史上最大の観客数となった。劇団は昨年から実践してきた公演活動の転換と小郡公演の確信を持って、ますますその地の人人と深く結びつき、現代の変革要求に応える公演活動をしていく決意を固めている。

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