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米国の核基地・グアムで高まる脱植民地化の世論

「平和と正義を」のスローガンを掲げてデモ行進するグアム住民

 北朝鮮のミサイルの標的に名差しされたグアムの先住民(チャモロ人)を中心に、「戦争ではなく平和を」を掲げた集会とデモが7月14日、グアムで開催された。グアムではこの日を、第2次世界大戦中の1944年に「日本の占領から米軍が解放した記念日」として祝うことになっている。こうしたなかで、北朝鮮との武力対決を煽るトランプ大統領に抗議し、対話による平和的解決を求める行動が発展していることが、内外の注目を集めている。

 

 この集会を取材したAP通信は、「彼ら(グアムの先住民)は数世紀にわたり戦争行為に耐え続けたにもかかわらず、またも新たな対立に巻き込まれ辟易している」と、次のように伝えている。

 

 「チャモロ人はスペイン人開拓者による植民地化、第2次世界大戦中の激しい交戦、そして島で着々と拡大するアメリカ軍の駐留といった苦難に耐えてきた。グアムに詳しいある専門家によると、アメリカ対北朝鮮の戦争が勃発し、グアムが標的となれば、グアムの土着文化にとっては“破滅的な被害をもたらす、言葉にならないほど悲惨な”事態になる」 「第2次世界大戦中、アメリカと日本によるグアムを巡る争いが勃発し、グアムの首都ハガニアがほぼ壊滅した。戦後の時代においてもグアムの復興に向けた取り組みはほとんど実施されないままだ」

 

 長島怜央・法政大学特任研究員(非常勤講師)は、著書『アメリカとグアム-植民地主義、レイシズム、先住民』(有信堂)で、アメリカはグアムを州ではなく「非編入領土」と位置付けており、グアムが「実質的にアメリカの植民地である」ことを明確にしている。グアム住民はアメリカの市民と見なされるが、国政への参加は制限されている。住民は大統領選挙での選挙権を持たず、連邦議会の完全な議員を選出できない。つまり上院には代表を出すことはできず、下院代表も決議権などに制約がある。

 

 グアムで1980年代半ばから活動する「先住民の権利のための人民機構(OPI-R)」は、連邦政府がグアムを核弾頭(現在は約370発)の保管場所、原子力艦や原子力潜水艦の寄港地、核搭載機の集結地として使用される島という、核戦争を想定した軍事的な戦略拠点としてしか位置付けていないことを批判してきた。

 

 現在、アンダーセン空軍基地はアメリカ海軍のヘリコプター飛行隊の拠点となっている。さらに空軍のB2ステルス爆撃機やB1、B52爆撃機など、アメリカ本土とグアムを行き来する空軍の爆撃機を配備している。アプラ港は原子力潜水艦の基地として知られる。さらに、グアムは戦闘継続に不可欠な弾薬の供給拠点でもあり、「世界最大の弾薬庫」ともなっている。

 

日本軍にかわり米軍が占領 

 

 チャモロ人の脱植民地化への志向は、1990年代にかけて発生した観光・リゾートのためのホテル建設によって破壊された第2次世界大戦中の死者の埋葬地の処遇をめぐる社会問題をともなって発展した。それはまた、「チャモロ人はアメリカに解放されたか?」という問題意識がグアム住民の間で高まっていく過程でもあった。

 

 長島氏は、そのような問題意識の根底に、「日本軍政下の苦難を乗り越えたというチャモロ人の戦争体験が、アメリカという国家への愛国心に絡め取られてしまっている危機感」があったと指摘する。そのもとで戦前からの「英語オンリー政策」がさらに強まり、米軍への志願者、ベトナム戦争での戦死・戦傷者は全米の数倍にのぼるまでになった。さらに、米軍やその家族の移住による「人口増加」とともに、基地労働への依存(米兵とその家族への下僕化)など、グアム社会の「軍民共同体化」が確立されていったからである。さらに、沖縄から海兵隊とその家族が大量に押し寄せることになっている。

 

 長島氏は、グアムにおける歴史的に重要な社会問題の一つに、土地問題をあげている。アメリカはグアムを重要な戦略拠点と位置付け、第2次世界大戦中と戦後に大規模な基地建設をおこなった。その軍用地の多くは、先住民であるチャモロ人から接収した土地であった。「戦争による荒廃で住民が不安に陥っているなかで、一方的におこなわれた接収」であった。住民が米軍の避難所から地元に帰って見たのは、自分たちが耕していた土地が基地と化した現実であった。

 

 長島氏によれば、第2次世界大戦中の一時期、グアムを占領した日本軍を駆逐するために米軍が再上陸したことを「解放」と呼ぶことに異議をとなえ、「解放記念日は“再占領日”だ」との観点から、グアム住民のなかで次のような言説が広がってきた。

 

 「米軍のグアム奪還における主都ハガッニャの爆撃破壊は、実は必要ではなかった」「米軍に接収されたのがチャモロ人の自給自足生活を可能にしていた肥沃な土地であった」「にもかかわらず施し物に全面的に依存した怠惰で無気力なやつという批判にチャモロ人が苦しまなければならない(原因については考慮されず)」「戦後世代が軍のないグアムの暮らしを想像できない」「英語オンリー政策が祖先伝来の言語と生活様式を脅かしてきた」

 

 戦後は、戦前以上に「英語オンリー政策」が徹底された。長島氏は教育のアメリカ化がこれと一体のものであったことを強調している。「1960年代までは“話すのは英語のみ”の掲示は学校や役所で見られた。生徒たちは学校でチャモロ語を話すと罰を受けた」。

 

 英語を話せることが経済的利益と結びつくようになった。アメリカ本土やハワイから教員がやって来るようになり、1970年代初頭には、チャモロ人教員の比率が4分の1にまで下がった。教会もチャモロ語の使用をやめた。

 

 OPI-Rの元メンバーの1人は早くから、「アンクルサム(アメリカ)の存在によって朝鮮戦争・ベトナム戦争や365の核弾頭がグアムにもたらされてきた」「これらすべて防衛の名のもとに 次に戦争が起きたときに確実なターゲットであることが保護行為なのであろうか?」と問いかけてきた。そして、「われわれは民主主義のなかで生活していくのか。われわれは軍事基地における従属民として生活しているのか? すべての人びとへ平等と正義を与える自治の自由をわれわれは手に入れるときである」という提起は、今では広範な住民が共有するものとなっている。

 

 こうした訴えは、沖縄や岩国をはじめ共通した民族的課題を抱える日本国民の魂に、奥深く染みわたるものがある。

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