いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

イスラエルの無差別爆撃に全世界で抗議 1948年以来の占領が根源 パレスチナ問題を考える

 イスラエル軍がパレスチナ自治区のガザ地区に対し、10日から戦闘機による空爆や戦車、艦船による砲撃を無差別におこなっている。イスラエルの民間人に対する攻撃はエルサレムやヨルダン川西岸でもおこなわれている。これによって少なくともパレスチナ人240人が死亡(うち子どもは65人以上)し、数千人が負傷。7万2000人以上が家を失った。これに対してガザや西岸だけでなく、イスラエル全土でも大規模な抗議行動が巻き起こっており、インティファーダ(民衆蜂起)の様相を呈している。また中東・アラブ、アフリカ諸国をはじめ、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国やオーストラリア、ニュージーランド、また日本国内でも「イスラエルは戦争をやめろ!」と集会やデモ行進がおこなわれている。一方国連安保理では、アメリカ以外の14カ国が暴力の停止を求める声明の発表をくり返し求めたが、アメリカの反対で阻止されている。

 

 イスラエルのガザ爆撃によって、これまでに17の病院や唯一のコロナ検査所を含む建物約450棟が全半壊し、少なくとも80万人の上水道の利用に問題が生じている。

 

 イスラエルの爆撃は殺傷能力の高い米国製兵器を使い、ほとんど事前通告なしに無差別におこなわれており、子どもや女性、老人など民間人が多数死亡している。ある地区では、生後6カ月の赤ん坊から84歳の老人まで、一家17人が一度に殺された。しかもガザ地区は、イスラエルの妨害で医薬品を送ることができない状態にある。カタール国営衛星通信アルジャジーラなど各国のメディアが入居するビルも爆撃され、崩落した。

 

イスラエルのあいつぐ空爆で瓦礫の山と化しているガザ地区

 

 一方、ガザを実効支配するイスラム民兵組織ハマスのミサイル攻撃で、イスラエル人12人が死亡した。

 

 これに対してガザや西岸、エルサレムだけでなく、パレスチナ全土で抗議行動が起こっている。また、イスラエル国内でも大規模な抗議行動が広がっている。イスラエルにはパレスチナ系市民が約193万人暮らしている(人口の20%)が、9日以来、各地で何千人ものパレスチナ市民がパレスチナを支持するために街頭に出た。抗議行動はハイファ、ヤッファ、ロードなど混血のアラブ系イスラエル人が住む都市と、ナザレやウンムアルファームなどパレスチナ人が住む都市の両方に広がっている。

 

 18日にはイスラエル国内とパレスチナ自治区で、イスラエルの爆撃に反対するゼネストが同時にたたかわれた。これはイスラエルのパレスチナ人政党や組合が組織し、数百万人のパレスチナ人ムスリムやクリスチャンが連帯して参加。店舗、企業、銀行、行政機関、大学が一斉に閉鎖された。

 

 サウジアラビア外務省は、イスラエルによるアルアクサ・モスクへの攻撃を非難する声明を出した。イラン司法府人権本部は今の状況を「人道に反する犯罪および戦争犯罪」だとし、国連が加害者を裁判にかけてこうした行為がくり返されないようにすべきだと提案した。

 

 今回の問題の性質は、日本のメディアがいうような「ハマスが最初に攻撃したからイスラエルが反撃した」とか「どっちもどっち」というようなものではない。

 

 直接の発端になったのはエルサレムでの二つの事件である。そもそもここは、イスラエルが国際法に背いて違法に占領している場所だ。イスラエルは1967年の第三次中東戦争で、東エルサレムを含むヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原を占領したが、国連安保理はイスラエルの占領地からの撤退を求めてきた。その後、イスラエルは東エルサレムを併合し、1980年には東西を統合したエルサレムをイスラエルの首都とする基本法を成立させたが、国連総会はこの決定を国際法違反で無効としている。

 

 

 ところがイスラエルはこれを聞き入れず、それどころか2000年代に入ってからはエルサレムをぐるりととり囲む形で、そこに住むパレスチナ人を強制的に追い出してはイスラエル人をどんどん入植させる政策を進めてきた。国連安保理は占領地への入植禁止を決議しているが、それも無視している。

 

 そして今回の発端となったのが、シェイク・ジャッラーハ地区のパレスチナ人を強制的に立ち退かせる動きだった。それは旧市街の壁の外にあるパレスチナ人の居住区だが、イスラエル人の入植者たちが土地や家屋の所有権を主張し、10日にイスラエル法廷がパレスチナ人の立ち退き命令を出そうとしていた。それで4月以来、パレスチナ人がこれに抗議し、イスラエル警察が弾圧するということをくり返してきた。

 

 同時に、イスラム教の聖地の一つであるエルサレム旧市街のアルアクサ・モスク内にイスラエル治安部隊が踏み込み、礼拝に集まっていた数千人のパレスチナ人たちに催涙弾とスタン擲弾を打ち込んで300人以上を負傷させた。今年は4月13日から5月12日がイスラム教のラマダン(断食月)だったが、イスラエルはエルサレムにイスラム教徒が集まって大規模集会を開くことを恐れ、4月からバリケードを築くなどしてパレスチナ人を排除しようとしてきた。それが頂点に達したのが、アルアクサ・モスクの事件だった。

 

 ハマスや他の組織はイスラエル政府に対して、アルアクサ・モスクへの侵入は「こえてはならない一線」であるとくり返し警告した。ハマスは10日、アルアクサ・モスクとシェイク・ジャッラーハから治安部隊を撤退させるよう要求した後、イスラエルにロケット弾攻撃をおこなった。すると、イスラエル首相ネタニヤフは「ガザのテロ組織はこえてはならない一線をこえた。代償を払うことになる」といって、無差別爆撃を開始した。

 

 注目すべきは、シェイク・ジャッラーハやアルアクサ・モスクの抗議行動に、イスラエルに住むアラブ系イスラエル人が多数参加していることだ。また、イスラエル国内でおこなわれたパレスチナ爆撃に抗議する行動に対し、軍が発砲して参加者が殺害されると、軍に対する抗議行動にかわり、ネタニヤフが非常事態を宣言するまでになっている。

 

天井のない監獄の形成

 

 今回の問題を考えるうえで、パレスチナをめぐる歴史的な背景を理解することが不可欠だ。

 

 エルサレムにはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の三つの宗教の聖地がある。この地域で今日に至る矛盾が形成された契機は、第一次大戦の戦勝国となったイギリスの三枚舌外交にあるといっていい。イギリスは一方で、アラブがオスマントルコから自力で解放した地域にイギリスは干渉しないと約束しつつ、その裏でアラブ世界をイギリスとフランスで山分けする秘密協定を結び、他方でユダヤ人がパレスチナにナショナル・ホーム(民族的郷土)を建設することを承認・支援するという、相矛盾した政策をとった。

 

 第二次大戦が終わり、1947年の国連総会は、パレスチナの土地の56・5%をユダヤ国家、43・5%をアラブ国家のものにするというパレスチナ分割決議を採択した。当時のパレスチナのユダヤ人人口はアラブ人の1割に満たず、これは実際とかけ離れていた。アラブは、オスマントルコを倒すために英仏に利用されただけだった。

 

 翌1948年、イスラエルが建国を宣言すると、これに反対したアラブ諸国軍との戦争が始まり(第一次中東戦争)、勝利したイスラエルは西エルサレムを含むパレスチナの75%を分捕った。イスラエルによって500以上の村々が強奪され、住む場所を失った75万人以上のパレスチナ難民がイスラエルとその周辺国にあふれた。この一連のできごとをナクバ(大災厄)といい、毎年5月15日、現在まで続くイスラエルの占領をやめさせ、自分たちの故郷に帰る帰還権を主張する大行進をパレスチナ人がおこなっている。

 

 1956年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化すると、イギリスはフランスとイスラエルに働きかけてエジプトに侵攻した(第二次中東戦争)。その結果、イギリスはスエズ運河を放棄し、アラブ諸国で民族独立の機運が高揚するが、今度はイスラエルが1967年、エジプトに奇襲攻撃をおこなった(第三次中東戦争)。これによってイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原を占領した。

 

 1993年にはアメリカが仲介する格好でイスラエルとパレスチナの「二国家共存」をめざす「オスロ合意」が結ばれ、パレスチナ自治政府が成立した。現在、パレスチナ国(ヨルダン川西岸地区とガザ地区)を承認する国は、国連加盟国の7割をこえる。しかしイスラエルはオスロ合意を一方的に反古にし、パレスチナ国家を否定する行動をとり続けている。

 

 ガザは「天井のない監獄」と呼ばれる。約194万人が暮らし、うち144万人が難民となっているガザ地区は、イスラエル政府の厳格な経済封鎖下にあり、空港は破壊され、港湾からの輸出も禁止。エジプトに通じる陸路も検問所が閉鎖され、域外に出ることが厳しく制限されている。経済封鎖の影響で、ガザでは電気が1日2~3時間しか使えず、上下水道の設備も多くが破壊されたまま。ガザの失業率は44%、若者に限れば60%をこえ、世界最悪だ。

 

 このようにイスラエルが国連の決議にも違反して野蛮な侵略と戦争をやり続けることができるのは、バックにアメリカがいるからだ。アメリカは国連安保理常任理事国として、民主党政権時代であれ共和党政権時代であれ、安保理のあらゆる措置に対してイスラエルを擁護し、これまでに44の対イスラエル安保理決議に対して拒否権を行使してきた。アメリカはイスラエルに毎年約38億㌦(約4100億円)の軍事支援をおこない、イスラエルへの最大の武器売却国となっている。

 

 そしてバイデン政府は、今回のガザ爆撃の真っ最中に、イスラエルに対する7億3500万㌦(約800億円)の精密誘導兵器の売却案を承認した。その大半は「ダム・ボム」といわれる無誘導爆弾を誘導爆弾に変換する装備のキットである。イスラエルは過去にもこのキットを大量に購入し、その誘導爆弾によってガザ爆撃をおこなっている。また、ガザ空爆をおこなっているF16戦闘機や攻撃用ヘリも米国製だ。

 

 だが、中東アラブ地域において、このアメリカの指導力は劇的に低下している。アメリカは世界最大の武器市場である中東に米国製兵器を売りつけ、軍産複合体の利益を増やすことには関心があるが、「中東和平」に関与する力を失い、この地域から引こうとしている。国内ではイラク・アフガン戦争をへて厭戦機運がかつてなく高まっている。

 

 一方イスラエルのネタニヤフ政府も、政権基盤が崩壊の危機にある。ネタニヤフは2019年1月、メディアに自分の都合のいい記事を書かせようとしたことが発覚して贈収賄や詐欺、背任で起訴された。ネタニヤフ率いる与党リクードは議会の過半数を獲得できず、連立協議にも失敗して、2019年度には1年に3回ものやり直し総選挙をやったがうまくいかず、今年4月に4度目をやったが、それでも変わらなかった。対外的な強硬姿勢は危機の裏返しといえる。

 

 こうしたとき、日本の防衛副大臣・中山泰秀がガザ爆撃の最中に「私たちの心はイスラエルとともにある」とツイートし、内外から厳しい批判を浴びた。中山は2015年の「イスラム国」による日本人人質事件のさい、ヨルダンで現地対策本部の本部長をしていた。そのとき首相の安倍晋三がわざわざイスラエルを訪問し、ネタニヤフと会談して「テロに屈しない」と宣言したものだから、日本は米・イスラエル側とみなされ人質が殺害された。

 

 長年にわたって欧米の侵略を経験してきた中東・アラブ諸国の人々は、日本はアメリカによる原爆投下を受けながら、焦土のなかから立ち上がって国を再建した平和国家だとして尊敬の念を抱いている。その日本がアメリカに隷属し、孤立する米・イスラエル連合の血なまぐさい戦争に加担するなら、長年の親日感情は一気に崩れ去ることになる。イスラエルの占領地からの撤退をはじめ和平合意実現のために、平和国家としていかに尽力するかが問われている。

 

 なお、21日午前の時点で停戦合意がされたと報道されている。しかし事態は流動的だ。

 

国境で抗議するレバノンの民衆

イラク・バグダッドでの抗議集会

ベルリンでの抗議集会

イギリス・ロンドンでの大規模抗議デモ

パキスタン・カラチで「パレスチナ人を殺すな」と抗議

アメリカ・シカゴでの抗議デモ

関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。