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ボルトン解任が示す潮流の変化 政策転換避けられぬ米国 退場迫られるネオコン

ボルトン大統領補佐官

 トランプ米大統領が10日、ホワイトハウス内の強硬派として知られるジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)を電撃解任した。ボルトンは、アフガニスタン爆撃、北朝鮮制裁、イラン核合意からの離脱、ロシアとの中距離核戦力全廃条約(INF)破棄、ベネズエラのマドゥロ政府転覆策動など、他国に対する恫喝と干渉を主導的に進めてきた人物であり、トランプは「私は彼の提案の多くについて強く反対だった」と解任理由をのべている。軍事力を背景にした強硬策が世界中で行き詰まったことを示しており、来年11月に大統領選挙を控えるなかでトランプ政府は抜本的な政策転換を余儀なくされている。世界的な潮目の変化を意味しており、ボルトンなどネオコン派に依存して米国代理役に徹してきた安倍政府の進路も問われている。

 

 ボルトンは、米国至上主義を推進するシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」のメンバーであり、米国とイスラエルとの軍需産業の関係強化を目的に活動する国家安全保障問題ユダヤ研究所(JINSA)の顧問としての立場から、反米的な国の政府に対する軍事介入を積極的に推進し、イスラエルや日本をはじめとする同盟国への影響力も強めてきた。「(広島、長崎への)原爆投下は軍事的にだけでなく、道徳的にも正しかった」と公然といい放ち、核軍事力を振りかざして他国に屈服を迫る姿勢は「悪魔の化身」ともいわれ、米軍産複合体の代理人として豪腕を振るってきた。

 

 ボルトンは、2001年に当時のブッシュ政府時代の国務次官(軍備管理・安全保障担当)に任命され、米国が同時多発テロを契機に「対テロ戦争」と称して強行したアフガニスタン爆撃、50万人をこえる犠牲者を生んだイラク戦争を積極的に推進した。ブッシュ政府は、イラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しして軍事恫喝を強め、ボルトンはこれらの「ならず者国家」には政権転覆が必要だとして実力行使を強弁した。「イラクの大量破壊兵器」が米国によるでっちあげだったことが判明して国際的な批判が強まると、ボルトンは国連大使でありながら「世界に国連などというものはない。あるのは国際社会だけであり、それは唯一無類の超大国によって動かされる」と国連本会議で開き直って物議を醸した。ボルトンのこうした言動は、米国一極体制のなかで侵略に次ぐ侵略を重ねた米国の一貫した政治姿勢を象徴している。

 

 50万人もの民間人を殺戮したイラク戦争は、フセイン打倒後も泥沼化し、戦費も兵力も消耗した米軍は撤退を余儀なくされた。その後、混沌のなかから「イスラム国(IS)」が派生したが、この鎮圧をロシアやイラン、シリアが主導するなど米国の影響力は低下の一途をたどっている。

 

 また、米国がタリバンの撲滅を掲げて軍事侵攻したアフガニスタンでも、数十万人(調査不能)もの民間人が犠牲になり、その半数以上が米軍をはじめ連合軍の攻撃によるものであることが国連の調査で明らかになっている。反米機運が高まるなかで、タリバンの勢力は過去最大(国土の7割)にまで拡大し、トランプ政府は現存する5つの米軍基地の撤去、駐留する米兵1万4000人のうち5400人を撤退させることでタリバンと大筋合意するに至った。タリバンとの対話に反対し、武力制圧を主張してきたボルトンの解任で、米国側の譲歩・撤退の動きはさらに加速すると見られている。

 

イラン制裁も袋小路に

 

 2018年4月、トランプ政府のもとで再びボルトンが大統領補佐官として登場すると、翌月にはイランとの核合意を一方的に離脱し、イラン産原油の全面禁輸を断行。中東に空母打撃群を派遣するなど一触即発の緊張を高めてイランを挑発した。同年9月にはイランへの空爆準備を国防総省に指示し、今年6月には、米軍無人偵察機の撃墜を受けてトランプがイラン空爆を承認するところまでいった(攻撃開始10分前に撤回)。

 

 またボルトンは、ペルシャ湾に12万人の米軍部隊を派遣することも進言し、7月には日本や韓国に「ホルムズ海峡を航行する民間船舶の安全確保をはかるため」の有志連合参加を迫った。今年6月に同海峡付近で日本のタンカーが攻撃された事件も、何の裏付けもなく「イランが責任を負っている」(ポンペオ国務長官)と断言し、「同盟国への攻撃だ」と日本政府などを焚きつけた。

 

 だが、イランは一歩も引かない姿勢で対抗し、欧州やアラブ諸国も一方的に核合意を離脱した米国には同調せず、有志連合も足並みが崩れるなかでトランプの圧力外交は袋小路に追い込まれた。

 

 ボルトン解任に対してイランの大統領補佐官は「偶発的な出来事ではなく、イランに最大限の圧力をかけるアメリカの戦略が失敗していることを示す決定的な兆候だ」とのべ、イラン政府報道官は「戦争と経済テロリズムの急先鋒(ボルトン)が排除されたことで、米ホワイトハウスがイランの現実を理解するための阻害要因は少なくなった」との見解を示した。

 

 ボルトンを解任したトランプは、イランのロウハニ大統領が今月末の国連総会のためにニューヨークを訪れる機会に会談を申し入れている。ロウハニ大統領は「米国による経済制裁の解除が先」と主張しているため、トランプは一連の強硬策についての責任をボルトンにかぶせ、イラン産原油禁輸措置の緩和に動き出している。

 

ベネズエラ転覆も失敗

 

 ベネズエラでは今年1月、反米の旗手だったチャベス大統領の後継者であるマドゥロ政府を転覆するため、親米派のグアイド国会議長が暫定大統領に名乗りをあげた。これを背後で仕切った米国は、即座にグアイドを暫定大統領として承認し、ボルトンは「米軍兵士5000人を(ベネズエラの隣国)コロンビアへ」と記したメモをメディアに報じさせ、ツイッターでは「ベネズエラ軍最高司令部よ、今こそ国民の側につくべき時だ」「米国は軍の全メンバーに対し、民主主義を支持する平和的なデモ参加者を守るよう呼び掛ける」と軍に離反を呼びかけた。

 

 4月30日早朝、米国の支援を受けるグアイド議長は、首都カラカスの空軍基地で「メーデーの5月1日にベネズエラ全土で権力奪取に向けた蜂起」をおこなうよう呼びかけたが、呼応したものはほとんどおらず、クーデターは失敗した。この動きを煽るために米国は、深刻なインフレで苦しむベネズエラ国民への人道支援(食料や援助物資)による懐柔を仕掛けたが、ベネズエラのインフレは、同国産原油の禁輸、対外取引の全面禁止など米国による経済制裁が引き金となっていることが広く認知され、みずから作り出した「人道危機」を口実に政権転覆を謀る米国のやり方に反発が広がった。

 

 5月1日のメーデーには、首都カラカスを労働者をはじめとする約40万人が埋め尽くし、「アメリカの干渉にNOをつきつける大規模なデモ行進」をおこなった。ベネズエラの外相は4月30日、「軍がクーデターを企てている事実はない。ワシントンや米国防総省、国務省でボルトン米大統領補佐官が直接この計画を練っている」と暴露した。米国による内政干渉は南米諸国からも反発を集める結果となった。ボルトンは「西半球から社会主義は駆逐せねばならない」としてキューバ、ニカラグアの指導者を「愚かな社会主義者」と呼び、この2カ国に対しても経済制裁を発表した。

 

 トランプは解任発表で、「ベネズエラ政策についてボルトンはまったくの的外れで、われわれと意見が食い違った。私は異議を唱えていた」とのべ、クーデターを含む一連の強硬策をボルトンによる単独プレーであったとの見解を示した。

 

 米国を忖度して「我が国としてはグアイド暫定大統領を明確に支持する」(河野外相・当時)と真っ先に表明したのが安倍政府で、駐日ベネズエラ大使はこれに遺憾の意を表明し、「(グアイド就任宣言の)法的根拠はなにもない」と非難している。今後米国はベネズエラとの緊張緩和に向かわざるを得ず、すでにマドゥロ政府との外交窓口をもうけるなど強硬策の見直しが始まっている。

 

米国の内政干渉に抗議するベネズエラの民衆(2016年6月)

 

「リビア方式」唱えた北朝鮮政策も破綻

 

 トランプは「北朝鮮政策で彼(ボルトン)は大きなミスをしでかした」とのべ、ボルトンの強圧的な対応が、北朝鮮問題の平和的解決の道をふさいだことを強調した。

 

 とくに、非核化をめぐってボルトンが持ち出し、北朝鮮側が「体制転覆を意図している」と拒否してきた「リビア方式(核の完全廃棄後に制裁解除する)」に言及し、「これによってわれわれのとりくみは後退した。リビア方式でカダフィ大佐がどうなったのか見るがいい。ボルトンはそのやり方で北朝鮮と交渉をしようとした。これによって交渉は著しく後退した。大惨事だ」「その後の金委員長の発言を私は責めない。金委員長はそれ以降、ボルトンと一切かかわろうとしなかった。そのような発言をした(ボルトンの)頭の悪さが問題だ」とのべた。

 

 今年2月末のハノイでの米朝首相会談が決裂したことをめぐり、北朝鮮の第一外務次官は、ポンペオ米国務長官とボルトンの2人が「米朝両首脳間の建設的な交渉努力に障害をつくった」と主張し、北朝鮮外務省報道官はボルトンを「安保破壊補佐官」と呼び、「このような人間のできそこないは1日も早く消え去るべきだ」と非難していた。ボルトン退場後、トランプは今年の任期中に3度目の米朝首脳会談の実現を示唆しており、最大の目玉とする朝鮮戦争の終結宣言に向けた交渉を進展させる構えを強めている。

 

とり残される安倍外交

 

 北朝鮮対応でボルトンの強硬策と立場を同じくしてきたのが安倍政府で、2006年のテポドン2号発射、同年10月9日の核実験実施の後、安倍首相(当時官房長官)は麻生(外務大臣)とともに北朝鮮への制裁路線を推進し、翌年10月14日に国連で対北朝鮮制裁決議の採択にまで持ち込んだ。昨年から始まった米朝対話後も、ボルトンは拉致問題を掲げて圧力強化を訴える安倍政府を支持する立場をとり続け、今年五月にも来日したボルトンと会談し、北朝鮮への圧力強化で連携を深めてきた。

 

 トランプ外交におけるボルトンの人脈は、イスラエルのネタニヤフ首相、サウジアラビアのサルマン皇太子、アラブ首長国連邦のザイド皇太子などの名前の頭文字をとって「Bチーム」と呼ばれ、米国の利害を中心に各国の外交戦略をすり合わせるルートとなってきた。安倍首相もイラン訪問に先がけて、メンバーすべてと電話会談をおこなうなど常に指示を仰ぐ関係にあり、ボルトン解任はその中心的な後ろ盾を失ったことを意味する。米国が政策を転換するなかで、これらのネオコン派の尻馬に乗ってきた安倍政府の足場が揺らいでいる。

 

 トランプ外交の政策転換は、高関税措置による貿易戦争をくり広げている中国との関係見直しにも及び、今月中にも中国製品に対する一部関税の発動を見送ることを盛り込んだ合意案を中国に示し、対面交渉のステージに進もうとしている。最大の輸出相手である中国との貿易戦争で、行き場を失った米国農産物の価格が暴落し、農家の倒産件数が過去最高にのぼっており、米国内での反発が高まっていることが背景にある。

 

 また、ロシアとのINF全廃条約破棄を主導したボルトンの解任は、ロシアとの関係緩和の意味合いも見てとれる。

 

 トランプ政府における安全保障問題担当の退場劇はこれで3人目となった。軍事恫喝をくり広げてきた米国の「力による外交」が世界中で行き詰まり、その度に担当官の首をすげ替え、政策の立て直しが迫られている。維持してきた覇権が縮小し、国内の統治さえままならないという状況のなかで、今なお軍事力に依存した「パクス・アメリカーナ(米国の秩序による平和)」の幻想にしがみつく側が退場を余儀なくされている。それは同時に、対米従属一辺倒でアジアでの立ち位置を失っている安倍政府の行く末を暗示するものといえる。

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