いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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自衛隊元幹部や防衛官僚OBらが語る「非戦の安全保障論」 出版記念会見で柳澤協二、伊勢崎賢治、加藤朗、林吉永の各氏が論議

 安全保障や停戦実務の専門家でつくる「自衛隊を活かす会」(柳澤協二代表)は2月29日、新刊書『戦争はどうすれば終わるか? ウクライナ、ガザと非戦の安全保障論』(集英社新書)の出版記念イベントを衆議院第一議員会館で開催した。イベントでは、伊勢崎賢治(東京外国語大学名誉教授・元国連PKO武装解除部長)、柳澤協二(国際地政学研究所理事長、元内閣官房副長官補)、加藤朗(元桜美林大学教授、元防衛研究所所員)、林吉永(元空将補・防衛研究所戦史部長、国際地政学研究所理事)の4氏が本書に込めた問題意識をのべ、参加者との質疑応答をおこなった。各氏の発言と質疑の要旨を紹介する。(伊勢崎氏の発言は既報

 

 

・戦争を終わらせるのは難しい。始めないための外交強化を


         元内閣官房副長官補 柳澤協二

 

 私は2009年まで40年間防衛官僚をやってきたが、当然ながら戦争を体験したことはない。日本人そのものが80年間戦争を体験していない。だからこそ今、目の前で進行中のウクライナ、ガザで起きている戦争からわれわれは何かを学ばなければいけない。

 

 今回出した本は『戦争はどうすれば終わるか?』というタイトルだが、私が抱く結論は「終わらないだろうな…」という忸怩たる思いだ。しかし、なんとかしなければならず、それをこれら現実の戦争からわれわれが考えていく機会にしたいという思いで問題提起をした。

 

 なぜ戦争が起きたのかについては、いろいろな理解ができる。一つは冷戦後、ドイツ統一後のNATO拡大に対するロシアの一貫した不満に対して、アメリカはじめ西側が外交で対応してこなかった。いざ戦争が始まる直前になってバイデンは「アメリカは軍を派遣しない」と明言する。つまり、外交もないし、抑止力もないという状態で始まったのがウクライナ戦争だ。

 

 バイデンが軍を派遣しない理由としては、派遣すればロシアとアメリカの間で世界戦争に拡大する心配があるからだという。これは防衛官僚として非常に大きなインパクトで受け止める認識だ。われわれはこれまで「いざとなったらアメリカが助けてくれる」という前提で防衛を考えてきたわけだが、相手が中国やロシアであれば世界戦争になってしまう。つまり、アメリカに助けてもらわないか、世界戦争になるか――という二者択一が迫られる時代になっている。そのような大きな世界構造の変化がウクライナ戦争の背景にある。

 

 そして、なぜ戦争がなかなか終わらないのか。戦争は相互作用であり、やられたらやり返す。とくにウクライナのように境界線を1㍍ずつ奪い合うような戦争では、双方の力が拮抗している限り、犠牲ばかり増えて、終わりが見えなくなるのは当然のことだ。ロシアは核保有国で、ウクライナにはそれほどの軍事力はないが、ウクライナの国土で現実に使える兵器システム、投入できる軍事力では拮抗した状態にある。

 

 昨年、フランスのマクロン大統領は「われわれはウクライナの敗北もロシアの崩壊も望まない」という発言をした。これがこの戦争を取り巻く世界の現実だと思う。

 

 昨年夏あたりからさまざまな和平案が出てはいるが、双方が合意するラインにこぎ着ける見通しは立っていない。戦争を終わらせることが最大の目的とするならば、ウクライナへの武器供与を止めればロシアの勝利で終わる。だが、それをわれわれが受け入れられるだろうかと考えると非常に悩ましい。また、停戦になったとしても、それは一時休止であって平和を意味しない。平和のためにはお互いの和解が必要だ。それは停戦交渉よりも難しく、両者の顔が立たなければならない。

 

 ウクライナはいずれ譲歩しなければならない状況になってくるが、その譲歩の代償をどう補うかといえば、国民感情からいっても戦争犯罪の処罰、賠償という昔ながらの戦後処理の問題がのしかかる。プーチンには国際刑事裁判所から逮捕状が出ている。プーチンさえいなくなればこの戦争は終わるという意見もあるが、プーチンしか現在のロシアをコントロールできる人間はいない。その意味ではプーチンを殺すわけにはいかないが、生きている以上は処罰しなければならないという綱渡りのようなバランス感覚が求められる。

 

 今年の米大統領選で「もしトラ」(もしトランプが大統領に返り咲いたら)問題があるが、私は「もし」ではなく「確実」ではないかと思う。これによってこの戦争は終わるかもしれない。

 

 ウクライナ戦争からわれわれがくみ取るべき教訓の一つは、少なくとも外交を強化しなければならないということだ。戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しい。さらには戦争の種を減らして平和を構築することはもっと難しく、時間がかかることだ。

 

 「もしトラ」がそうであるように、政治家というファクターが今日非常に大きな要素を占めている。かつてフランスのジョルジュ・クレマンソー首相が「戦争は軍人に任せておくにはあまりにも重大なビジネスだ」と言ったが、今日われわれは「戦争は政治家に任せておくにはあまりにも重大なビジネスである」と言わざるを得ない。そのためにもわれわれ国民自身が戦争のリアリティを捉え、それを避ける方策を考えなければならない。

 

 そこへきてのガザの戦争だ。これは愚かな戦争だと断言する。パレスチナ問題の本質は、パレスチナ人の生活空間をイスラエルが暴力的に脅かし、生活が成り立たない状態を作り出したことに根本的原因がある。それを今「ハマス殲滅」を目標に殲滅戦争をイスラエルはやっている。だから民間に膨大な被害が出ることは避けられない。

 

 だが、ハマス(その何倍ものパレスチナ人)を殲滅したとして、イスラエルの安全が確保されるかといえば、逆に将来にわたってイスラエルへの恨みを募らせ、襲撃を生み出すという意味で、「イスラエルの安全」という目標を達成するための手段としても本当に愚かな戦い方だ。本質的解決は、生活の場を与えることであり、砲弾ではなく土地を与えなければいけない。絶望ではなく希望を与えなければならない。そうすれば平和が来ることはわかりきっているのに、そうではない対応をしている。

 

 われわれは何に希望を託すか。2つの戦争を通じて思うのは、戦争はいけないという国際世論の高まりだ。国連の臨時総会でも、昨年のウクライナ開戦1周年の決議では戦争を非難する国が141カ国、そして昨年12月の臨時総会でのガザの人道的即時休戦を求める決議は153カ国の賛成を集めている。国際世論の大勢は、戦争はダメだということに集約してきている。

 

 それを生かすうえでも国連の制度設計を変えていく必要もある。ゼレンスキーが昨年、国連総会の一般演説で、大国(国連常任理事国)の拒否権を国連総会の4分の3の多数で覆せるような制度を導入すべきだといったが、それに私は賛同する。大国の都合ではない、まっとうな国際世論に力を与えるような新しい秩序観を人類が作らなければ、再びコントロールできない戦争の時代に戻ってしまう、あるいは新しい戦争が始まってしまうという危機感がある。

 

 サウジアラビアは昨年、40カ国を集めてウクライナの和平のためのフォーラムを開催しているし、南アフリカも停戦監視のために国連PKO部隊を派遣すべきだという提案をしている。これらは煮詰まった話ではないが、グローバル・サウスといわれる国々が積極的に音頭をとって発信しようとしているときに、日本はどういう立場に立つのかということがわれわれ自身の選択の問題として問われている。

 

(国際地政学研究所理事長、元防衛研究所所長)

 

・西洋主義による国際秩序が脱構築される時代へ


             国際政治学者 加藤朗

 

 ウクライナ戦争が始まってから2年。予想もしなかったガザでの紛争も5カ月がたつ。2つの紛争をめぐって世論は混乱、矛盾の様相を呈している。いまや世界には正しさや正義の基準が失われてしまった。主観としてのこと、すなわち認識や言説が相対化され、すべてが客観としての、すなわち存在や物質に還元されてしまった。

 

 あえていうとすれば、物理的武力だけが正義の基準になっている。「力は正義なり」だ。今日は国際法の観点からウクライナ戦争やガザでの紛争について話したい。

 

 現在の国際法、とりわけ国際人道法は、過去何百年にもわたって人類が何億人もの人の血で書いた結晶だ。その国際法が踏みにじられている。現行の国際法が支配する国際秩序の「終わりの始まり」かもしれない。

 

 国際法を基準にすれば、ウクライナ戦争とガザでの紛争の直接原因は、ロシアによる侵略、ハマスによる“テロ”と、それに対するウクライナ、イスラエルの自衛権の発動だ。両国の立場(イスラエルは微妙だが)は、現在の国際法、国際秩序を維持する現状維持の立場だ。他方、国際法を歴史で相対化すれば、両紛争の原因はロシア、そしてパレスチナによる奪われた領土の奪回だ。彼らの立場は、現在の国際法や国際秩序に異議を申し立てる現状打破の立場だ。とはいえ両者ともその立場は首尾一貫しているわけではない。

 

 ウクライナ戦争でロシアの侵略を非難する人の中には、ガザでの紛争では国際法に違反して入植地拡大を進めるイスラエルを支持する人もいる。逆もまた然り。イスラエルのガザ侵攻に反対する人の中には、ロシアのウクライナ侵攻を支持する人もいる。

 

 この背景には、同じ人でもその人を取り囲む物理的、主観的環境、たとえば自然環境、社会環境、歴史的環境、教育環境、家庭環境等の異なる文脈のなかで価値判断の基準は常に揺れ動くということに他ならない。誰一人として唯一の判断基準で物事の是非を決している人はいない。異なる状況に合わせてダブルどころかトリプル、クワトロ、マルチスタンダードなど価値判断が揺れ動き、矛盾することは日常茶飯事だ。

 

 個人だけでなく、社会や国家、文化、文明においても時代の価値観、時代精神は変化していく。この背景には、哲学、思想の変化があると考える。1980年代以降、ラカンやデリタら脱構築主義のポストモダン哲学が隆盛を極め、さまざまな分野で批判哲学、批判理論等を生み出してきた。デリタの本意とは真逆に、超越論的シニフィエの概念は、価値の絶対的基準であった「神」を脱構築し、哲学をもまた脱構築した。人権も命も絶対的基準にはならない。

 

 現在、私たちは価値の絶対的基準を失い、脱構築された現代の哲学は、フェリス女学院大学の高田明典先生の言葉を借りれば「哲学のカンブリア紀」にあるそうだ。その「哲学のカンブリア紀」に起きたウクライナ戦争、ガザでの紛争で私たちは新たな国際法、国際秩序の創設を目撃しているのかもしれない。現行の国際法や正当性秩序の脱構築、そして新たな国際法や革命秩序の構築は必然的に暴力をともなう。法も秩序も暴力を担保にして初めて有効だからだ。武力侵攻を止め、国際法を守らせるには、国際法を守らせる暴力が、また人権に基づく人道的停戦を実現するにも停戦を守らせる暴力をともなう。

 

 新しい国際法や国際秩序とは何か。それは西洋主義vs非西洋主義の階層的二項対立によって西洋主義が脱構築されていく状況だ。具体的には欧米を中心とする西洋主義グループに対し、それに反発するBRICSと呼ばれるグローバル・サウスの異議申し立てだ。その動機は、非西洋側の西洋に対するルサンチマン(怨恨や復讐感情)、それに呼応する西洋側の良心のやましさだ。ルサンチマンが親ロシア、親ハマスの感情をかき立てる一方、良心のやましさが反ウクライナ、反イスラエル、反欧米の感情を、みずからの良心の証として西洋圏に顕在化している。

 

 ルサンチマンと良心のやましさに基づく二項対立は、国際秩序だけでなく、各国の国内秩序においても、移民や難民、ジェンダー、マイノリティー等との共生や多様性の問題として顕在化し、既存の社会秩序を変革している。

 

 両紛争の見通しについて簡単にまとめる。


 ウクライナ戦争は典型的な、ナポレオン戦争当時の塹壕戦、しかし砲撃戦だ。軍事的勝敗は弾薬の量で決する。友好国からの弾薬の補給がなければウクライナが、制裁で弾薬の生産ができなければロシアが敗北する。ちなみにナポレオンはイギリスに砲弾用の黒色火薬を牛耳られて負けた。

 一方、ガザでの紛争は典型的なテロゲリラ戦の低強度紛争だ。1968年にPLOが解放闘争を開始して以来、今日に至るまで戦闘と停戦をくり返しながら、パレスチナとイスラエルの低強度紛争は続いていた。そして今後も続くだろう。


(元桜美林大学教授、元防衛研究所研究員)

 

ウクライナ軍とロシア軍の戦闘が続くウクライナ東部クラマトルスクで被弾した住居から人々を救助するボランティアや救助隊(2023年6月)

・「非戦」のための苦労とは比べものにならぬ戦争の苦労


              元空将補 林吉永

 

 戦争は始まりがわからなければ、終わらせることはできない。戦争を終わらせるには、その戦争目的と戦争の動機をしっかり掌握しなければならない。

 

 戦争の目的を私なりに三つに分けて考えると、一つは覇権、国益を求めること。もう一つは主権や主権的権利を回復すること。さらに強制力を行使して相手をコントロールしようとすることだ。

 

 次に戦争の原因として注目すべきは、社会ダーウィニズム(「人口増加→生存競争→適者生存→進歩」というプロセスで社会変化を捉える考え方)だ。それは白人社会で非常に盛んに喧伝された。今もってそれは白人社会の優越意識と思い上がりになっているのではないか。それへの反発が今顕著になっている。

 

 2番目に戦争の要因として大きいのが、恐怖あるいは脅威の積極的排除という動機だ。これは往々にして誤解と錯覚、不信から生じることでもある。古代の歴史を振り返ると、ペロポネソス戦争においては、アテネがペロポネソス同盟に対して誤解をした。イラク戦争はまさに米国の誤解、錯覚だ。そして、現在のプーチンの戦争は、まだ誤解と錯覚を解くという努力がなされていない。

 

 台湾有事について日本ではさまざまな議論があるが、その意見のすべてといっていいほど、戦争をすることにしか照準が合っていないという危うさがある。一番悩ましい戦争の要因として「積年の恨みを晴らす」というものがある。相手の遺恨から戦争になったら、終わった後は今度は逆の現象が起きる。紀元前13世紀からペリシテ人とユダヤ人の間で戦いがおこなわれ、今日までその遺恨が断続的にくり返されている。それは、ペリシテ人がパレスチナ人に変わり、アラブ人に変わったとしても、遺恨はDNAとして伝わり続ける。

 

 クラウゼヴィッツの『戦争論』は、戦争には両極性があると説く。勝つか負けるか、攻撃するか防御するか、生きるか死ぬか、得るか失うかだ。両極性をもたない戦争の必然もある。犠牲と破壊だ。軍事上の合理性を追求するためには、殺しと破壊が必然だからだ。そこに怒りと悲しみが残り、その収拾に人類は今まで苦労してきた。

 

 日本人がどういう役割を果たしていけるかを考えたときに、シビリアンコントロール、すなわち政治と国民に欠落しているものがある。それは戦争学だ。戦争史から何を学ぶかということだ。麻生副総理などは「覚悟を持て」とか「台湾の戦争は日本の戦争なのだ」というが、それは何から学んだ言葉なのか?勝つか負けるかという戦争の両極性において「勝つ」意識しかない。負けた場合にどうなるかということは頭の隅にもない。戦後処理をどうするかという考えもない。まして戦後秩序のことなど気づいてもいない。

 

 一つの戦争について考えるべき要素は、過去の戦争からさまざまな形で学ぶことができる。西ローマ帝国の滅亡(476年)は、身の丈に余る広いエリアを少ない人間でコントロールしようとしたため、傭兵を雇わなければいけなくなり、その傭兵隊長に帝国を奪われた。

 

 白村江の戦い(663年)も身の丈に合わない戦いであり、戦争が終わってから天智天皇は、守りを固めなければ朝鮮半島に駐留している唐の軍勢が攻めてくるかもしれないと気づき、懸命な専守防衛の律令制度に拍車をかけていった。

 

 欧州においては30年戦争が続き、800万、900万人の犠牲者が出る。この後、どのように平和をもたらそうかということで国境線を引いた。国境線を引くことで主権国家が生まれ、主権国家は相互に平等であるという原則を作ったが、第一次世界大戦になるとこれが崩れる。

 

 そして第一次世界大戦ではドイツをくそ味噌に虐める。その怨恨がヒトラーの第二次世界大戦になって出てくる。すべて戦争を始めるときに終わりを考えていない。終わった後の秩序のあり方を考えていない。人間の愚かな戦争の歴史である。

 

 そういうことを私たちは学ばなければいけない。島嶼国の私たちは、大陸の戦争をどれだけわかっているか? 戦争法規について、また住民保護や非戦闘員の保護について、どれだけわかっているか? ウクライナは地続きで逃げるところがあるが、日本は島嶼国で逃げ場所がない。今の流れのなかで、戦争との距離を縮め、2014年の安倍政権のときに決めた集団的自衛権の行使容認を実行していくことによって、日本がどういう戦争に巻き込まれるか、あるいは主体的に戦争をやっていくかということが現実問題になっている。しかし、具体的には戦争が始まる前のこと、終わった後のことがまったく考えられていない。「ああすればよかった、こうすればよかった」現象というのが今潜在している。

 

有言不実行のアメリカ現象

 

 加えて、同盟とか連合についての言葉上の信頼を声を大にしていっているシビリアンコントロールがあるが、それをどこまで信用できるのだろうか。ウクライナ戦争でもアメリカは実力でウクライナを応援しない、兵を派遣しないとはっきりいい切っているわけだ。これは一つのアメリカ現象だ。「味方だ、味方だ」といいながら、最終的には味方しない。「必要な鉄砲も弾も渡しますよ」といいながら、今度はアメリカの兵器が足りなくなり、他の国に応援しろといい始める。このような同盟国、連合国の支援の形を、どれだけ日本は計画し、信頼し、具体的に計量的に把握しているだろうか。

 

 停戦と終戦、あるいは「避戦」「非戦」をする努力と、実際に戦争をする苦労とを比べてみてほしい。後者がいかに愚かで、苦労が大きいかがわかる。

 

 現在のウクライナでの戦争は、兵士の犠牲が、ロシア軍に12万人、ウクライナ軍に7万人出ていると軍事専門機関の情報から知ることができる。これは非戦闘員を含んでいない。戦争ができる年齢資格がある者の犠牲者数だ。大きく捉えると20万、30万都市がなくなってしまうほどの成年男子の損失だ。

 

 さらにロシアは1日当りに2兆~3兆円の戦費を使っているという。イギリスの研究所が出している数値だ。楽観的に考えたら「いずれ自滅するじゃないか」という意見もあるが、私がいいたいのは戦争はそれだけ金がかかるということだ。

 

 日本の2023年の防衛予算は6・8兆円。戦争をするのにどれだけ金がかかり、どれだけの人間が犠牲になるか。多くの人が日本も核兵器を持つべきだというが、3倍も4倍もの核兵器を叩き込まれたら、日本はまったく人が住めない場所になってしまう。島嶼国家の悲劇だ。

 

 そういうことを無視して軍事力を強くして、日本が抑止力としてそれを維持すれば、守れるという神話的な話が政治の間で進み、広まっていることは愚かなことだ。


(元防衛研究所戦史部長、国際地政学研究所理事)

 

・戦争回避は外交から 質疑応答より

 

自衛隊を活かす会が主催した出版記念会見(2月29日、衆議院第一議員会館)

 質問 これから勃発するかもしれない日中戦争をさせないために何を発信したらいいか? 若い人たちに発信したい。

 

 伊勢崎 おそらく今日この場に集まっておられる方は、護憲派とかリベラル派の方が多いと思うので、そちらに向けて一つだけ話したい。

 

 ウクライナ戦争が始まった直後から「憂慮する歴史家の会」というのが立ち上がり、日本の名だたる名誉教授クラスの歴史家や、ロシア、中国、ウクライナ、ユーラシアなどいろんな専門家が即時停戦のために声を上げられ、僕もそれにお付き合いしている。それは「今こそ停戦を」という運動として現在も継続中だ。このガザ戦争が起きてからも同じく「とにかく撃ち方やめ」の主張をし続けている。これは今、世界でネットワークができつつある。

 

 当初「停戦」というと、「あの悪魔のプーチンと交渉しろというのか?」「お前はプーチンの回し者か」とまでいわれた。いまだにいわれ続けている。誰がいっているか? いわゆる保守や右翼系の人がそれをいうのは、嫌だけどまだわかる。今回はそうではなかった。護憲派の人たちからいわれる。和田春樹先生や羽場久美子先生とも一緒にやっているが、素直に僕たちは驚いた。日本の護憲派こそが、とにかくどんな事情があってもまず「撃ち方やめ」という主旨に賛同して運動を推してくれるかと思ったがそうではなかった。

 

 同時に僕は世界の戦争も見てきたし、先述したように9・11(同時多発テロ事件)のアメリカでもリベラル系の学者がすべて愛国者になっていった。戦争は、普段から「平和、平和」といっている人たちが翼賛化する時に起こるということを目の当たりにしている。

 

 だから僕たちが今やっているのは、いかに護憲派の皆さんに正気に戻っていただけるかということだ。最近ようやく護憲派団体の一部が「まずは停戦。それが九条の精神だ」という発信をしてくれるようになった。まず日本の平和主義を正気に戻すこと。そこからやらないと何も始まらない。

 

 柳澤 外交が欠如していたら、軍事的抑止だけでは限界がある。危機的状況に陥ったときの外交の素地をアメリカは作っているが、日本はそういうパイプを持っていない。親中派とかそういう問題ではなく、日本のためにそれが必要だ。意見が合わない相手だからこそ話し合いの場を持っておくべきなのだ。

 

 護憲に関していえば、九条で戦争は止められるか? 止められない。なぜなら九条は日本国憲法であり、日本政府を縛ることはできても中国やロシアの政府を縛るわけにはいかない。だから護憲派であればあるほど、そういう戦争をどうやって起こさないようにするかという発想を持たなければ、現実で起きていることとマッチしない。

 

 政治を信頼していない若い人たちのなかでも「台湾を助けなければ」「ウクライナを助けなければ」という率直な正義感から戦争を支持するという傾向性も聞くが、実際に戦争になったときに誰が行くのか? 自衛隊なら死んでも良いのか? もっと身近なリアリティをもって戦争を捉えていくことが必要だと思う。

 

 これから10年後に仮に戦争があるとすれば、今から外交や若い人向けの発信を地道に積み上げていかなければ、「あのときこうしておけばよかった」という90年前と同じ後悔をすることになる。そういう意味での戦前の時期にあると思う。

 

 林 外交専門家に聞いた話では、昨年日本から台湾に行って「頑張れ、頑張れ」といった国会議員が120人いるという。一方、中国には最近、公明党が4人行ってやっと10人になった。これで「戦争をやめましょうね」という話し合いができるのか? これではダメなのだ。辛いところ、苦しいところ、難しいところにこそ、むしろ積極的に赴いて意志疎通を図ることが外交だ。そういうパイプを作る政治をやってほしいと思う。

 

停戦は正義の回復のために必要

 

 質問 イスラエルはユダヤ人国家であり、ユダヤ人は歴史的にはナチスドイツにジェノサイドをされた民族だ。その民族が今度はパレスチナにジェノサイドをする。世論調査でも3割以上がネタニヤフを支持している。どういう民族なのか?

 

 伊勢崎 まず「ユダヤ人が…」という主語で議論を始めることには賛同しかねる。今のネタニヤフ政権は戦時内閣であり、連立政権であることも忘れてはいけない。日本にもあるような極右勢力と同じ質のもっと激しい極右勢力。それはどんな社会にもある。それが力を持っている時期。それが今のイスラエルだ。だから、今イスラエルで起きていることは誰にでも起きることだ。

 

 9・11後のアメリカもそうだし、日本でも1世紀前の朝鮮人虐殺、第2次世界大戦中もそうだった。弱みを持っている政権、指導者であればこそ、戦争によって世論をまとめ、政治の力に仕立て上げる。これは共通している。まさに10・7が起きる前、ネタニヤフ政権はレームダック状態だった。非常に危うかったわけだ。それはこの戦争がエスカレートしていく要因の一つとして勘定していいと思う。この傾向は誰にでも起きる。

 

 質問 非戦を訴えてきた一員だが、ウクライナ戦争の即時停戦の訴えに賛成できなかった理由に、ロシア非難の感情とウクライナの抵抗権を尊重すべきという思いがあった。停戦した先、政治的な決着に至るものをどう担保するのか?

 

 伊勢崎 終戦、停戦、停戦にも暫定的停戦、持続的停戦、人道的一時休戦など、いろんな呼び名で語られて混乱するが、僕らが求めるのは、要するに「戦闘停止」だ。その直後から再建を始める。それは戦争によって傷つけられた正義の再建だ。戦争犯罪の訴追や領土問題も含む。大体そういう戦争での係争地にはマイノリティが住んでいる。その自決権をどうするかという話だ。これには時間がかかる。

 

 朝鮮半島に至っては、休戦が半永久化している。でも大規模な殺戮は起きていない。それを頭に入れながら、あれとは違う、もう少し正義が再建できるようなことを目指して停戦を訴えている。大前提として、戦争犯罪の裁定は、国際司法裁判所(ICJ)のガザの緊急措置を見てもわかるように、あと数年かかる。ジェノサイドでさえ数年かかり、その他のおびただしい戦争犯罪が現場でおこなわれている。停戦をする動機とは、係争地で起きている戦争犯罪をまず止めること。でなければ戦争犯罪が積み重なるだけだからだ。

 

 国際社会には一つ一つの戦争犯罪を裁くキャパがない。今後、戦犯法廷が国連安保理で決議されたとして、あるいは国際刑事裁判所(ICC)が動いたとしても5年、10年の話だ。その間、殺させておくのか? ということだ。

 

 さらに大事なのは証拠の風化を防ぐことだ。訴追には証拠が必要であり、証拠固めをしなければいけない。それも含めて再建だ。これを「移行期正義」という。正義を放棄したわけではなく、正義の構築のためにまず戦闘を止める。これはすでに世界各地で実践されている。

 

 ウクライナ戦争とガザ戦争は、国連ができ、ジュネーブ議定書ができた60年前、70年前の時代に世界が引き戻されたくらいのインパクトをもつ出来事だ。それをいかにまた前に進めるかということを実務家の僕は考える。本書に詳しく書いているのでぜひ読んでほしい。

 

【参考】自衛隊を活かす会:21世紀の憲法と防衛を考える会HP

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