いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

ガザ虐殺の歴史的背景を紐解く 虐殺はいかにして正当化されたか 岡真理×藤原辰史×駒込武 パネルディスカッション

 イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への殲(せん)滅戦が4カ月半にわたって続き、3万人をこえる人々が殺される事態に対して、世界的な抗議の運動が広がっている。このことに関して京都大学で13日におこなわれた公開セミナー「人文学の死――ガザのジェノサイドと近代500年のヨーロッパの植民地主義」では、基調講演「ヨーロッパ問題としてのパレスチナ問題」(岡真理・早稲田大学文学学術院教授)「ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち」(藤原辰史・京都大学人文科学研究所准教授)【いずれも既報】の後、それを深めるためのパネルディスカッションがおこなわれた。

 

パネルディスカッションをおこなう岡真理氏、藤原辰史氏、駒込武氏(13日、京都大学)

 パネルディスカッションでは、駒込武・京都大学教育学研究科教授(台湾近現代史)が司会を務め、岡氏と藤原氏が会場からの質問に答えながら、パレスチナ問題と日本を含む戦後世界との関連、そして人文学が果たすべき役割について論議を深めた。

 

◇       ◇

 

 駒込氏の「植民地支配の歴史を顧みるとき、戦争による占領という暴力の後、住民を生かして低賃金の労働力として使うことが、日本統治時代の台湾でもおこなわれた。昨年10月7日のガザの蜂起を生んだ背景には、現代の奴隷制といえるような植民地政策があったのではないか?」という質問に対して、岡氏は次のように答えた。

 

 「イスラエルは入植者植民地主義だ。だから先住民を殲滅する。1948年の最初の占領(ナクバ)では、イスラエルはヨルダン川西岸とガザは占領することはできなかったが、1967年の第三次中東戦争でこの両方も占領する。このときガザに閉じ込められた住民の7割は、1948年のイスラエル建国によって民族浄化されて土地を追われた難民たちだ。
 イスラエルが占領後に真っ先にやったのは、地場産業の破壊だった。占領地でパレスチナ人が生きていけない状況を作り、故国への帰還を目指していた難民たちは、占領下の社会で安い労働力として、辱められながら日銭を稼ぐことを強いられた。ガザはイスラエル経済の底辺を支える安価な労働力のプールにされていたのは事実だ。だが、現在のガザでのジェノサイドと西岸地区で起きている暴力的入植は、イスラエルが建国時から目指した“このすべてを自分たちのものにする”という目標の完遂だ。だから、使役というよりも可能な限り民族浄化(殺戮)する方向になっている。」

 

 続いて、藤原辰史氏に対してドイツの状況に関する質問があいついだ。「現在、ドイツ国内での親パレスチナ的運動への風当たりは?」「ドイツ人留学生とパレスチナ問題について話す機会があったが、二言目には“しかしドイツのパレスチナデモにはネオナチ(極右民族主義勢力)がいて…”という話になってしまう。実際はどうなのか?」「ドイツにおける親イスラエル的意識は国民全体にあるのか?」などの質問に対して、藤原氏は以下のようにのべた。

 

 「ドイツは、芸術に対してすごくお金を費やして若い人を支える国だが、たとえば反イスラエル的発言をした人は、たとえユダヤ人であっても“お金を出すのをやめます”という形でパージされることがある。非常にねじれているが、国の制度としてイスラエルに反対するとそのような形になる。
 だが、ドイツの新聞やニュースを見ると、ベルリンや大都市で“イスラエルの暴力がおかしい”“ジェノサイドじゃないか”とデモに参加する若い人が増えている。そこにカウンター的に親イスラエルのデモもある。その人たちは政府に操られているわけでも、極右なわけでもなく、ドイツの過去への向き合い方も含むシチズンシップ(市民の権利と義務)が攻撃されているという意識で、双方のデモがお互いに睨み合う状況もあるようだ。政府としてはアメリカと歩調を合わせているが、一般市民のデモではそれがまったく封殺されているわけではない。」

 

ガザへの爆撃に抗議するデモで掲げられたプラカード(2023年10月21日、独デュッセルドルフ)

ホロコースト 政治的資源に転化

 

 研究者の一人として意見を求められた橋本伸也・関西学院大学教授(ロシア・東欧近現代史)は、ホロコーストがなぜ世界の言論界を縛り付けるものになっていったのかについて問題を投げかけた。以下、その後の論議の要旨を紹介する(文責・編集部)。

 

 橋本 日本は「ホロコースト問題」が大好きな国だ。ホロコースト関連の本を出すとすごく売れるので出版社は出したがる。このようなメンタリティーがどのようにできあがったのかを考えると、1970年代に大きな流れが始まる。

 

 そのプロセスには二つの大きな流れがある。一つはアメリカだ。アメリカにおけるユダヤ人の政治的地位の高まり、あるいはアイデンティティーの政治が、1970年代のベトナム戦争後に一気に噴き出す。それまでナチスの残党はアメリカでぬくぬくと暮らしていたが、突然追及され始める。そのようにホロコーストの記憶が、アメリカによって奪われ、アメリカの政治問題となったことを「ホロコーストのアメリカ化」という言葉で紹介する英語の本が1冊だけある。

 

 そのようにしてできあがったものが、ハリウッド映画などを通じて日本に普及された。それが非常に心を打つ映画だから、みんながホロコーストに胸を痛め、その犠牲者たちに共感したわけだが、なぜ「アメリカ発」だったのかを考える必要がある。

 

 もう一つはドイツだ。ドイツで元々ホロコーストというのは左翼の学生運動がとりあげた話だったが、それがなぜこれほど支配的なイデオロギーになったのか。重要な基点は、1990年のドイツ(東西)統一だ。当時のコール首相は、保守的政治家であり歴史家だ。ホロコーストをフレームアップするような言説にずっと抵抗していた彼が、なぜホロコーストを政治的言説としてドイツ政治の中に持ち込む決意をしたのか。このプロセスは誰もきちんと検証していない。おそらくドイツ統一と関連している。

 

 この二つのことが合流することを通じて、もともと左翼的言説だったホロコーストは世界の支配的イデオロギーとしての地位を築き上げる。それを確立していくのが、2000年のストックホルム「ホロコースト・フォーラム」だ。「すべての国は、ホロコーストに対するみずからの責任を感じて反省しなければならない」という国際合意にさせられていく。ホロコースト犠牲者を悼む気持ちが、そのような国際政治のなかに持ち込まれ、世界を覆い尽くす力に転化された。

 

 イスラエルでもホロコースト生存者のことが歴史的に重要視されるのは1970年代以降のことであり、アメリカの動きと重なっている。これは単なる「反省」というものとは違う力が働いてきたのであって、反省し学ばなければならないことはたくさんあるが、このような変化があったことと区別して考えなければならない。なぜホロコーストはみんなを縛り上げるようになったのか。そのことによって見えなくなっていることがある。1970年代以降と冷戦終結後、私たちが生きる今がどのように形作られていったのか、社会科学的分析から見ていく必要があるのではないか。

 

岡真理氏

 岡 イスラエルは、みずからを「ホロコースト犠牲者の末裔(えい)」、あるいは「犠牲者であるユダヤ人の国である」と自己規定している。そして建国後3年目の1951年にドイツに対して賠償を求めている。だが、イスラエル建国当時、あるいは建国前のパレスチナのユダヤ人指導部が、ヨーロッパで起きているホロコースト――ユダヤ人迫害に対してどのような態度をとっていたか。

 

 イスラエル首相になるベン=グリオンは当時、「パレスチナにユダヤ国家を作るという運動(シオニズム運動)があるにもかかわらず、彼ら(ヨーロッパにいたユダヤ人)はパレスチナに来ず、ヨーロッパに留まったのだから自業自得だ」と非常に冷淡だった。パレスチナに入植してきたユダヤ人たちがヨーロッパで迫害されている親族を救出に行けないものかと申し出ても「気持ちはわかるが、今われわれはユダヤ国家建設のためにあらゆる資源を傾注すべきである」というふうにのべている。

 

 建国直後は、「イスラエル建国はユダヤ教の教えに反している」とユダヤ教正統派から批判されている。それに対しても「ホロコーストの犠牲になったユダヤ人は、抵抗もせずに唯々諾々と殺された、ディアスポラ(民族離散)で骨抜きにされたユダヤ人」であり、「武器を持って戦うわれわれシオニストこそが新たなユダヤ人」と反論した。つまり、自分たちのアイデンティティーを立ち上げるために、「否定すべき他者」としてホロコースト犠牲者のユダヤ人を利用した。

 

 しかし建国後、それまでは「ユダヤ国家建設」という世界のユダヤ人を束ねる大きな目標があったが、イスラエルが建国されると、ヨーロッパだけでなくアラブや中東イスラーム世界をはじめとする各地からやってきたバラバラのユダヤ教徒たちをどう国民として統合するかという問題が生まれる。そのときに発見されたのがホロコーストという資源だった。

 

 ホロコーストは、あくまでヨーロッパのキリスト教社会で起きたことだ。中東イスラーム世界では、キリスト教社会とは全然違うユダヤ教徒の歴史があったにもかかわらず、「反セム主義(反ユダヤ主義)は世界にあまねく存在しているのだから、いつ何どき第二のホロコーストがあるかわからない。だからこそシェルターとしての国家が必要だ」という論理で、イスラエルが国民統合していくためにホロコーストの記憶が利用された。

 

 藤原 ドイツ統一に関していえば、たとえば旧ユーゴスラビアから1991年に独立したクロアチアのトゥジマン大統領は、ドイツのコール首相やイスラエルのネタニヤフ首相と同じく歴史家だった。

 

 かつてナチス傀儡(かいらい)国家であったクロアチア独立国は、ユダヤ人だけでなく、セルビア人をたくさん殺してきた歴史がある。彼はその数字を修正して矮小化するような、いわばナチ的な人だが、コールが東西ドイツを統一するときにクロアチアはいち早く手を結ぶ。ドイツの建国を承認し、ドイツにクロアチアの将校を送って訓練をさせたりという形で、非常にねじれた関係があった。旧東ドイツと西ドイツが一つになって巨大化していく過程で、歴史的なゆがみが生じていることはその事例からも見えてくる。

 

 これまでは、ドイツの問題としては、東が西に統一されて、いわば労働市場とされたことで「AfD」のような右翼運動が生まれたという問いが多かったが、統一ドイツと「外」との関係に考えるべきことが多いと改めて感じる。

 

リベラル勢力の二枚舌への批判

 

 質問 ドイツにおける親イスラエル的言動には、イスラム・フォビア(恐怖症)という要素は関係していないか? たとえばドイツの人口構成において、トルコ系やシリア系移民など親パレスチナのイスラム教徒の割合が増加しつつある。

 

藤原辰史氏

 藤原 ドイツは政治家や旧リベラル系の人たちも一緒になって「AfD(ドイツのための選択肢)」という、ものすごく右翼的な党が急成長し、人々から支持を得ている。私の見方では今後、このAfDの支持率は上がる一方だろう。

 

 その理由として、現在のドイツにあるダブルスタンダード(二重基準)への批判がある。メルケルは多元主義的なものを認め、難民を受け入れようとしたが失敗した。リベラルといわれる人たちの「ロシアに侵攻されたウクライナの人々は大事だが、イスラエルに侵攻されたパレスチナの人々はそうでもない」という姿勢が政策から見えるのに、何を綺麗なことをいっているのか?と。エリートたちの二枚舌への強い批判だ。

 

 もちろんドイツには、表には出ないがヒトラーを支持するネオナチと呼ばれる人たちもいる。しかし、それ以上に深刻なのは、このAfDを支える人たちの心情であり、そこには政府の二枚舌が絡んでいる。そこにある種の反イスラム感情みたいなものが組み込まれつつある。そのような悪循環のようなものを見ていかなければいけないのではないか。

 

  私が代表を務める科研プロジェクトで昨年11月、トルコ系ドイツ人の弁護士さんを招いて連続講演会をおこない、ドイツにおける移民や難民に対するレイシズムについて話してもらった。そこでわかったのは、日本の「記憶の内戦」といわれていた90年代、「ドイツは過去の侵略加害の歴史に向き合い反省しているが、日本は反省していない」という図式で、「ドイツは日本が見習うべきモデル」のように紹介されていたが、結局ドイツはパレスチナを犠牲にしてユダヤ人への罪の罪滅ぼしをしてきた。同時にそれは、パレスチナ人をドイツの過去の犯罪の新たな犠牲者にすることだったということだ。

 

 そして、今まさに民族浄化をおこなうイスラエルを擁護・支援し、同じことが続いている。つまりドイツが反省したといっているのは、ヨーロッパのユダヤ人を大量殺害したことであって、レイシズムや植民地主義を反省したわけではないということだ。

 

 ユダヤ人と同じようにロマ、シンティを含め、レイシズムによってこれだけ殺したのだから、現代のドイツ社会にあってはネオナチに対するのと同じように中東に出自を持つ人々へのレイシズムを禁じているか? といえば、まったくそうではない。「反ユダヤ主義はいけない」と考える人たちであっても移民を排斥するレイシズムがあらわだ。そもそもレイシズムへの反省がない。

 

 さらには、トルコ系、アラブ系など中東から来た移民に対して「ホロコースト教育」なるものがされており、「過去の克服」に向き合っているドイツを敬う、あるいはドイツの加害の歴史に対してみずからも同じ加害者として向き合うことが、善良なドイツ市民の条件だとされている。

 

 たしかに歴史的に中東イスラーム世界でもユダヤ人に対する差別や迫害がなかったわけではない。それでも互いに共生してきた歴史的記憶をもっている者たちに対して、「いかにトルコ人がユダヤ人を差別したか。あなたたちも反ユダヤ主義者としての歴史があるんだ」と説く。

 

 しかし、彼らにとってはナチスによるユダヤ人迫害の歴史を聞くと、それはまさに今自分たちがドイツで体験しているレイシズムと重なる。とりわけパレスチナから来た者やアラブ人たちからすれば、イスラエルがパレスチナに対してやっていることをよく知っているわけだから、「これってイスラエルがパレスチナにやっていることじゃないか!」という。それはナチスに迫害されたユダヤ人への共感だ。

 

 しかし、まさに「ドイツのカテキズム(思考の硬直化)」にある「イスラエル批判、シオニズム批判=反ユダヤ主義」ということで、そのような言動は禁じられ、抑圧されることが起きている。

 

京都大学とイスラエル

 

 学生 こういう問題を考えるとき、資本主義やグローバル経済みたいなものの意図を無視することはできないと感じる。経済などの視点からこの問題を考えるという学問はないのかと思う。そういうことは陰謀論と結びつけられて、片付けられてしまうことが多くてモヤモヤする。何が起きているのかわからなくて苦しい。

 

 藤原 今日話していることは、言葉を恣意的に切りとられて「排外主義だ」といわれる危険性もあるので、言葉の使い方がものすごく難しくなってしまうのだが、やっぱり私が考えたいと思うのは日本の歴史だ。日本史における朝鮮特需を考えてみても、朝鮮戦争で日本は戦後の成長を遂げた。ベトナム戦争でまた成長を遂げる。西ドイツもパレスチナを犠牲にすることで戦後の経済復興をした。そういう比較研究の事例を見ていくことは可能だ。私たちが一番やりやすいのは、日本と朝鮮半島の戦後史で起きたことを考えることだと思う。

 

 もう一つは、「あれはユダヤ資本、これもユダヤ資本」で「ユダヤに支配されている」という議論がある。もちろんユダヤ人に世界が乗っとられているというのはすごく乱暴な議論だ。ただ企業史研究において、その企業が持つ歴史がどういう形で政治のなかにかかわっているかという議論はいくらあってもいいと思う。

 

 そのなかでユダヤ人に限らず、何かの特権や経済的意図を持っている人が政治的な場面に入ってきたときに見えてくる問題や、その中の一つとしてアメリカのイスラエルと深い関係がある企業や人間たちをとり上げていくことは可能だと思う。事実を丹念に追っていくことだ。

 

駒込武氏

 駒込 京都大学が昨年、三菱商事から6億円の寄付を受けた。三菱商事はテルアビブ(イスラエル)に多くの関連企業を持っている。そして京都大学はテルアビブ大学と提携している。私は三菱商事が提携しているイスラエルの企業を一通り調べたが、人造肉の開発などに関連する企業が絡んでいる。そんなとき京都大学に三菱商事がポンと6億円を出すことには当然意図がある。そしてイスラエルの企業や大学で、盗聴技術とか人を管理統制するためのテクノロジーが発展している。京都大学を含めてそうしたものと提携しようとしているところがあるのではないかという点も見落としてはならないと思う。

 

向き合うべき歴史とは

 

 岡 ドイツは「歴史に向き合っている」と自らを主張し、それによって「文明国」のなかで最も倫理的な高見にみずからを置いている。「(ホロコーストは)唯一無二の犯罪」というのは、それはもう二度と起きないというものだ。それに真摯に向き合っているドイツというのを、セールスポイントとして活用している。

 

 その向き合っている「歴史」とは何か。レーガン時代、クリントンの時代もだが、アメリカは第二次世界大戦中に日系人を強制収容所に入れたことを国として謝罪した。そうした過去の不正が謝罪され、補償されることは正しいことだが、その振る舞いには「われわれは正しく反省することができる国家なのだ」というものがある。では、アメリカが本当に過去の歴史的不正に向き合っているか? といえば極めて恣意的だ。先住民の独立運動も今もって抑圧しているのだ。

 

 ドイツの「歴史の克服」というときの「歴史」とは、極めて恣意的に選択された歴史ではないか。その選択には、極めて政治的、経済的なものが絡んでいると思わざるを得ない。植民地主義を反省していない国家が、純粋に自分たちの罪に向き合うという理由だけで、そういうものに向き合っているとは私は思えない。もしそうであるとすれば、パレスチナ人を犠牲にしてホロコーストの罪をあがなっていることが国家的な課題として浮上してくるはずだ。

 

 『ホロコースト産業』(ノーマン・G・フィンケルスタイン)というユダヤ系の学者が書いた本では、イスラエルがホロコーストをいかに利用したかを論じている。

 

 藤原 日本で起きてきたことをつぶさに見ていくといろいろなヒントが見えてくる。イスラエルによるジェノサイドの問題は、さまざまな歴史を知れば知るほど深くわかる。イスラエル、ドイツのことだけをやっていたら、ドイツのこともイスラエルのこともわからない。だからおそらく共同研究が必要だ。

 

 ノルベルト・フライ(ドイツ歴史学者)などのいい方は、反発する側、挑戦する側の言葉遣いについて「すごく汚い言葉だ」「過激である」という表現で「この人たちは礼節をわきまえた言論の水準に値しない」」といういい方をする。でも、抑圧されている側の言葉を、なぜ抑圧している側が選ばなければいけないのか。そのときに私たちは抑圧されている側の言葉を「荒っぽい」とか「乱暴だ」といわずに、ちゃんとその背景を知ることぐらいはやっていくべきだ。

 

 たとえファクトを間違えそうになっても、仲間たちとの間で修正していくような学びや相互批判の場をつくりながら、抑圧されている人たちの言葉を繋いでいくことが人文学ではないか。

 

  今必要なのは、本当の意味での世界史だ。私自身も含め学校で学んできたのは、結局、縦に切り分けられた――中国史と西洋史の合体させた――ものであって、グローブ(地球規模)の世界史にはなっていない。同時代的な、通史的な世界の歴史をグローバルに把握することが必要だ。

 

 駒込 「何ができるのか」という問いへの答えとして、京都でも毎週土曜日に京都市役所前でジェノサイドをやめろというデモをやっているが、これを何倍にも広げて対外的に示すこと。それぞれの地域、関わっている組織がイスラエルとどのようなつながりを持っているのかを知り、場合によってはボイコット運動を組織していくこと。さらには長期的に見て、植民地主義批判を核とした世界史教育を構築していくことが必要だと思う。

関連する記事

この記事へのコメント

  1. 現在の奴隷制というべき植民地政策が、戦争という占領の暴力の後住民を生かして低賃金の労働力として使われていることを、実感さました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。