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長崎「原爆と戦争展」開幕 植民地状態打開へ熱帯びる交流

 第8回長崎「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる長崎の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる広島の会)が1日、長崎市の長崎西洋館イベントホールで開幕した。被爆から67年目を迎えるなかで開かれた同展は、被爆市民の強い期待を集め、100名を超える賛同者の手で準備されてきた。東日本大震災、原発事故から1年余りが経ち、全国的な先行きが見えぬ混迷状況が深まるなかで、第2次大戦から続く戦後社会を見つめ直し、日本の独立と「二度と戦争を繰り返させぬ」という長崎市民の世論を示す運動としてとりくまれた。会場は、世代を超えた交流の場となっている。
 会場には、主催する「長崎の会」の被爆者や会員が常駐し、受付や案内、体験証言などを精力的に担っている。展示には、満州事変から始まる第2次大戦、原爆と峠三吉の詩、戦後社会に至るパネル、さらに福島原発事故特集パネルなど150点が掲示され、広島、長崎の被爆資料、下関市民から寄せられた空襲資料なども並べられている。
 さらに今回から、「“アジア重視”戦略下の米軍再編」「アメリカの植民地支配からの脱却」と題したパネルが追加され、米軍の戦略が今までの「二正面作戦」から「アジア太平洋重視」へと変わり、国内六港を新たに米軍の重要港に指定したり、軍事施設や米軍基地を結ぶ軍用道路が矢継ぎ早に建設されるなど日本をアメリカ本土防衛の盾にする政策が実行されていることを指摘。
 そのもとで強行される原発再稼働、消費税増税、TPPなどの植民地的な政策に対して噴き上がる全国各地の人人の声を紹介し、躍動する全国世論を伝えている。

 体験伝える意欲溢れる 開 幕 式 

 午前10時の開幕と同時に「原爆と戦争展」の準備を進めてきた被爆者や賛同者、参観を心待ちにしていた市民などが集まって開幕式が開かれた。
 最初に原爆展を成功させる長崎の会の吉山昭子会長が挨拶。「今年も原爆と戦争展を開催することができて非常にありがたく思っている。私は16歳のとき、女学校2年生で被爆した。二度とあのようなことをくり返してはいけない。参観されている人たちにもどんどん語っていきましょう」と力強く語りかけた。
 続いて、原爆展を成功させる広島の会の重力敬三会長と下関原爆被害者の会の石川幸子副会長から寄せられたメッセージが代読された。
 重力氏は「暑い夏が近づくと、被爆の日のことが頭のなかから蘇り、なんとも筆舌に尽くしがたい気持ちが体全体をかけめぐります」。しかし、アメリカはいまだに原爆投下を謝罪しないどころか、数百万の命を救うためだったと開き直り、オバマ大統領が「核なき世界」と演説した今も4000発以上の核弾頭を保有し続けているとし、「日本にある米軍基地問題は、戦後六七年たってもなかなか良い方向に進展しないまま、だんだんと戦争を始めようとする空気が強くなっています。私たち同志は、命をかけても核を廃絶し、戦争を阻止しなければなりません。日本社会が独立して平和になり、世界が平和になりますよう、皆様頑張りましょう」と呼びかけた。
 石川氏は、下関から始まった原爆展が広島、長崎、沖縄と広がりを見せていることへの感動とともに、「戦争があったことさえ忘れ去られようとし、さらに世界は新たな危機に直面しているとき、異常気象、経済危機、原発危機等、不安定な時勢です。それだけに、一人でも多くの人に見ていただき、日本を変えていく力になればと思います」と激励を送った。
 田上富久長崎市長のメッセージを紹介したあと、参加した被爆者を代表して中里喜美子氏と金子カズエ氏が決意をのべた。
 5歳のときに被爆した中里氏は、先日、原爆展キャラバンで市内3カ所を回り、多くの市民から共感が寄せられたことを紹介。「私も、親を亡くしたことで戦後の苦労もたくさんあり、思い出すのも嫌だったが、子どもたちに二度と同じような思いをさせないように頑張っていきたい」とのべた。
 金子氏は、「郵便局勤務中で16歳のときに被爆し、爆風でつぶれた家の下敷きになったが必死にはい出して助かった。だが、67年たってガンが見つかった。最近ようやく通院生活になったが、去年はずっと入退院をくり返していた。原爆は子、孫の代まで大変なことになる。二度と使って欲しくないし、絶対に反対していかないといけない」と切実な気持ちを語った。

 真実の展示に出会えた 参観者が深く感動 

 会場には、毎年見に来ているという人も多く、被爆者や戦争体験者をはじめ、現役世代や親子連れ、学生、旅行者などが訪れ、親が被爆者と一緒にパネルを一枚一枚子どもに説明しながら参観する姿も目立った。
 幼い子どもを連れ、夫婦で参観した男性はじっくりと時間をかけて展示を見たあと、「長崎出身で平和教育を受けてきたが、子どもが生まれてもっと本気で考えるようになった。今、原発再稼働などといっているが、原発があるということはすぐにでも核兵器が作れるということだ。原爆でこれほどの目に遭いながら、まだ核兵器が作れるような状態にあることが間違っている。反対するためにも歴史を知らなければいけない」と話した。
 また、「今はなんでもアメリカのいいなりになって情けない。植民地と変わらない。この状態も第2次世界大戦からはじまっている。消費税増税など底辺の人間をいじめるようなことばかりやって今以上に格差が広がる。野田のような国民の意見を一つも聞かずに進めることがリーダーシップではない! と腹が立ってしょうがない。政権交代のときの選挙の前に会社の動員で民主党の集会に行ったが、信用できなかった。案の定、公約をすべてひっくり返している」と怒りを語った。
 「若い人がもっと知り、行動を起こしていかないといけない。東京の首相官邸前で抗議行動が起こっているが、自分もすぐにでも行きたい気分だ。戦争を昔の出来事にしてはいけない。もっと声を上げていきたい」と力強く語った。
 50歳で元自衛官の男性は、「自分たちの若いときには戦地や戦争体験者が現役でいた。戦争をくぐった世代と戦後世代ではまるきり違う。精神面の強さ、世界観など絶対にこえられない線があった。戦後社会の現状と若い人たちの精神面の弱さは、団塊の世代と自分たち世代がしっかりしてこなかったことに一因がある」とのべた。
 「原発もはじめから核武装のためのものだし、原発再稼動もアメリカが要求している。世界一番の原発商社の日本が、原発を動かすことで世界に売り込むことができるからだ。問題になっている北朝鮮の原発などは、全部合わせて5000㌔㍗くらいのものだが、日本は100万㌔㍗が50基もある。しかも、あと3年ぐらいしたら使用済み核燃料も埋めるところがないのにマスコミは真実を隠す。情報化社会といわれるが、情報統制は戦前よりもっとひどくなっている。明治維新をやった日本人、世界に類例のない革命をやった民族として、立ち向かわないといけない。若い子たちのためにもこういう展示は力になる」と期待を語った。
 夫婦で訪れた50代の婦人教師は、「自分は被爆2世で、毎年行きたいと思っていたが、やっと今年来れた」と語り、「父も、祖母も50代でガンで亡くなっている。福島原発が爆発し、国民はだれも望んでいない再稼働が政治家の独断で決まっていくことが許せない。消費税増税も、選挙公約とまったく逆のことをやっても平気。逆に反対した議員がメディアから叩かれている。選挙で国民の意志が国政に反映されるなど、ただのたてまえでしかない。峠三吉さんの詩は胸に迫ってくるものがあり、被爆2世として子どもたちにもぜひ伝えたい」と語って、賛同者となり、峠三吉の詩集やパネル冊子を買い求めた。
 佐世保市から来た20代の社会人男性は、東京の大学に進学し、戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』を読んだとき、「同じ学生として、長崎出身の人間としてなにも知らないことに恥ずかしさを感じた。長崎に帰って郷土の歴史を勉強し直そうと思ったが、佐世保には佐世保空襲の資料館もなく、浦頭にある引揚記念館も内容が煩雑でショックを受けた。熱くなっているのは自分だけなのかと思っていたが、このような戦争の真実を伝える展示に出会えたことがうれしい」と感動をのべた。
 大学で学んだ法律学は法令を暗記するだけだったが、「憲法の基本的人権を見ても、第2次大戦の多大な犠牲を踏まえて明記されていることや、地方自治、三権分立なども同じような哲学から生まれたものだと思う。戦争の経験がかき消されていくことは、地方の衰退にもつながると思うし、地域おこしの原動力にもなるような歴史の継承をやっていくべきだと思う。この展示は知識だけでなく、人の感情を動かしていく力がある。自分も力になりたい」と協力を申し出た。
 佐々町から訪れた夫婦は、会場で被爆者から体験を聞き、「放射能の危険性が騒がれているが、被爆者としてどう感じているのか」と質問した。被爆者は、「私たちは“毒が入っている”といわれた水も飲み、野菜も食べ、爆心地から2㌔以内で生活しながら復興させてきた」「今は“あれはするな”“これもするな”といって住民を縛り付けているのはおかしい」と応え、長崎や広島の経験やデータがありながら黙殺を続ける日米政府の対応について論議。
 「昨年に続いて2回目の参観になるが、ここに来るたびに奮い立つものがある。それは、被爆者の人たちは毎日感じていることだと思う。子どもの教育にも、このような経験を伝えていくことが必要。自分たち戦後世代との違いをもっと知らないといけない」と語り、原爆展運動への協力を続けていく意気込みをのべた。
 原爆と戦争展は、8日まで開催され、最終日の午後1時からは、広島、下関の被爆者も交えた交流会が開かれる。

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