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原爆展成功させる広島の会総会 全広島を代表し戦争阻止へ

 「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)は25日、広島市の東区総合福祉センターで今年度の総会を開いた。会議には、被爆者、戦争体験者、被爆二世、主婦、学生、下関原爆被害者の会の被爆者など40名が参加。8・6を基点にした年間を通じた活動で、全市、全国的な影響力を強めてきた今年の到達点を明らかにし、原水爆禁止と戦争阻止、平和な社会の実現を求める市民的な基盤をさらに強化し、若い世代と結んだ運動を全市全国に発信していくことを誓い合う論議となった。

 若い世代と連携深め基盤強化

 はじめに全員で原爆犠牲者への黙祷を捧げた後、広島の会の重力会長が挨拶。今年1年、会員の奮斗と市民の協力によって精力的な活動がおこなわれ、会員の拡大も進んだことへのお礼とともに来年度の飛躍に向けた活発な論議を呼びかけた。
 続いて、下関原爆被害者の会の大松妙子会長のメッセージを同会副会長の升本勝子氏が代読。11日に下関市で開催された劇団はぐるま座創立60周年記念集会で広島、長崎、下関の被爆者がともに詩の朗読をおこなって絆が深まったことに感謝をのべ、広島の活発な活動に励まされていること、下関でも昨今、学校からの体験証言依頼が増えていることを報告し、これからも下関市民、教師、子どもたちとともに「国民無視の政治を変え、平和な未来をつくるために頑張る」と決意を伝えた。
 また、原爆展を成功させる長崎の会・吉山昭子会長の「いかなる理由があれ、戦争は絶対に起こしてはいけません。アメリカのいいなりになってはいけません。若い人たちに受け継いでもらうために、広島のみなさまも私たちと一緒に最後まで頑張っていただきたい」とのメッセージも紹介された。
 続いて、来賓として長周新聞社の竹下一氏、劇団はぐるま座の岡田真由美氏が挨拶。
 竹下氏は、「旧日本銀行広島支店で第1回広島原爆展を開催してから11年の活動を通じて広島の様相が様変わりし、その原動力となった広島の会が、市民の願いを代表し、広島の本当の声を全国、世界に発信していく勢力として大きく躍進されてきた。これが日本の独立と平和を目指す最大の保障になっている」とのべた。
 そのうえで「この原水爆禁止、平和運動を基軸にして、平和の担い手を育てる教育運動、劇団はぐるま座など文化芸術運動が発展し、それによって地域、職業、それぞれ立場の垣根を越えて日本全国でたたかう人人との団結が深まっている。それは、私利私欲なく誠心誠意人人に奉仕し、人人を結びつけていく勢力への期待となっており、広島の会がさまざまな困難を克服して発展されたことも“私利私欲なく市民を代表する”ことで団結されてきたことへの強い支持のあらわれだと思う。国政は“コップの中”の総選挙で翼賛化しているが、人人の真実の願いを束ねた全国的な運動も大きく発展しており、この展望を確信し、みなさんとともに奮斗したい」とのべた。
 岡田氏は、はぐるま座60周年記念集会の大成功に対する感謝をのべ、原爆展運動10年を描いた劇『原爆展物語』の上演活動は、劇団内にあった自己満足、売名的な古い体質を一掃して「自分たちの立場を変える大激動」の過程であったことを報告。公演活動は各地で大きな反響を呼び、「広島の会とともに原爆展運動をやっていきたい」「このような運動で地域を変えていきたい」という人人と結びつきを深めながら、原爆展で出会った青年の入団があいついでいることも明かし、「みなさんとともに全国隅隅に平和の力を創るために努力していきたい」とのべた。
 続いて事務局が今年度の活動報告と来年度の活動方針を提起。
 昨年11月の南区民文化センターを含め、今年は2月の廿日市市(第7回)を皮切りに、呉市・大和ミュージアム(第6回)、広島大学中央図書館(第7回)、北広島町(第4回)、広島修道大学図書館(第6回)、8月の広島市産業会館(第11回)、広島市立本川小学校平和資料館など8会場で「原爆と戦争展」を開催し、約6500人が参観。
 さらに、修学旅行では春、夏あわせ11校(山口県五市町、大阪市、滋賀県、高知市、江田島市)の生徒に、のべ87人の被爆者が体験を語り、地元広島では12校1園の小・中学校、保育園の子どもたちにのべ72人が体験を語った。
 また、県立広島大学、広島大学、修道大学などで被爆体験や原爆展運動を学ぶ特別授業がおこなわれ、広島の会から被爆者が講師として招かれたり、三次市でもはぐるま座公演をとりくんだ市民による原爆と戦争展が開催され、広島の会との交流がおこなわれるなど活動範囲が大きく広がったことも報告。
 下関原爆展事務局と連携して、学生、青年を主体に平和公園で「原爆と戦争展」街頭展示が年間を通じて毎月2回おこなわれ、学生と被爆者との共同のとりくみとして定着し、広島に学びに来る全国、海外の訪問者との交流が発展していること、また、長崎「原爆と戦争展」(6月)、人民教育集会(8月・下関)、劇団はぐるま座創立60周年記念集会(下関)などを通じて、原水爆戦争を阻止し、平和な社会を築く全国的な運動と結びついてきたことも明らかにされた。

 熱気こもる意見相次ぐ 全国の期待に応える 

 参加者からは、1年間の活動への確信とともに、総選挙にあらわれている戦争情勢のなかで全国的に高まる独立、平和への願いを束ねていく決意があいついで語られた。
 精力的に活動を担ってきた男性被爆者は、1年間の活動を振り返り、「とりわけ学生や若い人たちの自分から学んで行動していく意欲が非常に強い。平和公園での街頭展示を月2回必ずやってくれている。そこに毎回修学旅行生が訪れ、東京、千葉、愛知、関西など各地の若い人が熱心に立ち寄って話を聞いてくれる。京都から来てスタッフとして参加した青年は“これからの人生に生かしたい”と熱意を語っていた。この手応えを力にして、これからもできるだけ多くの人に語りたい」とのべた。
 また、「総選挙が近づいているが、現民主党政府の情けなさもさることながら、もう政権を取ったような顔をしている自民党は、憲法を変えて集団的自衛権を発動する、自衛隊を国防軍にすると公然といっている。第三極を称する石原氏は“核武装のシミュレーションをせよ”といい、橋下氏も“核廃絶は不可能”と発言するなど、非常な危険な空気が漂っている。今の政治家は、国民のことよりも自分の立場、政党の利益を平気で優先する許せない実態だ。私たちがやるべきことは、そんなものに惑わされず、国民みんなの声として真から平和を願い、戦争反対、核兵器廃絶、原発の廃止をしっかり訴え続けていくことだ。地道であるがこれが最大の保障であり、これまでやってきたことを確信をもって頑張っていきたい」と力強くのべた。
 同じく婦人被爆者は、はぐるま座60周年集会に参加したことに触れ、「400人の会場が一体になって、熱のこもった発言を学び、心楽しくこれからも頑張ろうとつくづく感じる集会だった。私は“あの六七年前の悲惨な出来事を、学生さんや先生方、どうか忘れないでほしい。戦争と原爆は二度と起こしてはならないし、私たちも力を合わせてこれからも頑張るので、みなさんも頑張ってほしい”と伝えた。一年間で出会ったかわいい子どもたちのためにも、私の使命を体の続く限り頑張ろうと思う」と噛みしめるように語った。
 原爆展スタッフとして参加してきた女子大学生は、「教師を目指す者として、知らないことを知って伝えていける人間になりたいと思って八月から活動に参加した。人生初の選挙が今回の総選挙だが、“どの人も同じで、なにをいっているのかわからない”と友だち同士でも話題になる。とくに石原前都知事の核武装発言には疑問を感じるが、私を含めた若い世代は戦争や原爆について知らないために、政治家に踊らされやすい世代でもあるとの不安もある。戦前の帝国主義への回帰を促すような教育の流れもあるが、自分たちの正しい進路は本当の事実を知ることでしか定まらないと思う。みなさんの協力をいただきながらこれからも学んでいきたい」と語った。
 北広島町の社会人男性は、地元で4回目の原爆と戦争展をし、町民から非常に喜ばれたことを明かし、「涙を流される方もおられ、日本の現状を心配している人たちの切実な思いを改めて感じた。この運動を継続し、広げることが急がれる課題だと思う」とのべた。
 また、「名の売れた有名な人が運動から離れていくことに不安を感じることもあったが、私利私欲ない精神で市民のために運動を続けていくことが大切なのだと教えられたのが、先日のはぐるま座60周年記念集会だった。全国から集まった人人の日本の将来を心配して変えていく決意は、自分の立場を問い直された。総選挙でどこが与党になってもこのままでは戦争になる。その根本の原因として、日本がアメリカのいいなりになっている原爆投下以後の現状を直視し、“平和と独立のために”のスローガンを堂堂と掲げて私利私欲なく活動しているのは、この運動以外にない。これからも広島、長崎、下関、長周新聞、はぐるま座、教育同盟などのみなさんとともに活動する一人として頑張っていきたい」と決意を込めて語った。
 熱気のこもったそれぞれの意見に大きな拍手が送られ、最後に、今年の到達点に立って来年度はさらに若い世代との連携を深めながら、より多面的な活動を展開していくことが全員の拍手で確認された。

 次世代からも強い意欲 懇親会で交流 

 その後の懇親会では、初参加の市民を含めて和やかな雰囲気で交流がおこなわれ、「毎月の平和公園での街頭原爆展は、表面的には見えない全国、世界の人たちの本音の願いを形にするものになっている。今後は、関わっている学生が継続してやっていけるように学生同士の気持ちを共有し合う場もつくっていきたい」(女子学生)、「初めてスタッフとして参加したが、被爆者の方方と活動するなかで、亡くなった父母の思いを初めて知るような感動があった。2世の私たちが受け継いで次の世代に伝えていきたい」(婦人)など活発な意見があいついだ。
 また、「広島の運動の端緒を切り開かれたのは、11年前、旧日本銀行広島支店での原爆展を準備してきた下関の人人の力が大きかった。広島では“禁・協”のしがらみのなかで葛藤を通じながら基礎がつくられたと思う。その経験も次の世代に伝えないといけない」(男性被爆者)、「政治家はいい加減にしてほしい。総選挙は棄権したい気持ちだ。広島から全国の人たちの思いを束ねていく運動をやっていかないといけない」(婦人被爆者)など、若い世代への期待とともに力強い運動基盤を広げていく意欲溢れる交流となった。

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