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広島「原爆と戦争展」 戦争止める体験継承の大交流

 広島市中区袋町のひと・まちプラザ4階ギャラリーで開催中の第15回広島「原爆と戦争展」には、連日多くの参観者が訪れている。八・六が近づくなかで広島を訪れる人の数は日に日に増しており、街頭で配布されるチラシを受けとり会場を訪れる人や、自宅周辺や商店など市内中に掲示されているポスターを見て「広島の本当の声を聞きたい」と積極的に足を運んでいる。パネル参観や被爆者との交流を通じて、被爆者同士が思いのたけを語りあったり、若い世代には被爆当時の凄惨な体験を伝えるとともに、戦地の体験や全国空襲、沖縄戦など第2次大戦から続く現在の日本社会の現実を認識し、新たな戦争情勢に立ち向かうための旺盛な論議がおこなわれている。
 
 米本国でも原爆に謝罪をの世論  注目集める東京大空襲パネル

 会場では、「毎年見せてもらっている」という広島市民をはじめ、東京、愛知、新潟、大阪、滋賀、福岡など全国各地から夏休み期間を利用して訪れる親子連れや高校生、大学生、教員など若い世代の参観が目立っている。被爆者の高齢化が進むなかで「直に体験を聞き、その思いを受け継ぎたい」という要求は例年に増して強く、被爆者の話に真剣に耳を傾けている。
 今年広島の会の被爆者を招いて被爆体験を学んだ広島市内の小学校長は、熱心にパネルを見た後に被爆者と交流し、「原爆の悲惨さはもちろん、人を殺すことが当たり前の戦争を絶対に許してはいけないと実感した。広島市の平和教育プログラムにも被爆体験の継承という科目があるが、どうしても書物や映像による授業になってしまう。これまで被爆体験証言による学習を続けてきたが、被爆者の思いや実体験にもとづく生の声に勝る教材は他にない。これからもできる限り子どもたちに貴重な被爆体験を聞かせていきたいし、広島から世界に平和を発信していける人材を育てていかないといけない」と熱を込めて語り、被爆者に感謝をのべてカンパを寄せていった。
 また、毎年修学旅行で同会の被爆者から体験を学んでいる滋賀県の小学校教師3人が被爆者たちに挨拶に訪れたり、奈良県から修学旅行の下見に来た教師などが街頭で配布されたチラシを見て集団で会場を訪れた。被爆し変形した瓶や熱線で表面が溶けて固まった瓦や、当時の軍服、手帳などの市民提供資料を長時間かけて見ながら、パネルを参観し、被爆者から体験を真剣に聞いていた。「被爆者の生の声は全然重みが違うと感じた。これほどの展示を見たのははじめてで大変勉強になった」と話し、教材としてパネル冊子などを求めていった。
 東京都から訪れた20代の女性教師は、「祖父が広島で被爆したが、死ぬまで一切原爆のことは話さなかった。もっと聞いておけばと後悔した。広島に来ればなにか分かるかと思って参観した。東京でも東京大空襲で大勢の人が亡くなっているが、今の東京の子どもたちにとっては過去の出来事であり、歴史上の“名称”としてしか認知されていないと感じる。原爆だけではなく過去の日本で起こった戦争の歴史を受け継いでいく活動に私も参加したいし、教師としてどう子どもに教えていくべきか模索している最中だが、真剣に考えていかないといけないテーマだ」と語った。 
 大学で外国語を教えている女性教員は、「現政権が戦争への道を開こうとしている。被爆二世として戦争を食い止めるためになにかできないかと思い、昨年から被爆体験の通訳やガイドにかかわってきた。この展示を見て、絶対に戦争をくり返してはいけないと強く感じている」と強い口調でのべ、広島の会への協力を申し出た。
 別の被爆2世の女性も「保育園で保母をしているが、子どもたちに戦争の絵を描かせると、血を流しながら笑っている絵を描いている。原爆を知識としてだけでなく、被爆者の感情を伝えなければ意味がないと思い、被爆体験の伝承者になろうと決心した。次世代としてなにができるのか考えていきたい」とのべて賛同者に加わるなど、継承者として行動を求める被爆2世の来場も目立っている。
 愛知県から6人で参観した演劇サークルの学生たちは「今度、原爆に関する舞台をとりくむので、被爆の実情を自分たち自身が知らなければと思って広島へ来た」といい、熱心に展示を見た後、時間をかけて被爆体験を聞いた。学生たちは、「原爆資料館では見られなかった兵士の体験記やなまなましい写真の数数が展示されており、より一層、戦争や原爆の恐ろしさ、悲惨さの理解を深めることができた。昔起こったことをありのまま、次の世代へ語り継いでいく。これはわれわれの使命だと痛感した。8月に『はだしのゲン』に出演するが、演技を通じ、戦争の悲惨さを表現し、少しでもお力添えができればと思う」(21歳・男性)、「兵士の写真を見て、昔の出征する人の気持ちや戦地の現実を知れてよかった。『ビルマの竪琴』の劇に出演したことがあるが、実際はもっと絶望的なものであると感じた。原爆の資料の中では、焼けた町、人を見て悲惨な光景に言葉が出なかった。諸説あるが、実行に移したことに対し、許せないと思う」(23歳・男性)と感想を記していった。
 集団で訪れた広島市内の女子高校生は2人の被爆者から体験を学んだ。学校では被爆者から聞いた体験を絵に残すプロジェクトを進めており、被爆や戦争の実態を学ぶために自発的に会場を訪れた。「教科書では一文で済まされていたり、書かれていないことが写真と一緒に説明されていて、とても勉強になった。特に、広島に住んでいても知らない原爆のことや広島以外の地域の戦争被害を知ることができ、“戦争”が何なのか、自分が今まで聞いていたものは“戦争”だったのかと思うほどの衝撃があった。今回、被爆体験を聞かせていただき、国が世論や人人の気持ちまでも動かして、戦争を強いていたんだと感じた。これからもっともっと勉強をして本当の戦争とは何なのか知りたい」と感想を記していった。

 今も貧乏になり戦争へ 本当のこと知りたい 

 今回の原爆展から新たに加えられた「語れなかった東京大空襲の真実」や安保法制反対世論の盛り上がり、世界的な戦争情勢とかかわった日本政府の姿勢について描いたパネルが注目を集めている。
 展示前半の「貧乏になって戦争がはじまった」という状況や、終戦後も日本の財界がアメリカ支配の下で守られ利益を拡大していったことが、現在再び戦争の危機が迫っていることへの危惧と結びついた問題意識と繋がって強い反響を呼んでいる。
 東京都から訪れた男子大学生は、被爆者に質問をしながら二時間近く交流したあと、次のように語った。
 「戦争の歴史を振り返り学習する度に、いかに自分が無知であるかを思い知らされる。今の時代、本当のことを学ぶには自分から行動をおこすしかないと思い、広島に来た。今も昔も戦争で苦しみ、犠牲になるのはいつも貧困層や一般人だ。“貧乏になって戦争に”と展示にあるが、今も学生や若者は学費や奨学金の返済、高齢者は年金や金銭問題など目の前のことに目を奪われ、世間の情勢を見る余裕が持てない。財閥など大金持ちは戦後も安泰で、そういう者がまた戦争でもうけようとしており、過去と同じことがくり返されようとしている」。
 東京から親子孫の3世代で訪れた婦人は、「原爆資料館にはあまり資料がなくて残念だったが、この展示でたくさんのことを学んだ。私の家も3月10日の東京大空襲ですべて燃えてしまった。田舎に親戚もいないので食べるものがなく、毎日空腹で大変だったところにアメリカから脱脂粉乳が送られて飢えをしのいでいた。父は反戦主義者だったから戦時中からずっと“勝てるわけがない”といっていた。最高司令官として戦争を指揮した天皇がなぜ生き残っているのか、米軍はなぜ皇居を狙わなかったのかずっと疑問に思っていたが、アメリカと上層部が結託していたことを知って初めて納得できた。昨年は安保法反対で国会前のデモにも参加した。こんなバカげた戦争のために孫たちの命を奪われるわけにはいかない。じっとしているのではなく行動しなければだめだ」と語った。
 自動車関連企業で働く50代の男性は、「グローバル化といえば聞こえはいいが、自動車産業でも従業員や下請企業は搾りとられ、金を出しただけの株主の配当や意見が尊重される構造が貧困化を生み出している。自分の会社でもマツダ単独ではやっていけなくなり、仕事は忙しいが収入は減る一方。政府補助金もメーカーが独占するだけだ。安倍政府も国民から預かった年金を投機に流し込んで5兆円も損失を出したが、こんなことが大手を振ってまかり通ることに問題がある。アメリカの要求を受け入れていけば、日本の少子化も歯止めがかからないのではないか」と問題意識を語った。
 会場には外国人も訪れて、真剣にパネルを参観している。
 平和公園での街頭原爆展を参観後、教師をしている娘と一緒に会場を訪れたアメリカ人女性(編集者)は、「アメリカに原爆投下の謝罪を要求する」との広島アピール全文を読み、「この通りだ。アメリカが原爆を投下する正当な理由は全くなかった。オバマが広島を訪れた際には、アメリカ本国でも原爆投下の謝罪をすべきだという世論が非常に強まったし、帰国後の現在もそれは続いている。さらに沖縄でも、とても残虐な戦争をしたうえにいまだに米軍基地が占領している実態を非常に心苦しく思う。米軍は沖縄からも南朝鮮からもすぐに撤退するべきだ」と強い口調でのべた。「オバマ大統領にはこれまでと違うものを期待していたが、残念な結果になってしまった。大統領選ではバーニー・サンダースが戦争反対や格差是正を主張し、20代、30代の若者たちの大きなムーブメントになった。原爆についても多くのアメリカ人が知るべきだし、この展示会をセントラルパークでやれば注目を集めるだろう。すばらしい仕事だ」と共感をあらわした。
 教師をしている娘も「この展示会から多くのことを学んだ。広島についてアメリカの学校で習った少しの知識は持っていた。しかし、東京大空襲、飢えや病気で死んでいった日本兵の苦難、日本におけるGHQの検閲や食料不足などについては知らなかった。このような貴重な価値ある展示会に感謝している」と感想を記し、「このパネルをつくったのは誰なのか」「世界のどれだけの人がこの展示を見に来るのか」と疑問を投げかけた。原爆展運動のなかで広島・長崎市民をはじめ、全国の戦争体験者の声を集めて作成していったことを知ると、「ニューヨークにはホロコースト記念館があり、ユダヤ人捕虜のなまなましい体験が展示されているが、この原爆展にも同じく真実の叫びを感じる。非常に貴重な運動であり、世界に広がることを祈っている」とのべ握手を求めた。
 2人連れで訪れたスイス人は、「この展示会は原爆の被害と原爆投下は必要なかったということを理解するうえで必要な情報が含まれている。私は核兵器のない世界を建設するために人人に情報を提供するこのような活動を全面的に支持する」(男性)、「原爆の実相とその恐ろしい結果について見識を広げる、このような重要な活動は全面的に支持する。このような情報は他のどこでも見ることはできない。この広島でしか見ることができない貴重なものだと感じる。ここでは戦争から今日までの日本の歴史について多くのことを学んだ。私はそのことを大事にしていきたい」(女性)と感想を記した。

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