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夏の京都彩る鱧(ハモ)の産地 宇部岬で密着

カゴから飛びだそうとするハモ

 山口県宇部市にある山口県漁協宇部統括支店(宇部岬)ではこの時期、底引き網漁でとれるハモの水揚げがおこなわれている。ハモといえば夏の京都の味覚を代表する食材として知られており、祇園祭の時期になると山口県内はじめ瀬戸内海でとれたものが上送りで出荷され、高値で取引されている。「祇園祭」は別名「鱧(はも)祭り」と呼ばれるほどで、この時期に一気に需要が高まり、高級料亭でもとり扱われる。ハモは昔から「梅雨の雨を飲んで美味くなる」といわれ、梅雨明けから産卵を控える夏の盛りにかけて荒食いすることで脂が乗り、旬を迎える。宇部岬でとれるハモも京都をはじめ大阪など関西へと出荷している。祇園祭が終盤にさしかかった7月下旬、宇部岬でとれたハモがどのように出荷されているのか、活きの良いハモを届けるために漁師たちはどのような努力や工夫をしているのか取材した。

 

 そもそもなぜ京都では夏の暑い時期にハモが好まれるようになったのか。現在ほど輸送手段が発達していない時代、ただでさえ魚が少なくなる夏の時期には、産地から送られてくる魚は暑さでみな弱ってしまい、都で鮮度の良い魚を仕入れることは至難の業とされていた。このなかで、他の魚に比べ生命力の強いハモだけは暑さの下でも生きたまま京都へ届けることができた。「京都のハモは山でとれる」といういい伝えもあり、活きの良いハモが山中を走る飛脚便から逃げ出し、拾い残しを山の人人が見つけた際に、まだ生きていたことからそういわれるようになったという。

 

 夏でも活きの良い状態で手に入り、さらにこの魚が梅雨明けから夏場にかけた時期に旬を迎え、それがちょうど祇園祭の時期と重なることから、季節の風物詩ともいえる食文化として根付いたといわれている。現在は関西圏全域にハモを食べる習慣が広まり、この時期になるとスーパーの鮮魚コーナーでも当たり前のように販売されている。

 

 瀬戸内海では梅雨明けから夏場にかけて、さまざまな漁法を用いて各地でハモの水揚げがおこなわれ、それらのほとんどが関西圏へ集中する。宇部岬の漁師たちが漁をおこなうのは瀬戸内海南西端に位置する周防灘一帯で、周防灘では徳島県や淡路島、和歌山県などといった瀬戸内海東側の海域よりも早い5月頃からとれ始める。そのため、梅雨明け頃までとくに需要が高く、値も上がる。今年は良いときの平均値で1㌔㌘あたり1800円ほど。ハモが活性化する夜中に漁をおこない、夜7時頃から夜明け頃までの期間、多い時期には1人が200㌔㌘も水揚げするため、一晩の漁だけでも大きな稼ぎになる。ある特定の種の魚が旬を迎えることで水揚げ量が増え、需要の高まりによって価格が高騰するのは1年のなかでもほんの瞬間だが、確実な稼ぎになるのがわかっていることもあって、どんなに漁が過酷でも漁師は奮い立つのだという。

 

 ただ、一時的な需要の高まりだけに頼ってもいられない。京都や大阪などの消費地に近い瀬戸内海東部の産地でとれ始めると、これらの産地の方が鮮度の良いものを出荷するには地理的に有利となる。梅雨明け頃からは瀬戸内海東部でとれるハモの需要が高まり、周防灘海域でとれるハモの値は落ち着く。だが地理的なアドバンテージを背負いながらも、漁師たちはどうすれば活きの良いハモを消費地へ届けられるか追求し、努力を続けている。

 

共同出荷で関西圏へ

 

トラックの水槽にハモを移す漁協職員(宇部岬、7月)

 宇部岬では毎週月曜と金曜の午前6時30分頃から、水揚げして水槽で生かしているハモを大型水槽がついたトラックへ移し替え、出荷する作業をおこなっている。浜の漁師たちは共同出荷で浜から直送で関西圏へ出荷している。早朝に宇部を発ったトラック便はその日の夜には関西入りし、明け方の競りにかけられる。京都などの市場で流通するハモは生きたものばかりで、死んだのはお呼びでない。従って、いかに生きた状態で消費市場へ届けられるかが勝負どころだ。関西の仲買人などが産地を評価するうえでは、活きの良さこそが重要な基準となるからだ。

 

 宇部岬では海水をくみ上げて大きな水槽を装備し、漁師が毎日の漁でとってくるものをストックしておく。水温の変化によって弱ってしまうが、とくに今年は猛暑日が続いて漁師らも四苦八苦しているという。ハモがとれる下層から網を船へ引き上げる上層にかけての海水温がまったく違うため、網を引き上げたときにはすでに「煮え」てしまって死んでいるものもいるという。死んだ個体を生きた個体と混在させたままにしておくと、生きているハモまで弱ってしまうため、丁寧にとり除かなければならない。

 

 漁師はまず船の上で網をあげたときに、死んでいるハモだけをとり除く。ある漁師は「妥協して“これくらいでいいか”と自分の基準で手を抜くのではなく、厳しく継続してやらないといけない」と話していた。浜の水槽へ入れるのは生きたものだけ。しかし、出荷前にトラックに積み替える頃には、また陸の水槽のなかでも死んだものが出る。そのためトラックに積み替える際に再び1匹ずつとり除く。二重、三重体制で徹底して「生きたハモだけ」を消費地へ届ける努力を続けている。

 

 おかげで宇部岬のハモ(山口県内の他の浜のハモを一緒に送る場合もある)が遠くから運ばれてくるわりに活きが良いことは、京都や大阪の市場でも評判になっているという。市場へ到着したときに死んでいるハモは多いときでも7%ほどだ。

 

 ちなみに、死んで売り物にならないためとり除いたハモは、県内の加工場で骨切りまでして冷凍保存される。そしてその売上は漁師らの手取りに反映されたり、共同出荷体制を維持していくための運営資金に回しているという。また、漁船の上では死んでいるハモをとり除くだけでなく、首と尾に切れ目を入れて血抜きをして氷で冷やした状態にしておく。臭みを抑え、鮮度を保つことができるからだ。

 

ハモの骨切り 機械にできぬ繊細な技

 

 なぜ、これほど生きたハモが重宝されるのか。その理由は宇部岬にある「うべ新鮮市場元気一番」で知ることができた。

 

 取材をおこなったこの日、元気一番では出荷作業の途中に死んでとり除かれたハモを50㌔㌘ほど買いとった。死んでいるといっても出荷前までは生きていたものだ。これを新鮮なうちに捌いて処理を済ませてしまい、食堂で出したり、湯引きなどにして週末(金・土・日・祝祭)の営業日に販売している。

 

 ハモの調理は魚のなかでもとくに手がかかることでよく知られる。有名なのが三枚におろしたあとに包丁で身に1㍉間隔で細かく切れ目を入れる「骨切り」だ。また、どう猛で口には鋭い刃を持っており、首を落としたあとでも人間の手を狙って噛みつくこともある。市場の職員曰く「他の魚は陸に上がると目が見えなくなるが、ハモは目が見える。首をつかんでも頭を後ろへ回して手に噛みつこうとする」という。

 

 鮮度の良し悪しは捌いてみれば一目瞭然だ。三枚におろした身を見てみると、鮮度が良く脂の乗ったハモは身の断面がつるっとして色味も若干飴色がかっている。身に張りがあるものでなければ、骨切りするときに身が緩んでしまい、しっかりと骨を切ることができないという。

 

皮のぬめりをとるために熱湯をかける

 ハモを捌く手順も複雑で、市場の職員も「ここでとり扱っている魚のなかで一番難しい」という。骨切り以外にも手がかかるからだ。ハモの湯引きはそのふわっとした食感が魅力の一つで、骨が口の中に当たってしまえばその魅力を台無しにしてしまう。そのため、背びれ、腹びれ、腹骨、また背びれや腹びれを支える身の内側にある骨までも包丁でそぎとったり、切り落としたりしながら食感を邪魔するものは徹底的に除去していく。

 

 三枚におろして骨やひれをそぎ落としたら、皮の表面のぬめりを除去する。まな板に皮目を上にして並べ、その上から熱湯を注ぎ即座に氷水へ浸す。すると皮の表面のぬめりが白く浮き出てくる。それを包丁で削ぐ。ぬめりが残っていると臭みの原因となるため、この一手間も欠かすことができない。

 

骨きりは職人技だ

 そこまで処理してやっと骨切りだ。これがハモを調理するうえでもっとも大変な作業だ。ハモには頭から尾にかけて皮の近くに小骨がずらりと並んでいる。この小骨をすべてとり除くことは不可能なため、食感の邪魔にならない程度の案配に断ち切っていくのだ。1㍉間隔で身に切れ目を入れて、皮一枚を残して小骨を切り刻んでいく。これには多くの時間と労力が必要となるため、加工場などでは短時間で簡単に作業が進められる骨切り専用の機械を使っている。だが、やはり人間の腕と感覚の方が優るようだ。

 

 料理人の手で包丁を使っておこなう骨切りには、機械に出せない繊細な技があるのだという。身を「おこす」といわれ、身に切れ目を入れた瞬間に包丁を使って一枚ずつ倒して開いていく独特の動きだ。機械を通せば押さえつけて切れ目を入れるため、魚の身がつぶれてしまう。一方、包丁で丁寧に骨切りをして身を起こすことで、ふんわりとした身の状態を保ちながらさらに切れ目の間に隙間ができ、湯通ししたときに身に熱が早く伝わりやすくなる。骨切りを見ていると、「ゴリ、ゴリ」とたしかに骨が切れる音がする。包丁の刃先が皮の内側までは届くが外側まで完全に切れはしないという絶妙な力加減を保たなければならない。骨切りした身は塩水に浸け、ほどよい塩加減で若干の味付けをしておく。

 

 骨切りが終わり、ここでようやく湯引きにたどり着いた。沸騰した湯で加減を見ながら茹で、氷水で締めると完成だ。旬で脂がのりきったハモだけあって、湯引きに使った熱湯や締めるときに使った氷水には脂がたっぷりと浮いていた。

 

 できたてのハモの湯引きを食べさせていただいた。酢味噌がよく合う脂ののった白身にふわふわの食感だ。酢味噌でいただくも良し、梅肉でさっぱりといただくもよし、天ぷらにして提供する地元の食堂もある。湯引きではなく、ハモしゃぶにしてポン酢でいただいたり、その旨みを含んだダシを使ってお吸い物やおじやで締めたり、さまざまな味わい方がある。風貌からは似ても似つかぬ繊細な味わいを秘めているのがこの魚の特徴だ。

 

 もうじきハモ漁の最盛期は終わりを迎える。夏の盛りに卵を腹に抱え、産卵を迎えたり終えたハモは、養分を吸いとられてやせこけてしまう。ここで需要は減り価格も下がるのだが、産卵を終えたハモはそこから、体力を回復させるためにさらにどう猛になり、手当たり次第にエサを食う。その時期にまた脂がのり、実は9月の終わりから10月にかけて隠れた旬を迎えるのだという。この時期のハモのおいしさを知る人は地元にも少ないが、店頭では飛ぶように売れるのだという。

 

 ハモの調理は難易度が高く、アジやサバ、あるいは太刀魚や穴子が捌けるからといって手に負える代物でもない。宇部の漁師に聞いても「自分の家に持って帰って捌いて食べることはほとんどない」というほどで、誰でも簡単に調理できる魚ではないようだ。最大の難関はやはり骨切りなのだろう。職人技ともいうべき料理人の細かな技術をもってして、はじめて美味しく食すことができる魚ともいえる。

 

 祇園祭が終わり値も落ち着くであろうこの9、10月、隠れた旬を楽しむのもいいかもしれない。

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