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酷暑の復旧 スコップ抱え住民総出で土砂掻き出す 高校生・大学生ボランティアも貢献

ボランティアや地域住民の手で、ひとまず水流が川に戻り、生活道が確保された。断水が続いているため、学生たちが高齢者のためにポリタンクで水を運んでいる(12日、呉市天応地区)

 豪雨災害の発生から1週間を迎えるが、被災現地はまだ災害のまっただ中にある。死者81人、安否不明者37人(12日現在)となった広島県内では、山から崩れた土砂や倒木などがダムやため池に溜まって治水力がないうえに、大量の土砂が川や住宅に堆積しているため、ひとたび雨が降ればたちまち浸水被害に見舞われる危険性を抱えている。国道の一部が復旧したものの、交通網の寸断や断水などのライフラインの復旧も見通しが立たっておらず、不自由な生活のなかで住民の懸命な努力が続いている。

 

 一時は地区中心部が完全に水没した呉市東部の安浦地区(約5000世帯)の住民たちは、山から押し寄せた水が残していった大量の泥と格闘していた。水分を含むと足元を取られるほどぬかるむ泥は、乾くとコンクリ状に固まり、砕けると砂塵となって舞い上がり、車が通るたびに町は砂埃に包まれる。マスクが必要不可欠だ。

 

周辺住民や知人が駆けつけ、家の中の泥を掻き出す作業に汗を流していた(11日、呉市安浦地区)

 江戸期の干拓で造成され、海抜ゼロ㍍地帯である安浦地区中心部は、JR安浦駅の西側を流れる野呂川が氾濫し、最大で二㍍まで水位が上がり、駅も含めた地域全体が水没した。壊滅状態となった駅前商店街は、大人の腰の高さまで泥で埋まった。家が無事だった地域の人たちや、周辺の住民などがボランティアにかけつけ、大人も子どもも一緒に泥かきや家財道具を運び出す作業に黙黙と汗を流していた。「ある程度の浸水は覚悟していたが、大人の身長をこえる高さまで水が来たのは初めて」「73年前の枕崎台風以来」と語られる。

 

 周囲にそびえる山山には幾筋もの崩落跡が見え、そこから流れてきた土砂が谷間にある集落を直撃している。粘度質の泥が多いのは、山裾の棚田や畑の土が大量に流れたからだ。

 

山から流れてきた流木や土砂が橋に溜まっている(11日、JR安浦駅付近)

 そのうえ安浦地区を含む呉市東部(竹原市、東広島市、三原市の一部も含む)は、国道の東西の入口、JRも土砂崩れで不通になったため、水も食料も入ってこない孤立化が続いた。ゆめマートなどのスーパーも水没し、難を逃れた店に人人が殺到したため、飲料や食品がすぐに売り切れた。コンビニも被災し、ほとんどが営業していない。一部を除くほとんどの世帯で断水も続いており、井戸水やわずかな備蓄水で生活水をかつがつ確保している現状だ。交通網がないためボランティアも少ない。風呂もシャワーも浴びることができない過酷な環境下で、住民たちは30度をこえる酷暑に耐えながら黙黙と復旧作業をしている。

 

 家の一階が水没した70代の女性は「6日夜、テレビで警報が出て、床上が浸水するかもしれないと思い、台の上に家財道具を置いていたが、夜8時頃には水が玄関を破って家の中まで上がってきて、畳も浮き上がるほどの水位になった。避難指示が出ても避難のしようがなかった。これは危ないと思って2階に避難したところ、いったんは水位が下がりだして安心していたら、また12時過ぎごろに一気に水位が上がり、家の前で渦を巻いた水流が3時には1階の天井に迫るほどにまで迫ってきた。2階で夜を明かし、翌朝、腰まで水に浸かりながらガードレールづたいに避難した」と被災当時をふり返った。避難場所の市立安浦小学校も冠水していたという。

 

 「知人の声かけで周辺から若い人たちがボランティアに駆けつけてくれ、1人ではどうしようもなかった泥の撤去をしてくれた。本当にありがたい。寝泊まりは姉の家でしているが、断水でトイレや風呂が使えないのが辛い。これからのことを考えると、まず住居を探さなければいけない」と涙ぐみながら語った。

 

 隣を流れる野呂川では、大量の瓦礫を含んだ水が橋を破壊し、堤防を崩して一気に住宅地へ流れ込んだ。水位が二段階で押し寄せたのは、上流の野呂川ダムが限界量を突破して放流したためといわれ、野呂川ダム上流の市原地区は土砂崩れと水没で全壊したという。「市原地区は土砂でほとんどの家が埋まったが、車道すべてふさがれて車も重機も入らず、丸5日間孤立している。いまだに何人が埋まっているか地域の人間にさえわからない。ようやく昨日、生存していた3人がヘリで救助された」といわれていた。

 

 また水没した地域では、車が使用不能になったため移動手段を持たない人が多い。救援物資が届く役場支所には徒歩で行かなければならず、水も手で運ばなければいけないという。「せめて町内ごとに水を運んでもらえれば…」と悩みを語る高齢者も少なくなく、井戸水を活用したり、若い人たちが運んであげたりして地域の協力で支え合っている。

 

家の片付けをする住民たち。家財道具はほとんど使い物にならず、道路には災害ゴミが積み重なっている(11日、呉市安浦地区)

 安浦から東広島市黒瀬町、同下河内地区にかけた地域でも、集落に入る道路が倒木や土砂でふさがれているが手つかずのままな所が多く、復旧のメドはたっていない。「同じ町内でも状況がそれぞれ違い、どの地区でどれだけの被害があったのか情報がわからない」と心配されていた。

 

 呉市東部の広、川尻、東広島の安芸津町、さらに音頭町、倉橋町、江田島町などでも全域にわたる断水や交通網寸断による食料の枯渇が死活問題になっている。衛生状態の悪化により、すでに倉橋町では腸チフスの発生が報告されている。徐徐に国道が開通しているものの交通集中のため終日大渋滞しており、「水だけでも港づたいに船で運んでもらえないか」「広島市などの施設にお年寄りだけでも移動させてあげられないか」と切実に語られている。早急なライフラインの復旧が待たれている。

 

呉市天応地区 高齢者の為水運ぶ若者

 

 呉市西部の天応地区も、壊滅的な被害を受けながら孤立化してきた。坂町や小屋浦と同じく傾斜地の集落で、山から岩石や土砂が集落全体を呑み込み、2㍍近くも土砂に埋まっている。地面からは道路標識やカーブミラーが頭だけ出しており、屋根だけが見える車、軒先まで砂に埋まっている家も多い。川も砂に埋まったため、道路を勢いよく水が流れ、集落の原形が分からないほど土砂に浸かったままだ。

 

 3日前にようやく実家に戻ってこれたという60代の女性は、家族や親戚の手を借りて家の中にたまった土砂をスコップで運び出していた。「被災当時は息子が1人だけ家にいて、他の家族は国道が寸断されて戻ることができなかった。家の1階部分が完全に土砂に埋まったので家は溜まった水が染みこんでいた。3日かけてようやく水の逃げ場を作り、玄関の水を出すことができた」という。やはり断水が最大の悩みで、スーパーでも冷たい水が買えないため熱中症になる人も増えていることを訴えていた。

 

 生後間もない子どもを抱える夫婦は、家は無事だったものの家の前の道路が川と化しているため、危険な細い道を歩いて買い出しに行かなければならず、「当分は仕事に出られない」と頭を抱えていた。行政も麻痺状態で、救援物資も水も、買い物も徒歩で行かなければならない。「人に頼んでも、ゆめタウンも商品がないうえにレジは2~3時間待ち。ミルクやオムツなども欠乏しており、フェリーで広島に渡っていった若い母親たちも多い」という。砂に埋まった川や道路の復旧も手つかずだが、行政からは「公有地は責任を持つが民有地の土砂は自助努力で」とアナウンスされているといわれ、見通しのたたない現状に不安を語っていた。

 

 

復旧作業に汗を流す高校生たち(12日、呉市天応地区)

 そのなかでボランティアや高校生、大学生の有志が、住民たちと一緒に住居や川、道路の土砂撤去で力を発揮している。ボランティアの数はまだ少ないが、同級生たちが声をかけ合って集まり、知人だけでなく周辺住民や高齢者のために懸命にスコップを揮っていた。井戸水をポリタンクに入れて、住宅まで坂道を運んでいくのも学生や若い人たちだ。

 

 一緒に作業していた父親は「息子や娘の同級生が来てくれ、ボランティアの人たちも集まってくれた。まず道の土砂をとり除いて、住宅に水を運ぶ通路をつくることを優先した。次は川の流れのあるうちに川の中の土砂をよけて、川を川に戻す作業をやっている」と話した。その十数人の力で、埋まっていた生活道を蘇らせ、土砂で玄関がふさがれた高齢世帯の家も全員で掘り進めていた。

 

 「このままでは重機も入れず、手をこまねていたら手遅れになりかねない。今だからできることをみんなでやろうと頑張っている。他の地域も大変だから無理なことはいえないが、せめて水を運んでくれる人員だけでもいてくれたら助かる」と話していた。親たちも当分仕事は休んで生活環境を復旧するため汗を流しているが、ボランティア体制の確立など長期的な見通しの立つサポートを必要としている。

 

 土砂崩れによる大規模な被害を受けた広島市安芸区矢野東でも、高校生ボランティアが有志で駆けつけて、住民の要望を聞きながら土砂の撤去や土のう運びを終日やっていた。

 

 

住民たちと一緒に道路の砂を土のう袋に詰めていく高校生たち。地域の要望に応えて丸一日手伝っている(12日、広島市安芸区矢野東)

 安芸南高校(安芸区矢野西)の男子生徒たちは、「学校が再開したが、被災して登校できない生徒が多かったので休校になり、先生からも“地域のために働きなさい”といわれている」といい、炎天下の中で黙黙と土砂を土のうに詰め込んでいた。地域の人たちからも「年寄りが多いのでとても頼りになり、こういう若い人たちがいることがうれしい」と喜ばれていた。

 

 一方、各地域で「行政の姿が見えない」という声も共通して聞かれる。職員や役場が被災した地域もあるが、どこでも川が土砂で埋まり、雨が降ればふたたび洪水や土砂崩れが起きる危険性が現実味を帯びている。「土砂を入れる土のう袋すら配られない」「洪水を防ぐために土のうを詰んでいたら、区から“撤去してくれ”といわれた」「生活の復興もだが、安全を確保するための方針が情報として伝わってこない」との疑問が各地で語られ、他県からの人員補充やボランティアの組織化を含めた行政機能の立て直しが求められている。最優先の安否不明者の捜索が長期化するなか、被災住民の生活復旧が後回し、または放置される状態が続くなら2次災害が起こる危険性は増す。新たな犠牲者を出さぬため、住民自身の力と地域の絆による懸命な努力が続いており、公の早急なバックアップが不可欠になっている。

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