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再エネと日本人一考――根底にある“強者の論理”と“不安” 星槎大学共生科学部特任教授・西原智昭

 にしはら・ともあき コンゴ共和国などアフリカ熱帯林地域にて、野生生物研究、国立公園管理、森林保全に、先住民族と共に30年間従事。現在、星槎大学共生科学部特任教授、野生生物保全協会(WCS : Wildlife Conservation Society ; 本部ニューヨーク)自然環境保全研究員。京都大学出身、理学博士。人類の起源と本質、文化多様性と地球環境保全、先住民族や日本列島人を問う。著書『コンゴ共和国~マルミミゾウとホタルの行き交う森から(増補改訂版)』(現代書館2020年)など。

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ハイパーソニック・エフェクト

 

アフリカ・コンゴの湿地帯草原にいるゴリラの家族(西原氏撮影)

 なぜこんなに心地よいのだろう。筆者がそう感じたのは、1989年以来30年間、野生生物の調査研究や環境保全に関わってきたアフリカ・コンゴ盆地の熱帯林の中であった。そのままそこで大地にひれ伏したい強烈な衝動にかられる。森のガイドを頼んだ森を熟知する先住民族ピグミーとの出会いはさらに圧倒的な衝撃を授けた。なにげなく聞く彼らのさりげない会話。これがまるでさざ波のように流れぼくの心を震わす。そしてピグミーの伝統的な歌と踊りを目の前にして、そのまま文字通り舞い上がってしまいそうな陶酔感。森林環境音と民族音楽には強い連関性があると、ぼくは揺るぎない思いを直感的に抱いた。

 

 長い年月に渡るこの疑問を解き明かしていた研究に奇跡的に出会うことができた。異分野連携を駆使したこの研究は、これまで収録してきた森林の環境音や世界中の民族音楽には可聴域の周波数だけでなくそれを超える超高周波が含まれることを明らかにした。その超高周波が脳の深部に作用し、ストレスフリーの「心地よさ」〈快〉を感じさせるのだという。身体の諸機能をつかさどる様々な代謝を正常に保つ効果があるからだ。この「ハイパーソニック・エフェクト」は、人類が心身ともに健全でまっとうな「本来」の生き方を継続していく上で必要不可欠なものなのである。

 

森林消失と鉱物資源開発

 

コンゴ盆地の熱帯林を歩く先住民(筆者撮影)

 世界中の森がいま加速度的に消失の一途にあるが、熱帯林地域では木材目的の森林伐採のほか、大規模農園や牧草地開拓のための森林開発などがあり、それゆえ地球上の自然遺産である生物多様性の甚大な喪失を招いている。“エボラ”という新興ウイルスの発現もこうした急激な森林消失とも関係している。

 

 昨今、森林破壊をさらに加速化しているのは鉱物資源開発だ。木材目的や大規模農園開発に比べ、鉱物資源開発による森林破壊は面積的には小さい。しかし地下資源採掘であるため森林を構成する樹木など植物はまさに一面「根こそぎ」刈られていた。ただでさえ植林などによる森林再生が難しい熱帯林では致命的なことだ。また森の中ににわかにできた採掘場では野生動物が狩猟され食用としてその肉が売買されていただけでなく、ゾウの密猟で得られた象牙などの違法取引も行われていた。生物多様性の総体的な損失が著しいのだ。

 

 鉱物資源開発が他の森林開発業よりも盛んとなる理由の一つは莫大な利益を生み出すことにある。金やダイヤモンドだけではない。とりわけ希少金属採掘がそうである。まさに希少であるがゆえに希少価値が高いからだ。その場には林業や大規模農園などとは比較にならないほどの大勢の労働者が入り込む。それゆえ森林生態系への甚大な影響が回避できない。特に希少金属類が偏在しているのはアフリカ・コンゴ盆地、南米アマゾン、そして東南アジアの熱帯林であるため、その開発は「地球の肺」の消失など地球規模での深刻な影響が想定される。

 

 事態はさらに深刻化しつつある。昨今の「脱炭素政策」のために、太陽光パネルや風車などの再生可能エネルギー(以下“再エネ”)の装置、電気自動車(以下“EV”)などが拡大的に開発されてきているため、それらに必須の希少金属の需要が急増しているためである。結果的に、技術はあっても莫大なコストのために鉱物のリサイクルがあまり進展していない状況では、可採年数に限りのある希少金属の枯渇化が加速している。また銅鉱石1㌔㌘を取り出すために出る200倍の廃棄岩石は、放射性物質など有毒物質が含まれるにもかかわらず「どこかに」廃棄されている。ガソリン車に比べ4倍の銅(およそ80㌔㌘)を必要とするEV1台につき16㌧廃棄される岩石やEVに必須のリチウム採掘のため1台につき2㌧廃棄される水を考えると、EVが環境に優しく持続可能な代物とは安易には言えまい。

 

鉱物資源開発に伴う人権侵害

 

 コンゴ民主共和国では熱帯林の地下に、コルタン、スズ、タングステンなどの希少金属や金など豊富な鉱物資源を有する。特に電子機器やハイテク製品に必須のコルタンは世界の埋蔵量の大半を占める。巨額が動くそうした鉱山は軍の支配下に入るケースが少なくなく、莫大な収益は内戦の資金源ともなる。過酷な労働条件のもと、強制労働や児童労働が行われるだけでなく、少年兵の育成など深刻な人権問題が生じている。熱帯林に依拠する先住民族への土地侵害もある。

 

 フィリピンではEVに必須のリチウムイオン電池の原材料となるニッケルが豊富にあり、その鉱床の地である熱帯林に太古の昔から依拠してきた先住民族が移住させられ、伝統的な生業や文化を喪失しつつある。南米のアマゾン地域でも銅など多種多様な鉱山資源が存在し、コロンビアなどではそうした鉱山資源開発に反対を唱える先住民族の殺害が頻繁に起こっているという報告がある。

 

 先住民族の土地をなんらかの理由で利用/開発するには、当地の先住民族と事前の協議が必須となっており、2007年に制定された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」で保障されている先住民の土地、権利、人権などが配慮されなければならない。しかし、特に熱帯林地域の先住民の住む土地の地下資源である希少価値の高い希少金属開発においてはそうした真摯な対応はあまり見られない。

 

 熱帯地域ではないが中国が近年、新疆ウイグル地区や内モンゴル地区、そして香港や台湾への締め付け強化、また尖閣諸島や東シナ海などにおける海域確保には、実は資源問題も絡んでいる。これらの地域や海域の海底には希少金属や天然ガスが豊富であるからである。その採掘権益を確保したいからだ。また中国は国内に豊富な地下資源があるだけでなく、国家をあげて途上国等での鉱物資源開発を大々的に進めている。こうした国内外での鉱物資源は、再エネ装置やEVの開発だけでなく最新鋭ハイテク兵器の製造にも必要不可欠であるからである。中国が軍事政権のミャンマーやタリバン政権のアフガニスタンに内政干渉をしないのは、そうした隣国にある豊富な地下資源を確保するためであるのも一因だ。そうした国々から本国へ資源を輸送するときに、新疆ウイグル地区を通過するため、弾圧によってその地区を確保せざるを得ないのも頷ける。

 

 鉱物資源の製錬時にも人権侵害は無縁ではない。世界中から中国本土に集められた鉱物はその安い労働力で次々と製錬され原石が生産される。そのときに生じる有害物質を含む大量の廃棄岩石は広い国土のどこかに容易に捨てられている。環境基準が低いからそれが可能なのだ。そのため原石の生産はコストがかからないために原石の世界市場を一手に担うこととなった。特に、鉱物資源をほとんど持たない日本がどれだけそれを中国依存しているかは一目瞭然である。一時期中国による一部鉱物の輸出規制が出たときに日本が冷や汗をかいたのはこのためである。

 

 脱炭素政策に欠かせない太陽光パネルの製造には希少金属だけでなく原材料としてシリコンが必須である。その原石はその40%が新疆ウイグルで生産されている。100%太陽光パネルを中国からの輸入に依存している日本は、シリコン製錬に携わっているウイグル族への人権侵害に間接的に加担している可能性もある。

 

脱炭素に横たわる二つの問題

 

 「温暖化CO2犯人説」に対して「温暖化懐疑説」は排除されがちな傾向にある。温暖化にはCO2だけではなく、太陽黒点の活動、宇宙線、水蒸気、火山活動、エルニーニョ、地球の公転軸・地軸の傾きなど多様な要因があるという。また縄文海進などこれまでCO2がとびきり排出されていなかった時代にも大規模な温暖化現象があった事実なども、どう正確に評価したらよいか率直に言って判断しかねる。メディアも「記録的な気候現象」という表現を多々使用するが、今と比較できる網羅的な気候記録に残っているのはたかだか50年程度だとすれば、もっと長大な地球の歴史への観点が欠如しているようにも思われる。

 

 ただ現状の主要エネルギー源である化石燃料や原子力も、石油・石炭・天然ガスおよびウランという有限な資源を使っている以上、決して持続可能ではない。原子力に至ってはCO2を出さない安定したエネルギー源でかつ温暖化対策の一環として奨励されることも少なくないが、それによる事故や核廃棄物処理問題を考えれば推奨の余地がないのは明らかである。そうした中、太陽光や風、水力など自然界にある再生可能な「自然エネルギー」の活用は有効である。

 

 しかし「地球温暖化→CO2犯人説→再エネ/EV」という短絡的で一直線の発想には再検証の余地がある。現状の再エネ/EV推進に横たわる大きな問題は二つに分けられる。

 

 一点目は、すでに述べた再エネ/EVに必須の希少金属など原材料の開発と調達のプロセスである。現状、自然破壊とそれに伴う生物多様性喪失および先住民族への土地・人権侵害が進行中である。そして希少金属の枯渇性を考えると決して「持続可能な」原材料とは言えない。

 

 二点目は、メガソーラーやウィンドファームなど再エネ装置設置のプロセスである。環境アセスメントが十全に活かされないためその土地/領域の自然破壊やそれに伴う生物多様性喪失、結果としての土砂災害や一次産業の衰退、先住民族ほか地域の住民との軋轢、風車の場合の(超)低周波被害など課題は多岐に渡る。

 

大分市志生木町のメガソーラー

 住民が取り上げる「景観侵害」は個々人の感覚によるとして関連省庁は真摯に向き合っていない。「クリーン」である再エネは自然界の一部だとする主張もある。しかし景観の保持はとりもなおさず長い年月に渡りその土地で見慣れてきた自然環境の保全に繋がり、したがって生物多様性保全に直結する事柄である。景観保全を尊重せずに大規模に再エネ装置を据えるのは、これまで存在しなかった大型の人工的異物を自然界に設置することに相当する。もし山にプラスチック製のペットボトルが散乱していたら「自然界の一部だ」として無視する人間が果たしているだろうか。

 

 風車による地域住民への(超)低周波被害も個人の感覚の問題として取り沙汰されない。再エネを重視する人間にはそれも「オルゴールのように心地よく聞こえるはずだ」と豪語した人間もいる。(超)低周波による〈不快〉な生理機能障害は、すでに記した「ハイパーソニック・エフェクト」という超高周波による〈快〉と関わる正常な生理機能と対置するものであり、超高周波と同様に詳細な研究調査があって然るべきである。また現状の拡大的な再エネ設置は、「ハイパーソニック・エフェクト」をもたらす超高周波の源である自然環境の保全に逆行していることになる。

 

 仮に「温暖化CO2犯人説」が正しいにしろ、再エネやEVを進める先進文明国では「脱炭素」が実現できるかもしれないが、その原材料の源流にあたる途上国などの「グローバルサウス」や再エネ設置が推進される地方の自然環境が消失していく、あるいは撹乱されることは、そうした地域での「CO2濃度上昇」が逆に起こり得る。地球全体で考えて本当に再エネやEVはCO2削減に貢献するのか、それについての精緻な検証が待たれる

 

 また、太陽光パネルの主体であるシリコン生産には大量のエネルギーが必要であり、風車に至っては鉄柱を作るための鉄鋼業や土台を作るためのセメント業、ブレードを作るためのプラスチック生産業はCO2排出の元凶である。再エネ装置の製造過程ももっと議論されるべきであろう。

 

再エネ推進の根幹にある「強者の論理」と「不安」

 

 こうした再エネ/EV推進の背景にあるのは、グローバルサウスに対する先進文明国の、あるいは地方に対する都市圏の、アプリオリな「優位性」の顕在化であるように思われる。先進文明国の「脱炭素」のためにグローバルサウスが犠牲になり、また都市圏の「脱炭素」推進のために地方が犠牲になる。「地域循環共生圏」という言葉が乱用されているが、この言葉を作り発しているのはあくまで先進文明国や都市圏の「強者」である。グローバルサウスや地方の「弱者」が果たしてそうした「共生」を求めたであろうか。

 

 「共生」という美辞麗句を使うという発想自体が、すでに「強者」から「弱者」への「上から下目線」という自己正当化のための「強者の論理」だと感じるのを禁じ得ない。「共生」というのは当事者が一方的に言うことではなく、第三者が俯瞰的に使う文言のはずである。

 

 では、なぜいま先進文明国を中心に再エネやEV推進が強調されているのか。

 

 第一に、目の前に起こっている諸々の「不安」の払拭への強い思いであろうか。一つに「温暖化がもたらす災害」の甚大化への「不安」である。しかし、自然現象と災害を今一度分けて考える必要性もある。われわれ人間が自然現象から災害を受けやすくなった要因は、人口過密化、過剰な自然破壊、不適切な土地利用、脆弱なインフラ、そして尋常でないストレス・フルの人間の「狂気」ではないだろうか。そうした部分をまず見直すべきだと考える。もう一つの「不安」は、化石燃料を使った火力発電の逓減、危険な原発の廃止となったときのエネルギー/電力の不安定化への「不安」である。しかし、今後とも安定したエネルギー/電気を望むということは、これまで通りの「成長/発展」を目指すということになる。24時間電気が有用であるがために残業などのストレスが増大すれば、さらに「本来性」からはずれた人間の「狂気」が一層猛威を振るうことも考えられる。

 

 再エネ/EV推進の背景にある第二の根拠は、これまでの「安泰」な生活を維持したいという先進文明国人の強い気持ちであろうか。いまの便利で豊かな文明生活を継続したい、あるいは先進国/新興国間の主導権争いに勝ちたいと思ったときに、エネルギー/電気の現状維持は必須であり、火力でも原子力でもない再エネ/EV推進こそが「正義」とされる。ただそこには、その説を世の潮流だからとじっくりと検討もせずに、不安の払拭と楽な生活とを確約する何かにすがりたいというまるで信仰に類似した行動パターンのようにも見受けられる。

 

 欧州を中心とした(そして日本も追従しつつある)こうした「温暖化政策」は、先日のIPCCのCOP26にて二つの問題を露呈させた。第一にグローバルサウス側の怒りと不満である。先進国はこれまで化石燃料をふんだんに使い経済成長を果たしたのに、これから経済発展を目指すグローバルサウスでは火力発電は使うなとの主旨は理不尽だというのがその根底にある。最終的にCOP26決議書では、火力発電の「廃止」ではなく「逓減」となった。一方COP26と前後して、欧州や世界銀行など国際機関などからの再エネの普及などに対し大型投資がグローバルサウスに始まっている。アフリカ各国では著しい。そうした動きに伴って、アフリカの自然が破壊され先住民族の土地や権利への侵害がさらに起こりかねないと憂慮される。

 

 第二に石油の高騰化である。化石燃料による火力発電の停止政策のために、OPEC+諸国は石油増産をストップした。結果的に、いまでも石油など化石燃料に依存している先進国での石油価格は上がり、したがって輸送費や製造費もかさみ、「グリーンフレーション」と呼ばれる全般的な物価の上昇を必然的に招いている。後日OPEC+は石油の再増産政策を打ち出したが、今後化石燃料ではなく盲目的に再エネ/EVを推進するような潮流となれば、世界は同じような事態に陥るに違いない。

 

 火力あるいは原子力発電の急激な逓減や停止がエネルギー不足を招く。最近電力不足に陥っている中国で大量の電力を要するシリコンにコストがかかるのは言うまでもない。その結果、太陽光パネルの高騰化も起こるであろう。その他希少金属も希少であるがゆえに高騰化は続く。仮に採掘ではなくリサイクル推進となっても莫大なコストがかかり、再エネ装置や電動車が短期間のうちに安価になるのは期待できない。

 

 欧州でEVが盛んに推進されているが、その充電が賄えると期待できるのはフランスなどにおいて原発が主力電源になっているからである。地震大国である日本ではそれが望めないとなると、EV増産の果ての充電にはいったい何の電源を使うのであろうか。

 

これからの展望、 特に日本人のあり方

 

 長年に渡りアフリカ・コンゴ盆地の現地住民や様々な国籍の外国人から受けた日本(人)の評価は、高度技術社会で経済発展、インフラが整備され、教育の機会に恵まれ、長寿・平和・安全の国であるだけでなく、街並みや自然も美しく時間厳守で礼儀正しい国民であるといった申し分のないものであった。日本を長く離れていた身の視点としても、日本は自然や先祖を敬い、ものを大切にするという独自の文化を育んできたといった印象を持っていた。

 

 一方で日本国内では海外の情報が少なく、また積極的な議論がなく、主張が不明瞭であることが少なくないばかりでなく、疑念を持たずに盲目的な受容・追従や模倣が見られ、あるいは事柄を真摯に検討せず、熱しやすく冷めやすい傾向があることにも気付いてきた。

 

 また昨今の脱炭素エネルギー政策が加速化される中で、とりわけ鉱物資源のない日本がグローバルサウスから自然破壊や人権侵害を前提にそれを入手していることや、国内での再エネ設置のために自然環境を反故にし地域住民を尊重しないことなどを鑑みると、古来から存する日本固有の「モッタイナイ」/「思いやり」精神が疑わしく感じられる。ひょっとしたら、日本で強く働く「同調圧力」がゆえに、周りの目を気にして「モッタイナイ」と言ってモノを節約したり周囲の人間を仕方なく「思いやる」のではないかとも勘ぐる。

 

 日本では「モッタイナイ」精神に依拠してなのか、盛んに「省エネ」が謳われている。それはしかし主にエネルギー効率のいいエアコンや冷蔵庫、電球に切り替えるといった「代替製品」によるエネルギー削減を目指すものにとどまっている。その大前提になっているのは現状のライフスタイルの維持であり、輸入にあまりにも依存しすぎて当たり前に物資やエネルギーが日常的に存在してそれが長い間まったく変わっていないがために、逆にその感覚が麻痺して「輸入ぼけ」「エネルギー/電気ぼけ」になっているのではないか。本来なら大部分を国内調達することが可能なはずなのに、輸入依存度の高い食材や木材についても同様である。

 

 エネルギーに関しては、火力の逓減や原子力の廃止を前提としても、現状の再エネのような「創エネ」ではなく、また単なる代替製品による「省エネ」ではなく、抜本的な「減エネ」を考えるべきであろう。長く滞在したアフリカでの生活を振り返ると、日本の生活では無駄の多いエネルギー/電気使用が目立つ。「人類の生存にとって必要最小限なエネルギー/電気」という基準を軸として、そこを出発点とした徹底的な「減エネ」政策が求められる。

 

 たとえば、身近なものでは自販機やイルミネーション、ウォシュレットなどは不要であろう。仕事上のツールとしてはよいとしてもゲームなどでバッテリーを消費するようなスマホはなくていい。ペットボトルや過剰な包装の撤廃や、お店の時短営業、地域ごとの計画停電も積極的に活用できるだろう。

 

 もし「温暖化CO2犯人説」が本当であれば、「減エネ」の上に、里山/森林保全と適切な管理による持続的な林業振興とその支援こそが第一義的に重要と考える。それは雇用の創出など地方創生にも繋がる上に木材の輸入依存からの脱却にも貢献し、クマなど野生動物による人里への影響も回避し得る。廃棄農地があれば農業再興に利用すべきであり、それこそが食材の地産地消を促進する。

 

 また洋上風力開発もいま盛んになりつつあるが、洋上での多数の風車の存在が波や潮流に影響を及ぼし海洋生態系への撹乱を生じさせるという研究もあり、実際漁業への影響が出ている地域もある。水産物も地産地消を目指すべきだとすれば、洋上に風車といった人工物を多数建造するのは再検証の余地がある。また海洋の炭素蓄積量が多いことも見逃せないとなると、いまだ不明点の多い海洋生態系の保全こそがまずは求めることであろう。

 

 仮に「温暖化CO2犯人説」が確かであるにせよ、大事なことはこれ以上の自然破壊や人権侵害を起こすべきではない。陸地も海洋も含めた自然環境保全こそ地球を守ることであり、気象変動対策にも繋がるのだ。健全な自然があれば「ハイパーソニック・エフェクト」により心身ともに健全な人間として生存できる。必要最小限のエネルギー/電力は、自然界のエネルギーを利用した形での小規模水力や小規模木質バイオなど地域ごとの循環型再エネや、特に日本では地熱発電の開発をもっと考慮すべきであろう。食材や木材、エネルギーなどの地産地消を目指すことこそが国民の生活の安泰と「グリーンフレーション」への対処にも繋がる。

 

 もし自然環境破壊や人権侵害とは無縁の再エネ設置や調達経路の明らかな原材料に基づくのであれば、太陽光パネルや風車も再エネとして有効である。そのためにも再エネ設置プロセスの抜本的改善ほか、鉱物資源のリサイクルや原材料の調達時/製錬時における環境/人権配慮に基づいた包括的な国際認証制度の確立が急がれる。

 

 残念ながら、日本の資源エネルギー庁の来年度の予算案を見る限りでは、鉱物資源の開発に多額が計上され、リサイクルにはごく僅かである。さらに日本の排他的経済水域内での海底資源開発にも巨額を投じる予定となっている。人間が住んでいないからあるいは森林ではないからとの理由で海底資源開発を進めるのには賛同できない。人間中心の考え方ではなく、自然界の生態系保全を大前提とした議論が望まれるところである。

 

 宇宙開発も同様である。小惑星や月、火星の探索は夢のある話ではあるが、宇宙という場所も人間が勝手に手を出してそのシステムを崩すべき場所ではないという認識が第一義的に必要だ。

 

 これからの日本を考えるときに、資源のない日本、そして今後人口減の起こる日本はこのまま先進国であり続ける必要性があるのか議論したい。まずは平和で心豊かな社会を目指すのが第一ではないか。事実に目を瞑らず、自然と人々を「思いやり」ながら「モッタイナイ」精神を発揮してそれを世界に示していくことこそ、日本ができる役目だとも思える。例年より寒いと言われている今冬、特に北の方にお住まいの方にとって、再エネ推進の結果として起こった(超)低周波障害や灯油の値上がり等が生活や心身にさらなる影響を及ばさないことを願うばかりである。

参考文献:
 大橋力『音と文明~音の環境学ことはじめ』(岩波書店2003年)
 谷口正次『教養としての資源問題~今、日本人が直視すべき現実』(東洋経済新報社2011年)
 西原智昭『コンゴ共和国~マルミミゾウとホタルの行き交う森から(増補改訂版)』(現代書館2020年3月)

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この記事へのコメント

  1. 熱帯雨林の写真がとても美しいと思いました。人と自然が共存できて、自然の中で人が生きて、自然を大切にする精神があるという文化と社会はとても素晴らしいと思います。私達は化学を発達させて自然から離れて社会を作って生活しようとしてますが、自然を貴ぶ心を忘れてはいけないと思います。戦争をしないで皆で仲良くしたいです。

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