いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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記者座談会 ポスター貼りをやってみた れいわ新選組ボランティアの草の根活動 

 山本太郎率いるれいわ新選組が衆院選の第一次公認候補予定者を発表し、全国各地でボランティアたちが系統的にポスター掲示活動をおこなっている。いわゆる組織的なものではなく、れいわ新選組の政策に共感し、その方向で政治や社会を変えていこうと願う個人が横に緩やかに繋がりながらやっている。一枚ずつポスターを貼ってもらう地道な作業だが、商業メディアに頼らず、人々との直接対話によって草の根の支援を広げていくことを重視するれいわ新選組が最も力を入れている活動だ。本紙記者たちも全国各地や下関でのポスター活動に参加してきた。その特徴や教訓について座談会で論議してみた。

 

ポスターを掲示するボランティアたち

  ポスター活動の内容は単純だ。れいわ新選組の事務所に注文し、送られてくる大小のポスターを一枚ずつ地域に貼っていく。自分の居住区でもいいし、隣町でもいい。長期的には選挙区全体を視野に入れて、商店街や住宅地を一軒ずつ回りながら、家主や店主、建物の所有者などに「元参議院議員の山本太郎のボランティアをしています。ポスター掲示のお願いで回っています」とお願いしていく。細かい手続きについてはここでは省くが、ポスターを掲示するためには一人でも多くの人たちと面会することなしには始まらない。


 SNSやネットでは一方的に意見を伝達したり、情報を拡散することはできても、政治的立場や意見の違う人たちとのコミュニケーションは難しい。匿名で相手の顔も生活もみえないし、真意が伝わらないまま「罵倒し合って終わり」となるのが関の山だ。相手と対面し、膝をつき合わせて語り合い、血の通ったやりとりをすることなしには一致点を見出すことも、相互理解を深めることもできない。


 待っていて来ないなら、こちらから会いに行く――「選挙に行かない5割」と結びつくためには、そのような能動的な行動が求められる。


 れいわ新選組の全国ツアーでは「SNSで“いいね”を押したり、ネット上で盛り上がるだけでは票には繋がらない。街頭演説も同じ思いを持つ人が集まる傾向が強く、その熱気がそのまま勢力の大きさを意味するものでもない」とシビアに判断していた。そして「支持してくださる一人一人が候補者になりかわって、一軒一軒戸を叩き、顔をつきあわせて粘り強く働きかけることがなければ強固な基盤を広げていくことはできない」とポスター活動への参加をくり返し訴えていた。勝手連的に全国各地でおこなわれているポスター活動のすべてを本部が把握しているわけではないが、誰も統制したり、掌握することのできない草の根の力によって支えられているのが、れいわ新選組の特徴であり、新しさでもある。


  下関でも2月から地元ボランティア有志でポスター活動を始めている。いまはコロナ騒動で自粛ムードではあるが、私たちも活動に実際に参加してみた。


 ボランティア同士がLINEやメールで連絡をとり合って集合し、2~3人のグループで、担当した地域を回る。もちろん一人でやってもいい。対象地域の住宅地図を見ながら、無差別に訪ねていく。初めての場合は緊張するし、慣れるまではインターホン越しにスムーズに話をするのも難しいが、できるだけ簡潔に「ポスターを貼らせてもらえませんか?」と依頼する。許可が得られたら指定された場所に貼り、自分で貼ってくれる人には預ける。


 ポスターが貼れそうな場所はあらかじめ確認して依頼するが、一見掲示が難しそうな個人宅の壁やお店の中、ブロック塀、フェンスなど意外な場所に貼らせてもらえることもあるから聞いてみなければわからない。壁面の素材にあわせて、ワッポン(ポスター掲示用の貼る画びょう)、両面テープ、画びょうなどを使い分けて掲示する。掲示を了承してくれた人には、チラシを渡して丁寧にお礼をいう。これをくり返していく。


  山本太郎を知っている人もいれば、知らない人もいる。なかには「大嫌い!」といってドアをぴしゃりと閉める人もいる。けんもほろろに断られることがあっても「ありがとうございます」と丁寧に礼をいって次に行く。相手の意見にはできるだけ耳を傾けるが、マウントをとったり、むやみに論争はせず、相手の意見や立場を尊重して身を引くことも大事なポイントだ。自己主張を押しつけたり、上から目線の説教や、マウントのとりあいの空中戦はマイナス効果しかないのでやらない。


 掲示スペースがなかったり、商売柄や地域特性によって政治色が出せないため「ポスターは貼れないけれど応援している」という反応も結構ある。ポスター活動は、そのような埋もれている支援者と繋がるきっかけにもなる。たとえ貼れたポスター枚数が少なくても、直接対面して会話を交わすことにも意味がある。それによってまだ知名度の低いれいわ新選組について認知してもらえるし、それを無名のボランティアが支えていることが伝わる。

 


  下関でも、おしゃべり会や候補者発表などを通じて、次第にれいわ新選組の主張や政策が知られるようになり、「頑張っているね」「陰ながら応援してるよ」と声を掛けてくれる人が増えてきた。古くからの保守地盤にあって「れいわ新選組」の政党ポスターを堂々と掲示するのはハードルが高いし、勇気のいることだ。地域コミュニティは否が応にも自民党政治のしがらみのなかにあるし、隣近所、親戚関係、勤め先、商売の取引先、お客さんとの関係でさまざまな政治的立場があり、支持政党を明らかにできないという人が一般的だ。だから無理強いはせず、あくまで「お願いします」と謙虚に投げかけるのが基本だ。それだけでも意味があるし、一枚でも貼ってもらえたらより実態のある宣伝効果を生む。


 「無理だろうな」と思いながら訪ねたお店でも、ロスジェネ世代(30~40代)の店主たちが「今度は増えるんじゃないですか」「いいですよ」と快く貼らせてくれたり、年配者でも「ユーチューブで演説を見ているよ」といって掲示してくれる人もいる。


 山本太郎やれいわ新選組を「奇をてらったパフォーマンス」のように捉える風潮もあるが、このような地道な活動をすることでより深く政策の中身が知られるようになるし、地道に回りながら底辺の声をすくい上げていく姿勢が歓迎されていると思う。組織票に頼る既存政党はまずこんな骨の折れることはやらない。


  世代や職業などによって反応の違いがあるのは当然だし、貼れない理由を知ることも勉強だ。「私はいいけど、旦那がいるからね……」など、家庭内での意見の違いもある。そのように人々はさまざまなしがらみのなかで、表だって政治的な主張がしにくいなかにいるが、決して政治に無関心であったり、必ずしも現状を積極的に肯定しているわけでないことを対話を通じて知ることができる。下関のように他の選択肢が乏しい地域ではなおさらだ。これも生活のなかに飛び込まなければわからないことだ。また逆に、隣近所やお客さんに自民党支持者の人がいても関係なく「貼っていいよ」という人だっている。ボランティアの側が地域の人たちの生活や胸中を理解していく過程でもある。


  ボランティアにはじっくり一日かけてやる人もいれば、「用事があるから一時間だけ参加」という人もいる。学生、会社員、自営業者、主婦、子育て中の世代、フリーターなど……ボランティアも境遇はさまざまだし、それぞれができる範囲で参加して、お互いが補いながら継続している。特に政治に詳しく、弁の立つ人でなければできないというものではなく、真面目に相手の意見を聞き、お礼をいう謙虚な姿勢さえあれば誰でもできる。一人では心細いけれど、数人でやるなら励まし合って継続できるし、反応やコツを共有していけば、次のステップアップに繋がる。


  まだ1枚もポスターが貼れていない地域で最初に貼るのはハードルが高い。でも近隣で1枚、2枚と貼ってもらえると、安心して貼ってくれるようになり、気がついたら「太郎通り」かと思えるほどたくさん貼れた地域もある。「難しい地域」という思い込みが覆される。先入観やこれまでの自分の狭い経験だけで見ていたらわからないことが起きるのもポスター活動のおもしろさだ。


 「これまでは自民党支持だったけど……」といって胸の内を語ってくれたり、地域が抱える問題があってもそれに耳を傾ける政治家がいないこと、与野党含めて既存の政治に対する不信感など、赤裸々な思いが語られる。日常生活では聞けない政治に対する本音を聞けるのも醍醐味だ。


 自民党支持者にも支持者なりの思いがある。なぜ支持しているのか、政治になにを求めているのかを知る機会にもなる。「強固な保守地盤」といわれる地域でも細部に分け入っていけば、鬱積した思いがある。圧力があるならそれも含めて共有し、有権者の判断を仰ぐのが民主主義だろう。

 

市民の生活や思いに学び

 

れいわ新選組の街頭宣伝に集まる人々(昨年12月、池袋)

  れいわのボランティアは、組織や団体に属していない個人が多く、しかも主婦や母親、若者、学生など、これまで政治とは縁遠かった人たちが多い。消費税廃止や全国一律最低賃金1500円の政府保障、奨学金徳政令などの政策を自分たちのテーマとして切実な思いをもって動いている。これを「素人集団」と揶揄する傾向もあるが、裏返せば「選挙に行かない5割」にアプローチできるもっとも近い人たちだ。高見から眺めて説教したり、評論するだけの自称「玄人」よりもよっぽど力を持っている。フットワークの軽さこそが武器で、「ポスターを貼らせて下さい。お願いします」で街のなかにどんどん溶け込んでいくのだ。


 それぞれが一支援者で終わるなら個々バラバラだが、ポスター活動をすることで横に繋がる。個人でやっても構わないが、複数でやるならやはりパワーも倍増する。貼れる枚数も増える。地道にコツコツと積み重ねていくしかないが、真面目に実直にとりくんでいるかどうかも含めて有権者は見ていると思う。


 商売や営業活動の経験がある人なら知らない人との対話に慣れていたり、木工などの手作業が得意な人はポスター用のボードを手作りしてきたり、字やデザインが上手い人はメモやイラストを書いたり、その地域に長く住んでいる人なら地域の事情に明るい。動くのが無理な人はチラシを折ったり、ポスターの裏のシール貼りなどの事務作業で参加したっていい。それぞれができるところから参加し、お互いに学び、支え合いながら能動的にやることで新しい運動体が作られているというのも特徴だ。親が子どもと一緒に参加してワイワイ楽しくやっている地域もある。そのように、みんなが安心して緩やかに参加できるセンターが各地に作られていくなら、いままでなかった新しい活動を系統的に継続することが可能になる。


  衆院選に向けて第一次公認予定候補の発表が始まっている。議員経験者もいれば、まったく別の畑から政治に飛び込んだ候補者もいる。発表にあたって山本太郎代表は「選挙区に根を張って地道に票を積みあげなければ勝負にならない。地元有権者のみなさんとの丁寧なやりとりやポスター掲示などの活動を見て、候補者に小選挙区でたたかうための運動量や力が足りないと判断した場合には公認をとり消すこともありうる。一人一人がそれくらいの背水の陣を敷いてたたかっていく」と緊張感をにじませていた。候補者は一人あたりポスター1万枚を貼ることが目標だという。政治経験があろうがなかろうが、地を這うように選挙区のなかへと浸透していくこと以外に勝機はないという判断は賢明だ。「この国の主人公は政治家ではなく有権者」という立場を選挙戦に貫くということでもある。


  山口4区でも「アベ政治を許さない!」みたいなこれまでの野党的なたたかい方はせず、具体的な地域の要求をすくい上げ、アベノミクスの恩恵の外に置かれてきた市民の切実な声を国政に届けるというスタンスでたたかう方針だ。ネットやメディアを使って観念や思想信条をぶつけ合うような空中戦ではなく、徹底した地上戦をやるということだ。


 激しく政権批判はするが、守るべき人々の生活や感情の機微には関心がないというのが古い左翼の特徴でもある。唯我独尊の自己主張ばかりでは嫌われ、泡沫的な結果しか生まなかったのが現実だ。そんなガス抜きのようなたたかいではなく、真面目に実直に人々の生活や願いの側に立って、具体的な要求や思いと切り結ぶ地べたを這うような地上戦をやるなら保守王国といわれる山口県でも過去に例のない選挙になると思う。


 現職が持つ10万票をひっくり返すのは生易しい話ではないが、地に根を張ったぶんだけ枝葉は伸びていく。焦って結果を求めず、粘り強く活動していくなら変革の糸口が見えてくると思う。


  モリカケ、桜、公文書改ざん、諸々の売国法案の強行可決など、挙げればキリがないほどの政治の私物化や売り飛ばしが進み、国政政党は馴れ合いのなかで壊死状態といっていい状態だ。多くの人が政治に幻滅しているなかで、諦めるのではなく、下からひっくり返して政権を奪取するという過程は、政治が信頼を失った根拠に立ち返り、大多数の人たちのためにまともに機能する政治を作るための新しい運動を作る過程でもある。候補者が誰であれ、政治の主体は有権者であり、このような対話を縦横無尽にくり広げることが新しい政治運動の土壌を作っていく。候補者も有権者の思いに学ぶことから始めなければいけない。


 権力の動きばかり見て「やられている!」とあきらめたり、またその逆で「けしからん!」と悲憤慷慨するだけでは展望は見えてこない。自分の足元や周辺の人たちと対話をくり返していけば落ち着いた情勢判断ができるし、力を合わせるべき具体的な対象が見えてくる。そこに展望がある。

 

世界の新しい潮流でも 欧米各地の事例

 

  世界中を見渡しても、米大統領選におけるサンダース旋風、スペインのポデモス、イタリアの五つ星運動など、各地で台頭し始めた新しい政治潮流はすべて街頭での対話や戸別訪問が具体的な機動力になっている。


 米大統領選の予備選で前回に勝る旋風を巻き起こしているサンダースの陣営では、学生や主婦など無数の若い世代がボランティアになり、各州で数千、数万件もの戸別訪問をおこなっている。かつてのアメリカでは考えられなかった金融資本主義を真っ向から批判する候補者が大統領選で旋風を巻き起こすような地殻変動は、リーダーのカリスマ性や、主義主張が先行する教条的な理論への陶酔というものではない。新自由主義による格差拡大のなかで、多数派である貧困層や中間層の具体的な要求を束ねて形にしているから強い。だから「ポピュリズム」「社会主義」「過激派」などのレッテル貼りにもびくともしない。


 2014年にカリフォルニアの看護師たち200人が戸別訪問をはじめたのを皮切りに、評判とともにその方式が全国へと広がったといわれる。それまでは電話かけやチラシ配り程度だった選挙運動も「ドアベアリング(呼び鈴を鳴らす)」「キャンバシング(戸別訪問で意見を聞く)」となって広がり、今回の大統領選では全米各地で数百人から数千人規模のボランティアが戸別訪問をしているという。もちろんその人々と候補者の政策が合致することが前提だが、サンダースは「このような草の根の選挙が、企業献金に支配された選挙にかわってアメリカ全土を席巻する」と強調している。商業メディアなどに足元をすくわれないためにも、下へ下へと根を張ることが求められる。

 

カリフォルニア州で戸別訪問をするサンダース陣営のボランティアたち(2月)

  イタリア上下両院で第一党にまで拡大した「五つ星運動」も、腐敗した二大政党に抗議する街頭運動や署名活動からはじまっている。保守も革新も野合して腐敗していることへの怒りを根底にしている。3年前に来日した指導者の一人は「インターネットはみんなが出会いを広げ、自由に意見を交わすことができる手段ではあるが、意見が違う人同士が話し合うためには対面で話し合わなければ意思疎通ができない。だから、街頭での対話は人々が直接的に関係を深める点でより重要だ。ネットが広場(街頭)にかわることはない。だから、私たちは毎週末、広場に出て行き、人々と直接対話をしている」と強調していた。公園や広場にブースを設けて不特定多数の人たちと政治論議を広げ、地方選挙から新しい局面を切り拓いていった。


 欧州で「反緊縮」の狼煙を上げたスペインのポデモスも、全国各地に1200以上の「サークル」といわれる集会組織を作り、地域の問題や生活要求を束ねながら足場を固めていった。各国事情が違うので一概にはいえないが、既成政党が有権者からかけ離れて信頼を失っているなかで、国会の内側からではなく、政治に幻滅した多数派の中から新しい政治運動を作り出しているのが共通した特徴だ。「与党vs野党」「保守vs革新」という古いイデオロギー対立ではなく、社会を食い物にする1%と、食われている99%のたたかいだ。そのためには団結できるすべての人と団結していくことが求められる。


  れいわの全国ツアーで山本太郎も「支部があってトップダウンでいうことをきくという形では、この国は変わりようがない。政治は組織化しないとダメという固定観念を壊したい。権力は一人一人が能動的に主体的に動くことを恐れ、全国に把握できない有象無象の集まりができることを一番恐れている。そのような塊を広げていきたい」と話していた。このような地道な対話を基本にして旺盛な政治論議が全国各地で広がっていけば日本の地殻変動も迫力が増してくると思う。5割がしらけて寝ているあいだは「3割支配」は安泰だが、その「5割」が少しでも動き出せば誰も予測不能な様相になりうる。


 「一人一人の心のドアをノックする」――あるボランティアはポスター活動をそう表現していた。1人が2人になり、その一歩一歩が新しい可能性を開いていく突破口になると思う。

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