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凶暴な殺人イデオロギーの暴発 川崎の小学生殺傷事件を考える

 川崎市で51歳の男が、スクールバスを待つ小学生たちに背後から2本の包丁を持って襲いかかり、小学校6年生の女の子と39歳の男性を死亡させ、子どもたち16人と母親1人に重軽傷を負わせた事件が世間を震撼させている。金が目的でも、個人的な恨みをはらすことが目的でもなく、何の関係もない人たちを襲って殺傷するこうした無差別大量殺人は、20年前のJR下関駅通り魔事件を契機にして池田小学校襲撃事件、秋葉原大量殺人事件、やまゆり園襲撃事件と何度もくり返されてきた。ある日突然、理不尽にも生命を奪われるというのは、本人にとっても肉親を奪われた家族にとっても許しがたいことである。そしてその残虐さや反社会性は、アメリカで頻発する銃乱射事件とも共通するものがある。なぜこうした悲惨な事件がくり返されるのか、社会的背景もあわせて記者たちで論議してみた。

 

  事件があったのは28日午前7時40分頃で、川崎市多摩区登戸新町の路上に小学生たちが並んでスクールバスを待ち、親たちが見送りにきていた。そこに2本の包丁を持った男が無言で近づき、背後から切りつけた。死亡したり重軽傷を負ったのは、2人の親のほかは小学校1年生から6年生までの17人だった。男に包丁で顔や首、肩、あごを切りつけられた子が多いという。付近は血の海になっていたようだ。突然のことで恐怖から泣き叫んだと思うが、それでもパニックになる友だちを「頑張ろうね」といって励ます小学生もいたという。その後、男は現場で自分の首を刺して自殺した。

 

 「死ぬんだったら1人で死ねばいいのに」とか、「まったく関係のない子どもを巻き込んで、親や家族はどんな気持ちだろうか」といたたまれない気持ちでみながこのニュースに怒り、釘付けになった。無抵抗の子どもたちが集まるところを狙った犯行で、包丁も4本準備し、すべらないように作業用手袋をつけていたというのだから、相当計画的だ。精神を病んでいたにせよ、いかなる理由があっても許されるものではない。子どもを失った親はやりきれない。外務省職員の家族だってそうだ。

 

  下関市の小中学生の子どもを持つ父親は、事件後にネットで「殺した男が悪いのではない」という書き込みがあったことに怒っていた。「親からしたら、朝、いってらっしゃいと送り出し、夕方には帰ってきて勉強や友だちのことを話し合う日常が突然断たれたのだから、理屈なんかどうでもいい。うちの子を返してくれと思う。しかも子どもを殺しておいて自殺したので、親は怒りをぶつける相手もいない。その気持ちはどれほどだろうか」といっていた。

 

  犯人の岩崎隆一(51歳)は、両親が離婚したあとは現在80代になる伯父、伯母の家で暮らしていたようだが、長期間にわたって働くこともなく、家の中に閉じこもるひきこもり状態だったという。同居する伯父や伯母とはほとんど会話がなく、手紙でやりとりするぐらいで、伯父や伯母が自宅に介護サービスを入れるときに心配して市に14回も相談するほど、腫れ物に触るように接していたようだ。一方当人は、伯父や伯母から食事や小遣いを与えられて生活している身分なのに、「ひきこもりじゃない」といって腹を立てたり、近所の人とトラブルを起こしたりしていたことが報道されている。

 

 中学校の同級生が「ささいなことでイライラし、腹を立てるが、自分より強い者にはけっして手を出さず、弱い者を狙う卑劣なところがあった」といっているのも気になる。直接の犯行の動機はよくわからないけれど、病気で動けないわけでもないのに50代にもなって自活する努力をするわけでもなく、それでも暮らしていけていた。社会的にはきわめて非力で軟弱な存在だったことがうかがえる。そこから人生に絶望して社会に腹を立てたのか、やっていることはきわめて凶暴で、他人の人生を平気で奪っていく傍若無人さがある。依存していた伯父伯母に介護が必要なまでになったということは、ひきこもり生活もそう長くは続けられないことを自覚していたかもしれない。

 

 D 殺された女の子と同じ6年生の子どもを持つ母親は、1人で死ぬのは嫌なので子どもたちを巻き添えにし、そうやって自殺してでも鬱憤を晴らして目立ちたいという自己顕示欲を問題にしていた。事件後、同じ川崎市内の子どもを対象に「次はお前たちをめった切りにしてやる」とSNSに書き込みがあったことも同じ性質だ。世間一般が嫌悪する反社会的なこと、無差別大量殺人をやってでも自分の内に秘めた怒りや鬱憤をぶちまけたい、目立ちたいというのは、まともな感覚ではない。あと、事件の数日前にも名古屋の繁華街であった殺人事件で、鉄パイプや刃物で何度も殴ったり刺したりする画像や、被害者の腹に刃物を突き立てている写真をネット上に投稿していた者がいた。助けに行くわけでもなく、携帯で動画を撮って傍観していたり、それをネットに配信して目立とうとしたり、世も末だなと思わせる。

 

無差別殺人が蔓延する社会へと変貌

 

  振り返ってみると、こうした無差別殺人事件が世間の注目を集めるようになったのは、1999年9月に上部康明(当時35歳)が起こした下関駅通り魔事件からではないか。上部は車で下関駅構内に突入し、ボンネットに人を跳ね上げ、倒れた人をひき、さらに停まった車から降りて包丁を手にホームを駆け上がりながら、すれ違う人を次次と切りつけた。死者5人、重軽傷者10人が出た。あのときは下関中が震撼した。当時、自分は高校生だったが、駅構内で必死に走って逃げた友人たちは学校でそのときの恐怖を語っていた。本当に信じられないような事件だった。

 

 上部は地元の進学高校を出て九州大学に進んだが、卒業後は人間関係が結べず、なかなか就職できなかった。その後、一級建築士になって設計事務所も開設したが、しだいに営業不振になり事務所を閉鎖。妻には離婚を迫られ、親には援助を断られ、ローンだけが残ると、「なにをやってもうまくいかない」「それは周囲に責任がある」「社会にダメージを与えてから死んでやろう」と思うようになり、大量殺人計画を立てた。下関の事件の3週間前に池袋通り魔殺人事件が起こっていたが、「池袋の事件のようにナイフを使ったのでは大量に殺せないので車を使った」「社会に不満があり、誰でもいいから殺してやろうと思った」と犯行後にのべている。両親ともに教師で、高学歴の自負もあるが、現実社会とかみ合わず、挫折の末に暴発した事件だった。

 

  次に社会に衝撃を与えたのが池田小事件(2001年6月)で、それまでの日本では例のない小学校での無差別殺人事件だった。宅間守(当時37歳)が、大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持って侵入し、校舎一階にあった低学年の教室に押し入って子どもたちを次次に刺した。1、2年生の児童8人が死亡し、教員2人も含めた15人が重軽傷を負った。その後の裁判でも「幼稚園ならもっと殺せた」というなど、何の反省もなかった。

 

 宅間は父親が荒れ狂って母親に暴力を振るう家庭環境で育ち、工業高校中退後に自衛隊に入ったがこれもやめ、バス運転手、小学校用務員、トラック運転手、タクシー運転手と仕事を転転とした。その間、婦女暴行、暴行傷害、高速道路逆走、薬物混入などで15回逮捕されている。つまり仕事が長続きしないのは、社会の最低限のルールを守らず、他者への配慮がきわめて乏しいことが原因だったと、当時を知る人は語っている。

 

 死刑になる前、事件について「仕事を失い、働く気力もなくなって、どうせ死ぬなら無茶苦茶やったろう、同じやるんやったらエリート校や、と」「(子どもたちを殺傷している)途中で、もうやったらいかん、やめないかんと思ったが、勢いがあって止まらんかった。誰かに後ろから羽交い締めされたとき、やっとこれで終われるとほっとした」といっている。理性で感情を抑えることができないほどの精神状態で、医師は「問題を解決する能力は小学3年生レベル」だとのべている。きわめて幼稚であり、動物的で刹那的なのだ。高校の同級生も「教室のロッカー内に小便したり、突拍子もないことをやっていた。小学生がそのまま大きくなった感じで、わがままで自己中心的な男」といっている。

 

  そして2008年6月の秋葉原事件だ。加藤智大(当時25歳)は2㌧トラックで日曜日の歩行者天国に突っ込み、歩行者5人をはね飛ばしたうえ、トラックを降りて、被害者の救護にかけつけた通行人ら17人を持っていたダガーナイフで次次と襲った。7人が死亡し10人が重軽傷を負った。

 

 加藤は携帯のサイトに「秋葉原で人を殺します。車で突っ込んで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」と予告の書き込みをし、以後分刻みで計画の進捗状況をサイトに記録していった。幼稚だが自己顕示欲だけは強い。彼の心象風景はこの書き込みを見ればよくわかる。

 

 「どうして俺だけ1人なんだろ。望まれずに生まれて 望まれて死んで。待っている人なんか居ない 俺が死ぬのを待っている人はたくさんいるけど。みんな俺を敵視している 味方は1人もいない この先も現れない」「どーせおれなんて、中年になっても六畳一間のボロアパートで1人暮らしでしょう。勝ち組はみんな死んでしまえ。トラックのタイヤが外れてカップルに直撃すればいいのに。やっぱり他人の幸せを受け入れることはできません 知ってる奴ならなおさら。やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」

 

 教育熱心だった母親の下で育った加藤は、中学までは成績が常にトップクラスだったが、青森県で屈指の進学校に入ってからは成績が落ち、母が望む北大への進学を断念。その後、自動車整備士の資格もとれず、勤めていた警備会社もやめ、派遣社員として自動車工場を転転とした。職場で人間関係を結ぶことができず、無断欠勤、職場放棄、そしてそのまま退職、というのをくり返していたようだ。

 

  最近のことで強烈な印象を残したのが、2016年7月、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった無差別殺傷事件だ。26歳の植松聖が、社会的弱者である無抵抗の知的障害者を次次とナイフで襲い、19人を死亡させ、26人に重傷を負わせた。

 

 この事件が他の事件と違って特異なのは、植松が犯行の前に衆議院議長公邸を訪れ、「生きていても意味がない障害者を殺傷することは日本国と世界のためであり、正義の行動」だとして、犯行後の身分の保証と金銭的支援5億円を求め、「安倍晋三様にお伝えください」などとしたためた手紙を渡していたことだ。植松は小学校の教員をめざしたが挫折し、大学卒業後は運送業など複数の職場を転転として「やまゆり園」に行き着いた。苦労の多い障害者施設のなかで耐えきれず、入所者に暴力を振るうなどさまざまなトラブルを起こしていたというが、その植松が障害者や高齢者、あるいは貧困層をお荷物とみなす、自己責任、弱者切り捨てという支配の側のイデオロギーを真に受けて、それで自己の凶暴な犯行を正当化し、挫折した鬱憤を晴らして悪びれていないところに異常さを感じる。

 

社会の犠牲者か? 荒んだ精神世界を肯定してよいか

 

  こうした事件はどれも特異で、まさに気狂い沙汰の行為だ。しかし「精神異常」ということだけではすまないし、社会的な背景と無縁ではない。犯罪は社会を映し出す鏡であるといわれるが、身も知らぬ人間を皆殺しにしていくような凶暴な事件が身近なものになっている。極めて身勝手であり、未来ある子どもだろうが虫けらくらいにしか見なしていない。「自分だけ死んだらいいではないか、などといわないで」という主張もあるようだが、社会的に許容できるものでは断じてない。自分の恨みや鬱屈した感情を、手当たり次第に社会にぶちまけ、他人の生命を奪うような行為はいかなる社会であっても許されない。「社会が荒廃しているから仕方がない」という問題ではない。

 

 かつて高度成長期の日本には「一億総中流」という言葉があった。しかし今では、一部の大企業や富裕層への富の集中と大多数の貧困化という二極分化が顕著だ。非正規雇用は就業労働者の4割にのぼるが、そのうち平均年収が186万円の貧困層が930万人おり、この層が急速に拡大しているという。80年代にメディアが「自由な生き方」と持ち上げたフリーターはいまや50歳前後になり、続く就職氷河期にはさらに新卒者の非正規雇用が拡大し、正社員並みの長時間労働に駆り立てられるが賃金は少なく、結婚も子育てもままならない層が増えている。

 

 こうして働く者がきわめて生きづらい社会になっているのは事実だ。だが、そうした悪すぎる環境のなかでも、みんながみんな殺人鬼にはなっていない。両親が離婚したり貧乏だったりしても、多くの者は弱い者に襲いかかったりなどしない。こうした自己中心的な犯行に及んでいる者たちのイデオロギーに共通するのは、現実世界で挫折したり困難に直面したとき、自己の弱点を直視して克服するよう努力するのでなく、そうした厳しい社会の現実に打ちのめされ、逃避しながらもはけ口を弱者や社会全体に求め、何の関係もない人たちの人生を奪ってでも鬱憤を晴らすという反社会性だ。孤立してしまい、ひ弱で幼稚だが、己の思いは強く凶暴なのだ。強烈な自己中心イデオロギーが根底にある。この殺人イデオロギーが蔓延し始めていることについて社会全体が認識しないといけない。

 

  新幹線の中で注意されると逆ギレして相手を刺し殺したり、注意されたのにカッとなって煽り運転をしたあげく相手を事故死させたりする。社会的に自分の鬱憤を晴らすために他者を殺めるというのが大量殺人に限らず蔓延している。非常に動物的で短絡的で、刹那的だ。その幼稚版がバイトテロにも通底している。反社会的である、すなわち社会性が備わっておらず、人を殺すことへの躊躇がなくなっている。厳しい社会現実のなかで虫けらのように扱われた者が、今度は他者を虫けらの如く見なし、手を掛けていく攻撃性について、もっと突っ込んでイデオロギー的にも解明しないといけない。弱い者がさらに弱い者を叩く社会構造のなかで、精神世界の荒廃や崩壊はエスカレートしている。

 

  この20年近くで頻発し始めた無差別大量殺人は、アメリカの銃乱射事件を彷彿とさせる。日本に先行して社会が荒廃するアメリカでは、学校を舞台にした銃乱射事件があいついでいる。1999年、コロラド州のコロンバイン高校で2人の高校生が銃を無差別に乱射して13人の高校生を殺し、直後に自殺した事件は、その後、銃規制をとりくまないブッシュ政府(当時)を追及する映画にもなり日本でも話題になった。昨年2月にはフロリダ州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、19歳の卒業生が半自動ライフルで無差別に発砲し、17人の高校生を死亡させた事件が起こり、それを契機に銃規制を政治家に要求する高校生たちの全米規模の行動に発展した。

 

 それでも共和党も民主党も、犯人の精神疾患は問題にしても、銃規制に進もうとしない。全米ライフル協会をはじめとする軍産複合体が最大のロビー団体になっているからだ。銃乱射事件はここ数年、年間300件をこし、死者は1万5000人にもなっている。アメリカでは戦争や殺人を渇望する勢力と、高校生や米国民との激突になっている。

 

  銃乱射と日本国内で頻発しはじめた無差別大量殺人も同質のものだ。日本社会が抱える病巣について、アメリカそっくりな事態が進行していることについて考えないわけにはいかない。

 

 B 今回の事件で、ある落語家が子どもや父親を殺した犯人に「死にたいなら1人で死んでくれ」と発言したことに対して、ある学者が「その言葉は控えてほしい。社会はあなたを大事にしているというメッセージを発するべき」と発信したことが物議を醸した。秋葉原事件のときも、犯人が非正規労働者だったことから「自殺と同じで、社会全体から追い詰められた彼の怒りだ」などと大企業の犠牲者と見る意見があった。こうした意見はどちらかといえば進歩派といわれる部分に多い。荒廃した社会の犠牲者なのだから、彼らを責めてはならないという響きをともなって拡散される。しかし、社会がどのように荒廃して汚泥にまみれていようと、そのなかから他者を思いやりまっとうな人間として一人一人が生きていかなければどうしようもない。苦しいならなおさら抗うしかない。社会が腐っているから仕方がない…、僕がダメなのは社会がダメだからだ…といって敗北した末に、他人を殺めてもよいのか。よいわけがない。何をいっているのかと思う。社会的な問題はそれとしてあるが、よりよい社会を望むのであれば、無差別大量殺人のような身勝手な犯罪にはきっぱりとした立場をとらなければならない。腐った社会ではあるが、「社会が悪い」といえば何をしても正当化されるということにはならない。それで自分まで精神的に腐ってどうするのかと。

 

  世の中、人と人とが助け合って成り立っているし、幼児や高齢者はみんなで支え、相手を思いやることで成り立っている。だが、今のあらわれはきわめて凶暴で、動物的、刹那的であり、自分の感情の抑えがきかない。戦後はアメリカ型個人主義が持ち込まれたが、80年代から市場原理が徹底されるのにともなって、「今だけ、金だけ、自分だけ」のより強烈な個人主義イデオロギーが強まった。このなかで、一つには攻撃性が強まっているのが特徴だ。他者がどうなろうが知ったことではないし、自分の思いや感情が第一。気に入らなければ執拗に攻撃を加えたり、のぼりつめていくようなケースも珍しくない。それぞれが孤立した状況のなかで自己防御意識だけは高まり、同時に攻撃性が備わっている。

 

  今回の事件に対して、警備体制を強化したりするだけで解決にならないことははっきりしている。人を殺人者に駆り立てる凶暴なイデオロギーと、その社会的背景を明らかにして、まともな社会をとりもどす力を強める以外にない。

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