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東京都知事選を考える 永田町に一発入れ現時点での実力示す れいわ新選組の本気はこれから

 7月5日に投開票を迎えた東京都知事選は、現職の小池百合子が365万7855票(開票率99%時点)の得票で二選を果たした。当日有権者数は1129万229人、投票率は前回(59・73%)よりも4・73ポイント低い55・0%となった。

 

 コロナ禍という前代未聞の社会状況のなかでたたかわれた選挙戦には過去最多の22人が立候補し、そのなかでも自・公及び労働組合の連合が推す小池百合子に対して、野党共闘が急遽アリバイ的に丸抱えした弁護士の宇都宮健児、大阪維新の東京版として挑んだ元熊本副県知事の小野泰輔、さらに消費税5%減税への政策合意を受け付けぬ既存政党の旧い枠組みからの誘いを拒み、その外側から第三極としてれいわ新選組代表の山本太郎が挑んだ。得票結果は、それぞれの陣営の東京都民のなかにおける現在の支持基盤及び実力を映し出した。

 

コロナ禍便乗の逃げ切り戦略 黙殺と二刀流だった小池百合子演出

 

 今回の選挙は、期間中に東京都内でコロナウイルス感染者が日に日に増加して第2波襲来を感じさせるなど、引き続き“密”への警戒感が強まる緊迫した空気のなかで実施された。各陣営は選挙で本来求められる、街頭などでより多くの人を集め、不特定多数に訴えかける選挙手法とはまるで反対の対応(密を配慮し告知なしにするなど)を迫られるなど、経験したことのない特異な状況での選挙運動を強いられた。

 

 首都決戦での中心争点は、新型コロナ対策や五輪開催をはじめとした小池都政4年に対する都民の審判であった。前回選挙では「自民党とたたかう小池百合子」としてメディアが小池劇場を演出し、「反自民」色で無党派層を取り込みつつ華々しくデビューを果たした。しかし、4年たってみてすっかり安倍政府と歩調を同じくし、自民党そのものの本性をさらけ出している小池都政を継続するために、今回の選挙では「コロナ対策に励む小池百合子」プロモーションを徹底すると同時に、前回は敵対している格好をしていた自民党都連に加えて、労働組合の連合の組織票まで丸ごと小池陣営に取り込んだことが得票からは浮き彫りになった。選挙戦は全般として低投票率狙いがあからさまに貫かれたのが特徴だった。

 

 この低投票率狙いに加担したのがジャーナリズムを標榜する報道機関で、終盤に至るまで徹底的な黙殺を貫いた。系列に関係なく、テレビも新聞も大手は記者が取材には走るものの、まったくテレビ画面に映すこともなく、紙面に戦況を報じることもなく、無視を決め込んだ。4年前の小池劇場と比較すればその差は歴然としたもので、他候補の露出機会を増やす公開討論会もなし、悪役たる「都議会のドン」とのたたかい等の面白おかしな切り取りもなければ、正攻法としての都政批判や公約検証もなく、スポンサーや広告主、あるいは首根っこを抑えられている電通から「徹底的に黙殺せよ」の指示が出ていたのかと思うほどの共同歩調をとった。

 

 こうしてメディア戦略によって現職以外の候補者たちの存在感が表舞台からかき消される一方で、コロナ対策で売り出す小池百合子は、通常であれば選挙期間中は副知事なりが代役を果たすべきところを本人が連日テレビに出続け、「選挙どころではなく、目下疫病対策に専念する百合子」プロモーションを続け、本人は街頭演説をするわけでもなく、陣営は街宣車を走らせるわけでもない省エネ選挙を実践した。自民党や公明党、さらに連合の支持基盤を徹底的に固める組織型のステルス選挙を展開するのと併せて、コロナをもっけの幸いにしたメディア演出の二刀流によって二選を決めたといえる。

 

 首都・東京の都知事に誰がなるのか。これは全国的にも影響が大きく、政府与党および経団連はじめとした財界、為政者、権力機構にとって譲れないポストである。かつて革新都政などを生みだし、また国政選挙などでも自民党が決して強いとは言えない首都圏において、公明党を取り込み、自民党都連ともうまいことやって連続当選を重ねてきた石原慎太郎が退場した後は、猪瀬直樹がバックに入りきらないほど(実演してみせた)の現金をもらったことが発覚して退場、その後の舛添要一も公用車問題等等の実態が暴露されて2年でお役御免となり、めまぐるしい変遷を遂げて小池百合子まで首がつながってきた。

 

 首都圏を抑えるにあたって、そのトップの座が青島幸男だろうが石原慎太郎だろうが、テレビ出演で名前を売った芸能人だろうが作家だろうが、要するに政府与党及びその上段に君臨する経団連はじめとした財界の使用人であれば誰でも良いというのが背後勢力にとっての都合にほかならない。その目にかなった小池百合子再選のための戦略が、今回については低投票率狙いの他候補“黙殺型”&コロナ対策に精を出す小池百合子演出だった。野党共闘なるものは、せいぜいフェイクとしてアリバイ的に左翼陣営あたりの得票バキューム装置として機能させ、そのもとで自・公の組織票を上回るほどの脅威にならなければ自由に泳がせる。同時に、国会及び既存の政治構造の枠を飛び出して街頭から熱気を作るものについては、「コロナの小池百合子」をテレビ画面に連日映し出すのとは裏腹に、その存在をかき消して黙殺する――。それは露骨なまでに徹底されたものだったといえる。

 

 自民党は今回の選挙で独自に正面から候補者を擁立することができなかった。それは小池百合子が自民党そのものという本性もあるが、政党としては擁立を回避せざるを得ず、反自民のような出で立ちで登場した者を抱えての選挙を余儀なくされた。一方の野党も、「野党第一党」などといわれる立憲民主党も独自候補を擁立するほどの力もなく、今回の選挙では自薦で手を挙げた宇都宮健児に泡沫政党がこぞってアリバイ的に乗っかったにすぎない。そして、支持者の一部である連合なる組織は、自・公の付属物・補完勢力としての本性を公然と丸出しにするなど、瓦解が進行していることが露呈した。

 

 このなかで、“黙殺型”を選択せざるを得ない最大の原因ともなり、選挙のカギを握っていたのは放送禁止物体扱いだったれいわ新選組・山本太郎だったことは疑いない。消費税5%への減税という政策合意を立憲民主党が拒むなかで、野党から紐をつけられてれいわ新選組が骨抜きにされる形で都知事選に出馬することを逆に拒み、あえて選挙に行かない5割の有権者にリーチをかけていく挑戦となった。決して甘くはない現実と今後にたいする課題を突きつけられたとはいえ、旧い政治を乗り越えて新しい政治勢力として“みんなを幸せにしたいんだ!”を掲げ、困難に直面する国民そのもののために献身する政治勢力として台頭していく覚悟を見せた。勝負事としてはまぎれもない敗北ではあるが、旧い永田町のしがらみにたいして一発を入れに行った姿勢は、単純な勝ち負け以上の意味を持ち、むしろ今後の政局を揺さぶる力として作用することは疑いないことを示した。

 

旧政治vs新しい政治の対決 壊さなければならないものもある

 

 与野党ともに硬直した政治構造のなかで、多くの有権者が政治から置き去りにされ、政党そのものも支持基盤を失い浮き上がった存在になって久しい。国会にせよ地方議会にせよ、その首長選挙にせよ、こうした既存政党の利権争奪戦の様相を呈し、机の下で手を握り合いっこしているような欺瞞的な政治に多くの有権者が幻滅、失望してきた。野党とて、庶民の暮らしからはかけ離れた飼い慣らされた批判勢力といった印象が拭えないのが現実だ。その結果、5割もの人々が棄権し続ける選挙がくり返されている状況には変わりない。そうした旧い政治に対して、かさぶたとなっている野党もどきも含めて乗り越えていく気概を示した第三勢力の台頭が注目された。それなりに台風の目にはなったが、産みの苦しみはまだまだ続くこと、その努力や苦労、苦渋の決断を含めた修羅場をくぐるなかで、より強靱に鍛え上げられた政治勢力として実力を備え、閉塞した日本の政治状況に風穴を開けていくことへの期待は変わらない。コロナ禍の選挙において、街頭から確かな力を束ねていったことは、選挙結果にも如実に反映されるものとなった。

 

 今回に限らず、低投票率狙いの選挙が続くのは、既存政党が力を失い、弱体化していることの裏返しでもある。メディア演出によって支えられているのも、個々の政治家の実力があまりにも貧相なものとなり、使い物にならないことの裏返しにほかならない。政治家としての能力はたいしたことない者ほど取り立てられるのも特徴だ。こうして有権者の5割を置き去りにして「一強多弱」なる虚構の政治構造に収斂(しゅうれん)してしまい、何度選挙をやっても世の中は変わらないとか、消滅野党支持者の側でいつまでも悲憤慷慨(ひふんこうがい)し、現実を変える力は何も持ち合わせていないというような風潮を蔓延らせてきた。

 

 一連の現状を打開するためには、政治に幻滅した投票に行かない5割の有権者の胸元に直接飛び込んで訴えを届け、支持を獲得していくような第三極の存在が不可欠であり、その実力が選挙の度に洗練されたものになっていくこと以外にはない。あきらめや絶望ではなく、みんなが生きていける社会をつくるために、“みんなを幸せにしたいんだ!”という訴えは決して色あせてなどいない。というか、色あせるとか色あせないという話でもない。選挙において決定的ともいえる地上戦を展開するために、表層のみならず各地で自・公を凌駕するような地域コミュニティと強力につながった力を束ね、次期衆院選で大暴れすることが求められている。

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この記事へのコメント

  1. 前田年昭 says:

    在野の真っ当な批判精神、喪われた日本のジャーナリズムが、この報道のなかに存在することを確信し、敬意をもってエールをおくります。

    都知事選の結果は、これまでの「革新」「野党」が資本と権力に対する批判の力を既に喪っており、したがって、在来の野党共闘、野党連合という考え方では、資本と権力の支配を転覆して打ち勝つことはできないと、事実で教えました。

    コロナ・パンデミックが明らかにしたとおり、医療や教育はあらゆる権力、利潤から離れたところで行われるべきです。人民が、生活と権力・自由と民主主義を守り、生き抜くためには、これまでの議員や弁護士などの「先生」頼みの、署名とカンパに頼った運動ではなく、一人ひとりの力にもとづいた組織と運動が必要だと痛感します。

    共にがんばりましょう。

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