いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『軌道』 著・松本創

 JR西日本・福知山線で2005年4月、快速電車が宝塚駅から尼崎駅に向かう途中のカーブに制限速度70㌔を大幅にこえる約116㌔で進入しようとして脱線、一両目から横倒しになってマンションに激突し、死者は運転士を含む107人、負傷者は562人という、国鉄分割・民営化以降最悪の事故が起こった。しかしその後、JR西日本の歴代3人の社長が起訴されたが、一審・二審とも無罪、昨年9月には最高裁が上告を棄却し、誰も刑事責任を問われていない。

 

 本書はフリーライターの著者が、事故で妻と妹を失い、次女が瀕死の重傷を負わされた遺族の淺野弥三一氏に寄り添って、事故の原因を追及し続けた記録である。とくに国交省の事故調査委員会が2007年6月に公表した最終報告書が、原因部分をわずか12行しか書いておらず、しかもその中身が「運転士のブレーキ遅れ」、つまり個人のミスとみなしていることから、JR西日本という組織全体の企業風土を明らかにしなければ解決しないと、取材を本格化させている。

 

 取材の対象はJR西日本の経営陣にも及ぶ。事故当時の最高責任者で「JR西の天皇」といわれつつ、事故後には公の場に出ようとしなかった井出正敬(元社長)へのインタビュー(2017年9月)で、井出は、国鉄改革がいかに偉大なことだったか、組合対策がどんなに必要だったかをくり返し、「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。そんなのはまやかしです」「完全に運転士のチョンボ。それ以外ありえない」と、死人に口なしとばかりに運転士の性格や能力の問題をあげつらった。

 

 井出は「国鉄改革3人組」の1人で、「井出が総司令官、松田昌士(元JR東日本社長)が参謀長、葛西敬之(元JR東海社長)が切り込み隊長」といわれ、首相・中曽根や運輸相・三塚、橋本らと水面下で連絡をとりあいながら、労働組合を切り崩し、分割に反対する当時の国鉄総裁以下経営陣と暗闘をくり広げた人物である。橋下徹を大阪府知事に担ぎ出すときの中心の一人でもあった。

 

 そしてこうした経営陣が、実際に事故が起こり刑事責任が追及されそうになると、証拠隠しや隠滅、事情聴取を控えた社員に対する供述内容の口裏あわせなどを組織ぐるみでくり返してきたことも暴露している。取材を進めるなかで、事故の背景としての国鉄・分割民営化によるもうけ第一主義と安全性軽視の体質が浮き彫りになっていく。

 

余裕時間削減と速度アップ 安全対策は放置

 

 第一は余裕のないダイヤである。JR西日本は1996年に株式上場を果たすが、首都圏をかかえるJR東日本、東海道新幹線というドル箱を持つJR東海と比べて経営基盤が脆弱で、民営化前に黒字だったのは山陽新幹線と大阪環状線のみ。他の52路線はすべて赤字だった。私鉄王国の関西では、運賃で競合他社に対抗するのは難しく、安定して収益を上げるには列車のスピードアップしかない、というのが井出体制の方針だった。JR西日本発足当時、宝塚駅~大阪駅間は31分だったが、事故直前には22分まで短縮された。とくに福知山線ではダイヤ改正のたびに余裕時間が削られ、また駅の停車時間が短縮されて、同路線では列車の遅れが慢性化していた。1988年の同社の経営会議資料には「余裕時間の全廃」が掲げられていた。

 

 第二には、経営陣がATS(自動列車停止装置)の導入を遅らせたことである。97年3月、福知山線の区間最高速度を時速100㌔から120㌔に引き上げ、対応した新型車両を独自開発して大量に投入した。こうしてスピードアップをはかりながら、それに見合う安全対策としてのATSは、計画しながら長く放置した。

 

 第三に、そもそも定時運行が無理なダイヤを組んでおきながら、1分以上遅れたときには「反省事故」として、一定期間乗務を外して懲罰的な日勤教育をおこなった。日勤教育に内容や日数の規定はなく、反省文や就業規則の書き写し、線路の草むしり、トイレ掃除をおこなわせる、罵声を浴びせるなど、人格否定のいじめにほかならない。JR西日本ではスピードアップをはかった97年頃から激しくなったという。こうした日勤教育を恐れて乗務員がミスを報告しないことも日常茶飯事になっていた。

 

 社員が毎朝始業時にみんなで唱和させられる経営理念の内容も、事の性質を考えるうえで示唆的だ。それは「私たちは、あらゆる機会をとらえて売上の増加に努め、常にコスト意識を持って業務の効率化を図り、会社を発展させ、株主の付託に応えます」というもので、公共交通機関の安全な運行を維持する社会的責任など何もなく、ただ企業と株主利益を増やすために我が身を捧げるという内容なのだ。

 

 こうした企業風土は大事故が起こっても改められていない。その証拠に昨年12月、新幹線のぞみの台車枠に大きな亀裂が入り、異臭がしていたのにそのまま走らせて、あわや脱線事故という重大インシデントが起こっている。しかもその後、新幹線の台車を製造した川崎重工業が、鋼材を加工するさい、設計基準よりも薄くなるまで削っていたために強度が不足していたことも発覚した。JRだけでなく製造業全体に、企業利益と経営効率ばかり追求し、人員やコスト削減に走ってきた結果、安全性や品質という「ものづくり日本」を支えたもっとも重要な部分の劣化が広がっているのである。

 

 本書は福知山線事故を通じて、公共性を否定する民営化路線の犯罪性を明らかにしている。
 (東洋経済新報社発行、B6判・366ページ、定価1600円+税

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