いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『じゃがいもの世界史』 著・伊藤章治

 今から1500年前、今の南米ペルーで栄えたインカ帝国で誕生し、インカ帝国を滅ぼしたスペインによってヨーロッパに運ばれて、「貧者のパン」としてヨーロッパの大衆の飢餓を救ったジャガイモ。アンデスの4000㍍の高地で生まれたことから、北ヨーロッパの土地のやせた寒冷地をものともせず、豊かな収穫をもたらして、豊富なデンプンやカリウム、ビタミンCを人間に供給してきた。本書はジャーナリストで桜美林大学名誉教授の著者が、このジャガイモの足跡をたどる旅で南米やヨーロッパ、ロシア、そして国内各地の現場を訪れ、そこで出会ったさまざまなドラマをつづっている。

 

 南米アンデス山脈のほぼ中央部、標高3812㍍のところにティティカカ湖がある。このほとりの高原地帯が、今われわれが食べているジャガイモの故郷である。というのも、そこで現地の農民が物物交換する市に行ってみると、多種多様なジャガイモの品種を見ることができるからだ。それはアンデスの人たちが何千年もかけて品種改良した結果にほかならない。また、現地でジャガイモの祖先種と見られる野生種も見つかっている。

 

 1532年、スペインの征服者ピサロがインカ帝国に侵攻し、インカ皇帝を拉致して黄金を略奪した。このとき船乗りの土産としてスペインにもたらされたのがジャガイモであった。そしてジャガイモは、戦乱や飢饉などの歴史の曲がり角で、しばしばヨーロッパの民衆を救うことになる。

 

 一つの例が17世紀の「30年戦争」後のドイツである。戦争に敗れたドイツは国土が荒廃し、人人は木の皮や野山の草で食いつながねばならなくなった。そのとき為政者が全土でジャガイモを栽培せよと呼びかけ、役場の前で種イモを無料で配ったという。そこにドイツが誇るジャガイモ文化の基礎が芽生えた。

 

 また、ジャガイモを最初に主食として受け入れたのはアイルランドである。アイルランドは12世紀以降、イギリスの植民地となり、耕作地の3分の2を占める小麦は収奪され、残りの3分の1の土地に植えたジャガイモで生きてゆかねばならなかった。だが、多雨で岩盤だらけの土地がやせたアイルランドでも、ジャガイモはしっかり育った。しかし1845年、疫病によってジャガイモが全滅すると150万人が餓死し、100万人が移民として渡米することになる。その移民によってジャガイモは米国に伝わった。

 

 そのほかロシアでは、19世紀に青年将校たちが農奴の解放をめざして反乱を起こし(デカブリストの反乱)、シベリアに流刑となった。そのとき彼らは初めて農民の本当の暮らしを知り、「極寒の地にこそジャガイモを」と種イモをとり寄せてみずから農作業に励んだという。彼らの奮闘でジャガイモがシベリアの大地に根付いたのだから、それこそもう一つの「革命」ではないかと著者はのべている。

 

1600年頃に日本に到着

 

 では、ジャガイモはいつ日本にやってきたのか。1600年頃、オランダによってジャワ(今のインドネシア)のジャカトラ(ジャカルタの古名)から長崎港に輸入されたのが最初で、ジャカトライモが転じてジャガイモになったというのが定説である。

 

 その後の歴史のなかで、明治時代の足尾銅山鉱毒事件とジャガイモのかかわりには驚かされる。古川財閥による鉱毒の垂れ流しで故郷を追われた栃木県の谷中村などの農民が、その後北海道移民となって道東のサロマ湖周辺に入植するが、酸性度の強い劣悪な土地でもジャガイモがよく育ち、厳しい寒さのなかで彼らが生き抜くことを支えたのである。

 

 また、長崎県はジャガイモの生産量が北海道に次ぐ2位だが、そこに至るまでには寒冷作物を暖地向けにするための品種改良や病害虫対策に多大な労力が注がれてきた。たとえば暖地向けで二毛作可能な品種をつくろうとする。ジャガイモの早生と晩生を交配して生まれる新しい種子が1年に5万個であり、種子は50万個播いて新しい品種が見つかるのがやっとなので、新しい品種の発見に10年はかかることになる。つまり気の遠くなる時間と根気がなければそれはできない。本書から、ジャガイモを何としてもその土地に根付かせようとする先人たちの気概が伝わってくる。

 

 さて、今から約10年前の2007年、小麦やトウモロコシの価格が急騰して世界食料危機が起こった。きっかけは穀物生産国の干魃(ばつ)や原油価格の上昇だったが、トウモロコシを原料とするバイオ燃料2倍化という米国政府のエネルギー政策やヘッジファンドなどの投機マネーの穀物市場への流入が拍車をかけたことは明らかだ。

 

 食料自給率38%、穀物自給率に至っては175カ国中122位の27%という日本が、このまま食料を輸入に頼り続けるなら、こうした食料危機がいつ国民を襲わないともかぎらない。本書のなかではドイツが、食料自給率が91%でありながら、敗戦後に公園を畑にしジャガイモを植えて飢えをしのいだ経験を忘れず、クラインガルデン(市民農園)を100万区画(1区画平均300平方㍍)つくって「食の安全装置」としていることも伝えている。他の独立国と比べて、また先人たちの努力と比べても、現在の日本の為政者がいかに国民の食料問題を軽視しているかが、浮き彫りになる。


 (中公新書、243ページ、定価840円+税

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