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『進駐軍向け特殊慰安所RAA』 著・村上勝彦

 日本軍の従軍慰安婦問題についてはこの30年来、さまざまに論議されてきたが、敗戦直後に日本政府が日本を単独占領したアメリカ軍兵士のために、国策として日本人女性を集めて「占領軍専用の性的慰安施設」を全国各地に設置していたことはあまり知られていない。ジャーナリストの著者がその事実を掘り起こしている。

 

 政府が「進駐軍向けの慰安所の設置」の指示を出したのは、敗戦からわずか3日目の1945年8月18日だった。内務省の橋本政実警保局長名で全国の長官(今の知事)に宛てて「外国軍駐屯地における慰安施設について」という無電が流された。

 

 その内容は、各県の警察署長が責任をもって一定の区域を限定して占領軍のための施設をつくること、営業に必要な婦女子は芸妓や女給、酌婦らを優先的に雇うこと、日本人の施設利用は禁止すること、このことは外部には絶対にもれないようにすること、というものだった。この内容は同年9月11日に閣議決定されている。

 

 著者は近衛文麿の秘書・細川護貞の残した文書などから、当時の首相・東久邇宮や副総理格の近衛は次のような意図をもっていたとのべている。つまり当時の権力中枢は、中国で日本軍がいかに残虐な行為をやったのかよく知っており、もし米兵がそれと同じ行為を日本でおこなったら、国民が怒りのあまり占領軍と衝突し内乱に向かうことを恐れていた。そこで、自分たちの地位を守ってくれる占領軍を静かに迎え入れ、国民の反感をできるだけ抑えるためにそうしたのだと。近衛は警視総監の坂信弥に慰安所の設置を指示した。

 

 東京では警視庁が音頭をとって、「4000万大和撫子(やまとなでしこ)の純潔を守る防波堤を作る」という名目で、東京料理飲食業組合など関連する七つの業界組合をもとにRAA特殊慰安施設協会を設立し、東京・銀座に事務所を構えた。その資金は、当時大蔵省主税局長だった池田勇人(後に首相)が日本勧業銀行に口利きし、国家予算200億円の時代に約3000万円が融資された。

 

 RAAが置かれた銀座7丁目には、「進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む 宿舎・被服・食糧全部支給」という大看板が立てられ、毎日新聞や読売報知にも広告が出たが、仕事の内容は書かれていなかった。だから、毎日300人をこえる女性が集まったが、その多くが戦争のために肉親を奪われ、家を焼かれ、家財を失って、生活苦から応募した素人の女性たちだったという。

 

 著者は彼女らがそこでどのような経験をしたかを、戦後のさまざまな雑誌や書籍から探し出している。空襲で親兄弟を失った女性は、知人が「観光事務員の大募集をしている」というので一緒に行ってみると話が違うので、夜2人で逃げだそうとしたが、いたるところに武装した黒人兵が仁王立ちになっていてできなかったという話。広島県警から「一般女子を守るための防波堤になってくれ」と依頼され、九州や四国の半農半漁の貧しい家庭の娘が売られていった話。広島では、戦時中に軍需工場に動員され、原爆投下で肉親を亡くし帰る家を失った娘たちに対し、工場長が「天皇のために」といって人集めの女衒(ぜげん)に引き渡した話。そのなかで自殺したり、精神に異常をきたす女性も少なくなかったという。

 

 そして、こうした慰安施設を、政府は敗戦後3日目に指示し、占領軍の先遣隊が神奈川県厚木基地に到着する8月28日に間に合わせるために急ピッチで各地につくったというのだから、政府がいかに自分たちの地位を守ることのみに汲々とし、焦土のなかに投げ出された国民などそっちのけだったか、である。それどころか、自分たちが生き延びるための踏み台にしてはばからなかった。しかし慰安所があっても、日本を占領した米兵の強盗や強姦、殺人事件は絶えることがなかった。これらの慰安所は、性病が広がったために1946年3月に閉鎖になり、行く当てのない女性たちは「パンパン」と呼ばれる街娼になる人も多かった。

 

 著者は、こうした事実の掘り起こしに留まらず、このような事態を生み出した社会的背景に迫ろうとしている。

 

 それまで「鬼畜米英」「本土決戦」「一億火の玉」と国民の敵愾(がい)心を煽ってきた天皇制政府は、アメリカに負けると一転してそれまでの敵に日本人女性をあてがう施設をつくるために奔走した。それはなぜか? 天皇制政府は「国体護持」(支配体制の維持)が最優先だった。彼らはアメリカにそれを求めアメリカに屈従して生き残る道を選び、そのために国を売ったのである。慰安所で働くことになった女性はそのための「必要道具」であり、人として考えられることはなかった。

 

 それはアメリカの側からは、全国の主要都市に焼夷弾や爆弾を落とし、広島・長崎に原爆を投げつけて日本を単独占領したうえに、日本を基地にしてアジア侵略を始めるというシナリオに沿ったものだった。

 

 日本政府はいまだに国会で、占領軍慰安所の存在自体を認めていないという。著者は、占領軍慰安所の存在は、米軍による全国各地の空襲や広島・長崎と同じように、戦争を考えるさいに語られる必要があるとのべている。

 

(ちくま新書、238㌻、820円+税)

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