いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『有機農業で変わる食と暮らし』 著・香坂玲、石井圭一

 最近、食の安全に対する関心が身近なところでも高まっているのを感じる。それでも有機農業の生産物というとまだまだ特別なもので、身近なものとはいえないというのが日本の消費者の実感ではないか。

        

 欧州でも20年前は、有機食品は比較的裕福な層に対象を特化したスーパーで目にするぐらいだったという。それが最近では、スーパーやディスカウント店の棚が様変わりし、生鮮野菜や果物はもちろん、パンやビスケットなどの小麦製品、卵や鶏肉、豚肉、牛肉、そしてハム、ソーセージといった加工品、ワインから乳製品まで、慣行農業と有機農業の両方の選択肢があるそうだ。

 

 オーストリアでは有機栽培面積が農地面積全体の20%をこえ、ドイツやフランスも10%に迫る。EU域内の有機農業の市場規模は、この10年で倍加して約343億ユーロ(約4兆1000億円)となった。欧州の有機農家は、EUの有機認証に則って農薬や化学肥料、遺伝子組み換え作物を使用しないだけでなく、家畜飼料の自給、家畜糞堆肥の活用、自家採種や家畜の自家繁殖の推進、地産地消、生産者に対する正当な報酬と消費者に対する適正価格、消費者への情報提供と生産過程への消費者の参加など、生産効率重視の工業型農業とは一線を画した理念を実践しているグループも多い。

 

 本書は名古屋大学と東北大学の研究者が、農水省の研究委託事業として欧州を訪れ、こうした有機農業の生産・流通・消費の現場、それを支える自治体の役割を調査したもので、日本の将来を考えるうえでおおいに参考になる。

 

フランスの生産現場

 

 フランスの生産現場を見てみたい。

 

 ローヌ・アルプ地方の有機農家の男性(40歳)は、妻と友人とで農業法人を設立し、3人のパートタイム雇用者とともに、5000平方㍍のハウス栽培と3・5㌶の露地栽培で、約50品目の野菜を生産している。休耕地にはアルファルファ(マメ科植物)を栽培して地力を高めている。妻はとれたての有機野菜を原料に、バジルソースやラタトゥーユ(フランス南部の郷土料理で、夏野菜煮込み)などの瓶詰め加工をおこなう。農家の仲間と農民工房を立ち上げ、農機具の修理や技術研修、試作品の開発を共同でやっている。

 

 売るのは、5割を農場に附属した直売所で(毎週金曜日)、4割を市内のマルシェで(毎週土曜日)。残りの1割はアマップ(農民的農業を維持する会)を通じた販売で、これは消費者と近隣農家がグループをつくり、消費者は半年分か1年分の代金を前払いし、週に一度旬のオーガニック野菜を農場に受けとりに行くというもの。農家は消費者がのぞむ有機野菜を生産する一方、天候に左右されず安定した収入が得られるうえ、消費者とのコミュニケーションもとれる。

 

 また、グルノーブル近郊の有機果樹農家の男性(44歳)は、8人の生産者仲間とともに学校給食向けのプラットフォーム「マンジェ・ビオ・イゼール」を立ち上げた。現在は法人化して、集配センターで十数人が働いている。野菜や果物、食肉、乳製品からジャムなどの加工品を学校に届ける。生産者は、子どもたちに地元の安全な食材を提供することに誇りを持つとともに、契約にもとづいた計画的かつ安定的な販売が可能なのが魅力だという。これを後押ししたのが、学校はじめ公共の給食施設は、使用する食材の50%を地元産に、そのうち20%を有機食材にすると定めた「食料三部会法」(2018年)だ。

 

 また、15人の生産者と「シャレット・ビオ」という移動販売も始めた。仲間を増やすことで品揃えを増やし、消費者に喜ばれている。それは消費者との交流、生産者同士の交流の場でもあり、それによって地産地消も促している。彼らの信条は協同の精神だ。

 

 では、消費の現場はどうか?

 

 オーストリアではどのスーパーでも多くの有機農業の産品が陳列され、「Yes! 健康な土」の表示などで一目で有機産品とわかる形で販売されている。また、小さなオーストリアの国旗の横に「私はここから来た」という表示があるなど、国産や地元産であることも強調されている。

 

 スーパーマーケットチェーン自身がそのような販売戦略をとっているからだが、その背景に、冷戦終結とEU統合、農業の市場開放、その下での国民の愛国心の高まりやみずからの健康と環境への関心の高まりがあったと著者はいう。オーストリアはドイツやフランスに比べて農産物を安く大量に生産するのが難しい自然条件にあるが、それが逆に有機農業の普及にプラスに働いた面がある、と。

 

 次に有機農業を支える自治体の役割については、ドイツの例が紹介されている。

 

 一つの大きな転機は、2019年、「ハチを救え」というスローガンでおこなわれたバイエルン州の自然保護法改定を求める署名に175万筆もが集まったことだ。受粉媒介などで有益なハチが、農薬の被害で激減していたのだ。住民世論の高まりのなかで成立した改正自然保護法は、州内の有機農業の面積シェアを、2030年までに30%とする目標を盛り込んだ。これがドイツ全土に影響を及ぼした。

 

 バイエルン州ではまた、有機農業推進のモデル地域を指定している(2019年時点で27地域)。各地域では州の予算で配置されたコーディネーターが自治体の境界をまたいで、慣行農業からの転換を促したり、有機農産物の販路や流通を確保したり、学校給食に有機食材を増やしたりする仕事を担っている。

 

 巻末には補章として、学校給食や公的機関の食堂で有機食材を増やす、各国のさまざまなとりくみをレポートしている。詳しくは本書を見てほしいが、たとえばドイツでは、多くの自治体が小学校や幼稚園の給食の入札ルールを改定し、有機食材に加点するポイント制をもうけたり、有機食材調達比率の最低基準を設定したりしている。食育の一環としておこなっている農場への遠足を保証するため、「何㌔以内」と近隣の業者を条件にする自治体もある。

 

 ヘッセン州マーブルク市では、市立の幼稚園の給食は有機と地域内で生産された食材のみとすることが、市議会で満場一致で決議され実行された。理由は、遺伝子組み換え食品を避けるためと地域の振興のためだとしている。市はその支援のため、一人一食当たり二ユーロ(約260円)を公費で補助している。

 

 本書を読むと、工夫次第で可能性は大きく開けることがわかる。それを支えるのは人材と、その結びつきであることも。日本でもおおいに参考にしたいものだ。

 

 (岩波ブックレット、62ページ、定価520円+税

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