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『アメリカの病』 著 ティモシー・スナイダー 訳・池田年穂

 本書は、コロナ感染拡大が始まる直前の2019年末から3カ月の間、肝疾患による敗血症のために生死の淵をさまよったイエール大学歴史学部教授の著者が、自分では起きあがれない状態にありながら病床でメモをとり続けて緊急出版したものだ。アメリカはコロナ禍で感染者数も死者も世界一だが、その背景には、連邦政府が新自由主義の論理で国民が平等に医療を受ける権利を否定し、巨大保険会社や製薬会社、病院企業がカネのために病気で苦しむ国民を食い物にしてきたことがあり、その矛盾がコロナで爆発したのだ。アメリカ社会の病を、自分自身の体験を通して、怒りをこめて告発している。

 

 そもそも著者が3カ月も苦しんだのは、病院が経費削減のために、著者の虫垂炎の手術の後にあらわれていた次の感染症についての情報を本人に教えないまま、病院から追い出したことにある。

 

 その3カ月の間、ほとんど医師を見つけることができず、忙しく行き来する看護師たちもいつ医師が回診に来るのか、誰が当直なのかも知らなかった。実は医師はできるだけ多くの患者を診察するよう、病院企業の経営陣からプレッシャーをかけられ続け、企業のたんなる道具と化していた。看護師もきちんと話をするだけの余裕がないようで、著者は驚くほど大勢いた年配のボランティアに助けられた。

 

 また、入院したどの病院も、救急救命室は年配のアル中患者や、銃で撃たれたり刃物で刺されたりした若者で満杯で、通路にまでベッドが列をなし、著者のベッドは他の何十台ものベッドと黄色いカーテンで仕切られていただけだった。ベッドの不足の原因は、ジャストインタイムの納品と同じで、最大限の利潤を上げるよう数が制限されているからだ。

 

 くわえて医者にかかるにも薬を処方されるにも、法外なカネがかかる。およそ半数のアメリカ人は、治療費が払えないために医療行為を避けているという。

 

 このアメリカ医療システムの問題点は、著者の妻がオーストリアで出産し、そこで現地の医療を受けたことでより鮮明になった。オーストリアでは産科医の診療は無料(外国人も)。妊娠第3期になると、出血や破水、あるいは陣痛が20分おきになれば病院に来るよう指示される。そのうえ2年間の有給の育児休暇が母親か父親に与えられる。それに比べてアメリカは、ベッドが長く占有されないよう出産の直前にならないと入院できない。赤ん坊はしばしば車のバックシートで産まれるし、母親や新生児が命を落とす場合が多い。アメリカ黒人の新生児の死亡率は、アルバニアやカザフスタンはじめ世界の70カ国を上回っている。

 

 この矛盾は、新型コロナ感染拡大によってより深刻に露呈した。著者はそれを各方面から詳しく描き出している。

 

 昨年1月と2月、コロナは静かに国中に広がっていったが、政府は何一つ手を打たなかった。トランプ政府はそれまでに、国家安全保障会議や国土安全保障省などのなかにあった感染症の予防や対処のための部局を廃止し、アメリカの保健の専門家たちを中国をはじめ世界各国から撤退させていたので、新たなパンデミックについての科学的究明や討論はやられなかった。

 

 また、PCR検査を全土で大規模に実施すべきだったのにそうしなかった。トランプは3月初めに「望む者なら誰でも検査は受けられている」といったが、2月末までに全米で352人を検査しただけだった。最初の2カ月間、連邦政府はただ拱手傍観し、「アンダーコントロール(制御できている)」というウソで塗り固めてすませていたが、それで失われた時間はとり戻せなかった、と著者はいう。

 

 今報道されている数字だけを見ても、アメリカは感染者も死者も世界最大だが、本書を読むとそれすら極端な数え落としがおこなわれていることがわかる。アメリカでは、公的な死亡者数の発表はあまりにも低すぎると皆が知っているそうだ。なぜなら、人々はほとんど検査がおこなわれない間に病院で、家で命を落とし続けるからだ。老人ホームではコロナ感染者や死者がほとんど数えられていない。また、説明のない「超過死亡」が毎月報告されている。

 

 全米各地の地元メディアはリーマン・ショックで大企業傘下に吸収され、次いでフェイスブックやグーグルなどによって駆逐されたため、そもそも各地の感染拡大の事実が報道されず、しくまれた陰謀論がはびこっているという。

 

 連邦政府はコロナ対策の2兆㌦の予算を、本当に必要な検査キットやマスク、防護服、人工呼吸器といった資材を購入するために使わず、別のものに散財した。医師や看護師はマスクもないまま、感染症の患者であふれた病室で働かざるを得ず、多くの医師や看護師が命を落としているが、四半期ごとの利益最大化を追求する病院企業の経営者のもとではこうした問題をおおっぴらに話すことすらできない。

 

 本書を読むにつれ、これは日本とまったく同じではないかと幾度も思ってしまった。著者は、巨大保険会社や病院企業にコロナ感染を抑制する意志はないとし、医師たちにパンデミックに対処する役割と権限を持たせて現場を仕切らせるべきだ、そしてすべての国民が加入する国民皆保険をつくり、貧富の差なく誰もが医療を受けられるようにすべきだと強く訴えている。 

 

(慶應義塾大学出版会、四六版、154ページ、1400円+税)   

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