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蘇る維新に果たした町衆の真実  『雷電』長崎公演実行委

長崎市中央公民館で8日、劇団はぐるま座の、『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』長崎公演の第1回実行委員会が開かれた。会には、原爆展を成功させる長崎の会の被爆者、大学職員、主婦をはじめ、老舗料亭、商店主など11人が参加し、4月12日に長崎市公会堂でおこなわれる長崎公演の成功に向けて活発な論議が交わされた。
 自己紹介のあと、劇団はぐるま座が長崎公演のとりくみの概況について報告。
 すでに、市内の38自治会をはじめ市内全域にポスターが1231枚、チラシ2008枚が掲示・配布され、理美容店、飲食店、武道具店などの各種商店や創業100年をこえる老舗会、婦人会、老人会、文化人、歴史文化協会など幅広い市民に約800枚の券が預けられ、呼びかけが始まっている。実行委員会は、長崎の会会員、戦地体験者、自治会長、商店主、文化人、観光ボランティア、武道団体など25人(3月8日現在)。
 原爆と戦争展を支えてきた市民からは、「明治維新では外国列強の侵略をはねつけたのに、今はすべていいなりではないか」「長崎市民はもともと反骨精神が強く、“祈りの長崎”などではない。この劇を通じて、世直しの起爆剤にしたい」と上演が期待されていることも報告された。
 長崎と維新との関わりについて、幕末当時、幕府の屈辱的な横浜開港によって長崎では外国人が幅をきかせ始め、「このままいけば長崎は植民地になる」と倒幕に向けて奔走する高杉たちを長崎の町衆が支え、みずからも「振遠隊」を組織し倒幕戦争に参加するなど、坂本龍馬や岩崎弥太郎キャンペーンの陰で封印されてきた町衆の功績が誇りを持って語られていることも紹介された。
 つづいて、劇団の俳優らによって劇の内容を紹介する紙芝居が寸劇を交えて繰り広げられ、迫真の演技に参加者からは感嘆の拍手が送られた。
 紙芝居は、これまでに自治会やライオンズクラブ、子ども会育成連絡協議会などで上演され、今後も歴史文化協会や武道団体、高校演劇部、民生児童委員協議会などで上演が予定されている。
 老舗料亭の歴史編纂に関わっている男性は、「今の長崎は、まさに意図的に歴史をねじ曲げるというよくない状況にある。この高杉晋作の劇を通して、日本人は正しいことをしてきたのだという歴史の真実を伝えたい。戦争や原爆もすべて日本が悪いとされているがそうではない。日本人であることに誇りを持てるように歴史を伝えなければいけない」とのべ、「舞台で見たらもっとすごいと思う。ぜひ見に行きたい」と語った。
 また、「戊辰戦争が明治元年から始まっているが、長崎では戦争を起こさせなかった。長崎では日本で唯一イギリス海兵隊が上陸していた場所であり、もしそのイギリス兵に弾が1発でも当たっていれば、おそらく長崎は香港とかマカオのような租借地になっている。そのために明治維新の立て役者たちや、町人たちが長崎の町を守らなくてはいけないと結束した。長崎が守られたからこそ日本の独立が守られたともいえる。それは維新の奇跡であるし、長崎の誇りだ」と語った。
 長崎の会の被爆婦人は、「紙芝居を見てたいへん感動した。はぐるま座は、初めての長崎公演ということで気合いの入れようが伝わってくる。このような歴史を振り返るたびに、現在の日本はアメリカの植民地だと思う。戦中世代の責任として平和な日本を子どもたちに残したいという思いが強くなった。たくさんの人に見てもらえるように私も雷電の如く動きたい」とのべた。
 また、高杉晋作も出入りしていた老舗料亭の関係者からは、長崎に来た高杉晋作が丸山の遊郭をひん繁に利用していたのは、単に遊んでいたのではなく目付役(見張り役)に酒を飲ませて腑抜けにし、そのすきに薩摩との会談など倒幕に向けた仕事をするため「役人の鼻をあかす行動だった」ことなど、語り継がれている真相も紹介された。
 長崎の会役員で原爆孤児の男性は、「明治維新から昔の人はたいへんな苦労をして立派な日本をつくってきたのに、今の日本はアメリカの植民地になっている。長崎でも、原爆を利用して金儲けをしたりする人が多くなり、被爆者団体も5団体もあるが、原爆を利用して補助金や寄付金を集めて、海外旅行や飲み食いをしたりしている。うちは6人が被爆の生き残りだが、誰一人として語っていない。第3者によって嘘が振りまかれ、真実は語られてこなかった」と歴史偽造への怒りを重ねた。
 そして、「高杉晋作のようなまじめな生き方を継承して、曲がったことに対しては、相手が国だろうがアメリカだろうがたたかわなければいけない。江戸時代の長崎奉行所も、東京から離れていることをいいことに賄賂を懐に入れていたが、今の政治家も腐っている。原爆の恐さも知らずに戦争を金儲けに利用し、国民はカッパや傘で避難すればよいというバカげたことをいっている。そして、なにも知らない子どもたちは親殺し、子殺しに走っている。私は原爆で戦災孤児になったが、今でも仇を打たねばと思っている。高杉のようなリーダーを育てて、みんなが一致団結しなければ日本は悲劇になる。若い世代のためにこういう劇は必要だ」と熱く語った。
 参加者からは、すでに居住区でポスターを張って回ったことや「ぜひ行きたい」と券が求められた経験などが語られ、各団体や近所で紙芝居を上演し、実行委員会を50人を目標に幅広く呼びかけていくこと、そして観客動員約1000人をめざして奮斗することが確認された。

 振遠隊子孫も表に 長崎市内に本紙号外8000枚配布・全市で強い反響
 長崎市内では、劇団はぐるま座『動けば雷電の如く』長崎公演のとりくみのなかで本紙号外「長崎と明治維新の真実浮彫り―倒幕戦に参加した町衆の誇り」が2日間で約8000枚配布され、強い反響を呼んでいる。
 号外はどこでも大歓迎され、自治会で回覧しようという動きや、商店が「お客さんに配ろう」と預かるなど、初めて知った長崎の町衆の維新の真実への感動が各所で語られている。
 古河町の78歳の理容師男性は、「うちの祖父も奥州戦争に行った。出身は百姓で小曽根家に働きに行っていて振遠隊に入り、その後はまた百姓に戻った。小さいころ、父から話を聞き、そのとき見せてもらった写真はあぐらをかいたりしてくだけた感じの写真だった。父方の家にも母方の家にも火縄銃などがあったが、戦後アメリカに没収された。このことは実の息子にも話したことがなく、初めて話した」と紅潮して語った。
 また、佐古招魂社周辺の自治会長は「振遠隊についてはこれまで分散的には聞いてきたが、それも海援隊の流れであまりいい集団ではなかったかのようにもいわれており、子孫の人たちも表だっていえないというのがあった。このように社会的、歴史的意義がきちんと書かれたものはなく、とても嬉しい」と話した。招魂社近くの別の自治会長は、「これは関心がある人が多い。役員会で号外もチラシも配ろう」と地域に回覧するため二十数枚を受けとった。
 館内町でも「近所に振遠隊の子孫がいる」と初めて明らかにされるなど感動が広がっている。
 銀屋町の自治会男性は、「白石正一郎は自分が奇兵隊に入るだけでなく息子も入れている。こんな人はいない。長崎でも海援隊や振遠隊を支援して家業がつぶれた小曽根乾堂という人がいるが、あの時代こういう人がいたからことが成った。幕府はエリート集団、こっちは百姓町人の部隊、エリートが勝てるわけがない。世直しといえば損得抜きで協力したのが長崎であり、そういう気風だった。成り上がって官僚や政商になったのとはわけが違う」と語った。
 そうした歴史は今も脈脈と生きており、「明治維新は元勲の力ではなく、長州の奇兵隊のように、名もなき百姓、町人が立ち上がったからこそ徳川幕府を倒すことができたし、日本の独立が守れたのだ」と共感を呼んでいる。
 また、丸山界隈の男性は、「大村藩が長崎をイエズス会に寄進したり、天領であり、幕府や奉行所といえども上の者は関係ないというのがもともと長崎の気質にはある。自分は佐世保の出身で、米軍基地のそばで育った。原爆を落とされ、外国の軍隊が近くにあり、このようなむちゃくちゃな状況になった。日本が独立する道を選ばなければ、日本はつぶれる」と語った。
 商店が号外を預かり、「(公演の)チラシと一緒に配ろう」などの反応も特徴的。30代の飲食店主は、「自分は歴史をまったく知らないので読ませてもらう。次は自分がお客さんたちに熱く語ります」と話した。振遠隊の戦没者がまつられていた梅ヶ崎招魂社も戦後移転され、昔の面影がなくなったことなども語られ、50代の喫茶店主は、「戦後いろいろなかたちで骨抜きにされてきたんですね」と語った。
 また、「長崎は坂本龍馬や明治の元勲とのゆかりで語られるばかりで、このような歴史があったことは初めて知った。じっくり読ませてもらう」(商店主)、「観光客も多いので長崎の歴史について勉強したい」(タクシー運転手)など話されている。

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