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薩長同盟の誇り蘇る鹿児島公演  はぐるま座『動けば雷電の如く』

劇団はぐるま座の『動けば雷電の如くー高杉晋作と明治維新革命』鹿児島県公演(主催・実行委員会)が、8月27日、いちき串木野市民文化センターで幕を開け500人が参観した。28日には薩摩川内市の川内文化ホールで280人が参観、ま9月5日には鹿児島市の宝山ホール(県文化センター)で上演され、周辺市町や県外から訪れた人人を含め、700人が詰めかける大盛況となった。
 
 各界の111氏が実行委員に

 薩長同盟を軸にたたかわれた“戊辰の役”から140年を迎える今年、鹿児島市では「薩長同盟で維新の夜明けを切りひらいた父祖たちの誇りを現代に!」を合言葉に、1300の公共施設や事業所、商店などにポスターが掲示され、各界各層の111氏が実行委員となり、広範な市民の手で取り組みが進められてきた。
 鹿児島県民は圧倒的に“西郷どん”びいきにもかかわらず、鹿児島では坂本龍馬が持ち上げられる一方で、島津久光の公武合体路線を乗り越えて薩長同盟を成立させ、高杉晋作らと共に近代日本の夜明けを切りひらいた西郷隆盛ひきいる倒幕派の決定的な役割、とくにその原動力となった薩摩藩の農民や商人、郷士たちの誇り高い姿については、大きくアピールされることがほとんどなかった。昨年はNHKによる『篤姫』キャンペーンがおこなわれ、今度は『龍馬伝』の放映にむけた宣伝が大規模にやられていた。だが、『雷電』を持って市民のなかに入っていき、「長州から来ました」というだけで「ああ長州! 薩長同盟ですね」と、どこでも大歓迎された。
 とくに、本紙に掲載された「白石正一郎と薩長交易」の記事が大量に配布され、西郷隆盛の仲介によって維新革命の10年も前に、薩摩と長州の商人が交易をはじめており、そうした商人や下級武士たちの日常的な交流によって薩長同盟の素地がつくられていたという事実が初めて明らかにされていくなかで、白石正一郎とともに薩長交易を切りひらいた薩摩の明石六兵衛という商人が、“元祖かるかん”で知られる天文館の老舗菓子店・明石屋の創業者であったことが明らかとなり、「維新の原動力となったのは、やはり薩摩でも町人・商人といわれた名もない庶民だったのか!」と、衝撃的な反響を巻き起こした。
 「鹿児島ではこれまで御国自慢の維新観が覆っていた。倒幕派だろうが公武合体派だろうが、薩摩なら何でも良いというのでは、明治維新とは何だったのか、西郷さんが何をしたのかもわからなかった。この劇は長州のたたかいを百姓・町人の側からリアルに描いているからこそ、いま薩摩で上演する意義がある」と、観光ボランティアガイドの人たちも大歓迎だった。天文館の商店主の間でも「市民は圧倒的に“西郷どん”びいき。だが西郷さんが歴史上で何をしたのかということは、あまり明らかにされてこなかった」と語られた。
 同時に、郡元3丁目町内会のように、長州とともに徳川幕府を打倒して民族の独立を守り抜いたことこそが薩摩の誇りであり、戊辰戦争で長岡まで行って戦死した中原猶介という若者の墓が町内にあることが、「よしや身は越後の雪にうづむとも、とくる清水に名を流さん」という辞世の句とともに、代代語り継がれていることも明らかになっていった。
 明石屋の6代目の岩田泰一氏が『薩長同盟の背景に見えてきた白石正一郎日記と明石屋との出会い』という文章(本紙既報)を寄せたのをはじめ、「高杉晋作のことが大好きだ。農民を組織したところを尊敬している。高杉なくして明治維新は成し得なかったとつねづね思っていた。歴史の真実にもっと触れたい。薩長同盟に商人が果たした役割など鹿児島ではほとんど知られていなかった。そのへんをこの取り組みを通じて浮き彫りにできたらうれしい」(鹿児島龍馬会関係者)、「当時の百姓と町人、商人が力をあわせて世直しをやったパワーを今に蘇らせないといけない。この劇は百姓の血が騒ぐ。農家とともに歩む会社経営者たちにもぜひ見せたい」(農協関係者)と、口口に語られた。

 幕末と現代重ねて取組 後援や協力広がる 

 小泉改革以来の規制緩和、弱肉強食の市場原理主義がまかりとおり、県下の商店街が軒並みシャッター通りとなるなか、「県下すべての町を再生させよう!」と頑張っている中心商店街・天文館の人人も熱烈な支持を寄せた。老舗百貨店の山形屋イベント広場やテンパーク通りで2日間にわたって『雷電』の紙芝居がおこなわれたほか、町内会や婦人会の人人の尽力で若宮神社、南洲神社、塩竃神社などの「六月灯」(夏祭り)でも『雷電』紙芝居がおこなわれた。
 2年前に120団体が大同団結して結成されたWe Love天文館協議会の有馬勝正会長は、「私たちのまちは、豊かな歴史と文化を持っている。だが郷土の歴史については、あまり知られていなかった。とくに薩長同盟の素地をつくり、世直しを成し遂げた原動力が、実は下関の豪商・白石正一郎や薩摩の森山新蔵をはじめとする町人・商人のなかにあったということが大きくアピールされる機会もほとんどなかった。今度の上演を通じて、名もない庶民の大同団結の力によって近代日本の夜明けを切り拓いた父祖たちの誇りとロマンを蘇らせていくことは、現代を生きる私たちに深い感動と大きな勇気を与えてくれるものだ」との期待を寄せ、真先に後援を決定した。
 いたるところで、幕末と現代を重ねあわせて「日本とアメリカの自由貿易協定(FTA)がやられたら、農漁業も、地域経済も壊滅的な打撃を受ける」「“小さい商店や農家は全部つぶれろ”という政治を絶対に許してはならない」「NECの工場閉鎖や京セラの下請、派遣切りがやられるなかで、商売人も大変な状況になっている。労働者も商工業者も、農漁業もみんな同じだ」「維新を成し遂げた先祖のように団結したら、世の中を動かせる。独立と世直しを成し遂げた先祖の気概を今に生かそう!」と語りあわれ、We Love天文館協議会や小売酒販組合、たばこ販売協同組合の人人をはじめ、さまざまな業種の中小企業家、農協や町内会、老人クラブ、観光コンベンション協会、維新ふるさと館、尚古集成館、西郷南洲顕彰館の関係者、労働者、文化協会、鹿児島大学演劇部、アマチュア演劇、親子読書の会、日舞、三味線などの関係者、さらに教師、退職教師、PTA、少林寺拳法など武道・スポーツ関係者など各界各層の一一一氏が実行委員会に結集していった。

 維新の真実が表に 市内の各地で大論議

 市内のいたるところで「名もない庶民の力こそ世直しの原動力というのは、そのとおりだ!」「幕末の薩摩には、阿久根の河南源兵衛、丹宗庄右衛門、指宿の浜崎太平次、柏原の田辺泰蔵、志布志の中山宗五など、全国に知られた数多くの海商がおり、かれらが幕府禁制の清国との交易によって藩財政を支えていた」「薩摩藩は、文政年間に500万両もの負債を抱えていたが、家老・調所笑左衛門の天保改革から幕末にかけて、逆に500万両の軍資金を貯蓄するまでになっていった。それは奄美の黒糖と貿易の利益によるものだと伝えられている」と、誇りに満ちて語られた。
 なかでも「薩摩の金蔵」として新撰組に殺された豪商・浜崎太平次は、那覇、長崎、大坂、函館などに駐在員を置いており、越後や佐渡にも出張所を持っていた。指宿の店は家族にまかせて、鹿児島城下の朝日通り海岸(現在の天文館)に広大な居宅を構え、支店や出張所を統括していた。薩摩藩の財政危機のたびに巨額の献金をした記録があり、薩英戦争後の1865(慶応元)年、イギリスへの19人の留学生派遣にも、浜崎家の資金援助があったといわれ、薩摩藩の年間予算が14、5万両の時、軍艦を購入するために8万両もの大金を投じたのも浜崎太平次だったと伝えられている。
 歴史研究者の一人は「薩摩藩は77万石だが、そのうち12万3000石が琉球のものだった。薩摩には、清国との二重支配下におかれていた琉球経由や長崎経由などで、アヘン戦争後のみじめな中国の状況が伝わっていた。欧米諸国による植民地化の波が押し寄せれば“真先にやられるのは薩摩だ”という危機感から、長崎の出島近くに“聞き役”というものをおき、オランダ通詞、唐通詞を接待して情報を集めていた。とくに文久2年の生麦事件、薩英戦争で目覚めていった。集成館は植民地化に反対する力をつけるために殖産興業をおこなったところだった。外国の侵略とたたかうために近代化を進めてゆく過程で、薩摩も長州とともに倒幕に踏み切った。ペリー来航によって近代化したのではない。明治維新によって独立を勝ちとらなければ、その後の近代化はあり得なかった」と強調した。
 また、『雷電』長崎公演の取り組みを報じた本紙号外によって、高杉らが俗論打倒に決起して藩論を統一してから1カ月後の慶応元年3月、すなわち薩長同盟の1年も前に、長州藩の下級武士と日常的な交流を持っていた薩摩藩士・五代友厚が、長崎の料亭花月で高杉と会談し、イギリスのグラバーから最新式のライフル銃3000挺を購入して長州に引き渡す約束をした事実も大きな衝撃をもって受けとめられた。
 「薩長同盟は龍馬がやったように言われてきたが、商人や下級武士の交流が素地をつくり、西郷さんや薩摩の庶民の力が成し遂げたということか!」「現代のぼくらにも世直しができる力があるということだ!」と、大反響を巻き起こした。

 舞台と観客が響きあう 公演は大盛況に 

 公演当日の5日、宝山ホールには開場前から長蛇の列ができ上がった。
 開演に先立って、実行委員長の福田賢治氏(鹿児島市維新ふるさと館館長)が挨拶にたち、「今の日本があるのは、薩長同盟によって明治維新を成し遂げ、諸外国の植民地にさせなかったからだ。今日の劇を観て、それをやり抜いた先人たちに想いを馳せ、現代を生きる力にしてほしい」と力強く呼びかけた。
 幕が開き、解説役の俳優が登場すると「待ってました」とばかりに拍手が起こり、世直しの願いを語り合う百姓・町人たちの姿に、共感の眼差しが注がれた。第二幕、十数万の幕府征長軍が迫るなか、高杉が「もはや古い世界に後戻りはできん。維新あるのみだ」と、俗論打倒の挙兵を決意する場面では共感のかけ声がかけられた。また幕府征長軍の参謀であった西郷隆盛が高杉らの決起を知るや、幕府征長軍全軍に「ただちに兵を解いて撤退せよ」と命じたことが伝えられ、高杉が「薩摩の西郷隆盛か」と喜び合う場面では、どよめきとともに大きな拍手が送られた。
 とくに終幕では、「なお、薩長同盟なくして明治維新革命はありませんでした。この薩長同盟の素地を作ったのは、薩長交易を基礎とした商人や下級武士たちの日常的な交流によるものでしたが、とくに薩摩では島津久光公の公武合体路線を乗り越えて、西郷隆盛ひきいる倒幕派が主導権を握ったことが、何よりも決定的でありました。それを転換させた原動力は、薩摩藩内の農民や商人、郷士たち、世直しを願う領民の力であり、この力こそ後世に語り継ぐべき薩摩の誇るべき歴史でなくて何でありましょう!」と語られると、割れんばかりの拍手がまき起こり、カーテンコールは鳴りやまぬ拍手に包まれた。
 終演後、見送りに出た俳優たちには「よく薩摩に来てくれた」「全国に維新の真実を伝えて欲しい」「頑張ってください」など、感謝と激励の声が寄せられた。ロビーでおこなわれた座談会では、鹿児島市内や周辺市町、また県外から訪れた数十名の人人が高揚した面持ちで感想を語りあった。
 アメリカとの自由貿易協定(FTA)断固阻止をたたかう漁協関係者は「吉田松陰の教えをやりぬいた高杉の生き方は素晴らしい。維新をやりとげた人たちのように、自分も正しい考えを実行できる人でありたい」とのべ、中小企業家の男性(60代)は、「今の学校教育は明治維新を教えないが、戦後、意図的にそういう教育がされてきたと思う。明治維新こそ現代の子どもたちに教えるべきだ」と強調した。
 霧島市から参加した文化団体の役員は、「山口県発信のドラマを見せてもらい、明治維新の真髄に触れ、感動している。多くの人に観劇を呼びかけたい」と、今後全県で上演されていくことへの期待を語り、鹿屋市から参加した自営業の男性は「鹿屋でもぜひやりたい。必ず来てほしい!」と、身を乗り出すようにして語りかけた。
 今回の公演は、同時に開催されたいちき串木野市や薩摩川内市でも同様に薩摩に息づく倒幕の誇りを甦らせ、大反響を呼ぶものとなった。はぐるま座の鹿児島市公演では過去最高の観客動員となった。はぐるま座はひきつづき、鹿児島全県下の公演を予定している。
 アンケートより
 ▼すさまじい迫力、熱き想いが伝わる舞台! あの頃の日本の先人の出会いから生まれた歴史を、深く考える帰り道になりそうです。「面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり」まさに今の時代に! この夏の思い出となりました。物語にも出た薩摩の先輩方を誇りに思います。(薩摩川内市、38歳、主婦)
 ▼身分の隔てなく、一般民衆の力を結集し、世直しに尽力していったそのエネルギー、今の世にも通じる頼もしい力として希望が持てた。(いちき串木野市)
 ▼とてもすばらしい劇でした。現代の子どもたちにもぜひ、世直しのため一生懸命いのちをかけて正義のため、たたかった人達がいたことを伝えたい。たくさんの人たちの志が一つになると、これほどの力が! とても感動しました。(鹿児島市、女性)
 ▼全員迫真に迫る素晴らしい演技力、さすが全国に名だたる劇団はぐるま座です。これからも全国民に夢と希望、勇気を与えて下さい。明治維新前夜の国家万民を憂える日本の魂に心打たれ、今を生きるものとして恥ずかしく反省させられました。感動をありがとうございました。(いちき串木野市)
 ▼明治維新の礎をつくった薩長同盟、その長州の高杉晋作の稲妻の如き動き、百姓を奮い立たせた庶民感覚。現在の自民党五五年体制が崩れたこの時期に公演を観て感激。高杉晋作の薩長同盟、最後に近代日本を築いた事を称えたい。国を愛し、民を憂える気持ちは偉大なものであります。(鹿児島市、78歳、男性)
 ▼すごくいい作品でした! これで、今までより鹿児島に誇りが持てるようになりました!(鹿児島市、10代、女性)
 ▼熱演に感謝。今の政治家にこの様な情熱と覚悟をもった人がどれ程いるのか。言うは易く行うは難し。政治家を集めて公演されよ。(鹿児島市)
 ▼国を思う心が一人の偉人を生み、そしてその人の力が、人の心を一つにまとめてゆく素晴らしさ。ただただ心躍る気持ちで舞台に引き込まれました。(鹿児島市、62歳、女性)
 ▼高杉の情熱と、それを支える奇兵隊員の姿は感動と共に、人人が力を合わせれば世の中を変えるほど大きな力になるという、今にも通じる大きな示唆が描かれていると思う。多くの人人にこの素晴らしい史実と大きな感動を訴えつづけて欲しい。(鹿児島市、44歳、男性)
 ▼劇団の活動そのものが雷電のような存在と感じさせられる事でした。松陰から晋作に贈られた言葉を自分の生死観としたい。(薩摩川内市)
 ▼夏の暑い中、鹿児島中を汗をかきかきスタッフの皆さんが駆け回っていらっしゃいました。その一日一日の結集が人を動かし、時代を動かすうねりとなることを実感しました。一人一人とつながってきた今日のこの一幕の大切さをしみじみ感じることです。本当にありがとうございました。(鹿児島市、天文館、女性)

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