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私たちは100年越しの難問のコーナーを曲がり切れるか―ウクライナとパレスチナ、そしてグローバルサウス 東京外国語大学教授・黒木英充

 2023年は、将来の人類が過去を振り返るときに、その前後の3年間で大きな節目と見なされるだろう。長期的には1914年から19年にかけての第一次世界大戦とパリ講和会議の期間に対応する、ほぼ100年目の転換点と認識されるであろう。

 

 2022年は言うまでもなく、ロシア・ウクライナ戦争が始まった年である。2023年はパレスチナにてイスラエルによる強制追放を目的としたジェノサイド的暴力が展開している年であるが、いずれも100年越しの問題の爆発である。

 

 ここで、米国の東欧史研究者エリック・ヴァイツ(2021年没)が提唱した「人口政治」を特徴とする「パリ体制」論を簡単に紹介しよう。

 

 ヴァイツは、2度の世界大戦に代表される「暴力の20世紀」において、人権と市民保護の観念が発達した事実を指摘する。しかし、それを単に激烈な暴力への対応であると見なすべきではない。コインの両面のごとく一体化した構造だという。両大戦は巨大な流血を伴ったが、正規軍交戦だけでなく、民族浄化的な殲滅や強制追放の暴力による死者も膨大であった。帝政ロシア末期からソ連初期にかけてのユダヤ人虐殺(ポグロム)やオスマン帝国末期のアルメニア人虐殺、第一次大戦後のトルコ・ギリシア間の住民交換、さらにインド・パキスタン間の住民交換など。ホロコーストは言うまでもない。

 

 帝国から国民国家へという流れは、多様な民族・宗派集団を包摂した体制から均質な「国民」による国家体制への移行であった。そこで右のような暴力が発生したのであるが、ヴァイツの議論の意義は二つある。

 

 一つは民族浄化を伴う暴力と少数派保護の言説とが表裏一体で現れるという、皮肉な事実を指摘した点である。多民族が混在する地域に国境線が引かれて一つの民族が新国家で少数派になり弾圧された場合、隣国が少数派保護のために介入して内戦化したり、両国間の戦争に発展したりすることがある。

 

 もう一つは、植民地の独立戦争において、宗主国は独立勢力を苛烈に弾圧したわけだが、自国向けには「文明化の使命」を掲げてこれを正当化し、野蛮な人々に「人権」や「市民保護」の観念がないと強調した。こうした帝国主義・植民地主義のイデオロギーと欺瞞がその後も持続してきた。

 

 こうして戦争の暴力と人権・市民保護の思想とが両輪のごとく回転してきたのだ。

 

 国民国家において、多民族・多宗派的な色が残る場合、どれが多数派となるか、少数派となるかは大問題となってきた。自らが多数派になろうと画策したり、少数派の存在を無視したりという状況が生まれる。人口統計とそのカテゴリー設定は政治的なイシューとなる。ヴァイツはこれを「人口政治」と呼び、この動きを確定したのが1919年のパリ講和会議であるとして、以後の世界システムを「パリ体制」と名付けた。

 

 パリ講和会議では、敗戦国オスマン帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の解体後の姿が俎上に上った。そこで重要なテーマとなったのが、米ウィルソン大統領が提唱した「民族自決」であった。圧政から解放された民族は、新たな国を自ら決定してつくるべきだとされた。アジア・アフリカで植民地支配に苦しんでいた人々は、熱狂的にこれを支持し、希望を託した。

 

 しかし、よく知られているように、この原則は旧オーストリア=ハンガリー帝国に適用されたが、旧オスマン帝国には適用されず、アジア・アフリカの植民地諸民族も無視された。大戦中に革命で倒れたロシア帝国については、ボルシェビキ政権・ソ連政府が民族共和国を設定していった。

 

*      *

 

 さて2023年をはさんだ「3年間の大きな節目」である。

 

 2022年に始まったロシア・ウクライナ戦争は、しばしば第一次大戦直後のウクライナ・ソビエト社会主義共和国の成立から説き起こされ、2014年のウクライナのマイダン革命とロシアによるクリミア併合が問題の直接の起点とされる。現在までの状況を見れば、結局この戦争はNATOの東方拡大問題と、ドニエプル川以東のドンバス地方の帰属をめぐるものであることは明らかだ。クリミアにせよドンバスにせよ、地域では多数派だが国家全体では少数派のロシア系住民をめぐる「人口政治」に行き着く。インド・パキスタン間のカシミール紛争と基本は同じである。「少数派の保護」と「多数決に従え」は容易に入れ替わり、そこに戦争の暴力が絡む。2024年には一時的であれ何らかの軍事的決着がつくと思われるが、問題は解決されず火種を抱えたままとなるであろう。

 

 2022年2月から22ヶ月間の戦争で、ロシアの攻撃によるウクライナ民間人の死者数は1万1000人とされている。その10分の1の期間で未だ瓦礫の下にいる者も加えれば2倍の死者を出しているのがイスラエルによるガザ攻撃である。

 

イスラエルの爆撃による死者が増え続けているパレスチナ自治区ガザ(昨年10月12日)

 第一次大戦中、英国はメッカ太守フサインにアラビア半島からシリア、イラクにまで広がる王国の構想を持ちかけ、対オスマン反乱を焚きつけた(フサイン=マクマホン書簡)。一方で、フランスとの間でアラブ地域分割を秘密交渉で取り決めた(サイクス=ピコ協定)。さらにユダヤ人富豪にはパレスチナにおける民族的郷土設立への協力を申し出た(バルフォア宣言)。この「三枚舌外交」は高校教科書にも出ていて、日本人のパレスチナ問題理解に資するようになった。英国はエジプトのシリア移民たちにさらに別の約束(アラブ人が自分たちで武力解放した地域には独立国家を認める)をしており、「四枚舌外交」というべきである。これは英国の狡猾さというよりも、外交の大混乱、よろめきなのであった。

 

 第一次大戦終結時のアラブ地域には、英軍とフサインの二男ファイサル率いるアラブ軍が残っていた。ファイサルは人々に担ぎ上げられてシリア、レバノン、パレスチナを統合したシリア・アラブ王国を宣言した。「民族自決」原則に基づくならば、これだけでなく、パリ講和会議により派遣された2人のアメリカ人調査団がパレスチナ、シリア、レバノンにて国家のあり方について広く意見聴取した結果も尊重されるべきだった。宗教の違いを超えて圧倒的多数の人々が、独立統一国家「シリア」の樹立を熱望していたのである。レバノンの分離を求める人々もいたが、それはキリスト教徒の一部で少数であった。

 

 結局、英軍は撤退し、代わりに仏軍が侵入し、シリアの人々の形ばかりの軍を粉砕した。そして英仏の実質的な植民地分割統治が20年余り続くことになる。

 

 その間に英統治下のパレスチナにユダヤ人の移住が進み、その移民が暴力化して土地の収奪を開始、パレスチナ住民を迫害し、英委任統治政府をも攻撃した。第二次大戦期のホロコーストの結果激増したユダヤ人難民を民兵に組み入れ、パレスチナ人の村で虐殺を繰り返した。こうして民族浄化し、成立直後の国連総会でパレスチナ分割決議を勝ち取り、建国したのがイスラエルである。

 

 イスラエルはユダヤ人移民の流入により、パレスチナ人人口への優越維持を至上命題としてきた。その延長線上に今回のガザ攻撃がある。国際法違反が明々白々の、常軌を逸した人道に対する罪であり、国連が定めたジェノサイド条約に規定されるジェノサイドそのものである。ガザを居住不能な空間にして200万以上の人々を可能な限り追放することを目的としている。「人口政治」の最も過激な形の民族浄化である。そのために無差別攻撃によりパレスチナ人を殺戮し続け、恐怖を与えてエジプト国境方面に追い詰めている。

 

*       *

 

 ここで露わになったのは、イスラエルという植民地主義国家の暴力性だけではない。このおぞましい事態を前にして、米英独中心の西側諸国がウクライナ侵攻のロシアに対する態度とは正反対の対応に終始していることである。

 

 昨年10月にEU委員会委員長から始まりイタリア首相まで、日本とカナダ以外のG7首脳が次々とイスラエルを訪れてネタニヤフ首相にガザ攻撃への支持を表明した。毎回の共同記者会見でネタニヤフが語ったのが「文明」という言葉である。これは文明と野蛮の戦いだ、文明化された世界が団結してこそ文明が勝利する、云々。バイデン大統領は「民間人に配慮して」と言いつつ最新鋭兵器を潤沢にイスラエルに提供する。ヴァイツが指摘した通り、人権と市民保護を説きつつ殺戮を支援する両輪の姿を晒している。つまり「パリ体制」の矛盾を100年経っても体現しているのである。

 

 西側諸国があからさまな二重基準を指摘されても平然としていられるのは、イスラエルが「文明」の側におり「野蛮」(「テロ」という言葉はそこで便利な道具となる)と戦っていると考えているからだろう。この背景にはイスラエルを野蛮なる「東方世界」に対する「文明」の楔・橋頭堡とする思想があり、それはゼレンスキー大統領(イスラエル滞在経験のあるユダヤ人)が2022年4月に「ウクライナは大きなイスラエルになる」と語ったことに通じる。しかし、世界の大半の人々は、その「文明」の化けの皮がはがれていることを知っている。ロシアに対して振りかざした自由や人権といった普遍的「文明」の価値なるものが音を立てて崩れ落ちた。「パリ体制」が100年経って限界に達したのが明らかになった。

 

 バイデン大統領はこの問題を認知できずにおり、2024年大統領選挙でトランプに敗北する可能性が高い。すると西側「文明」はさらなる転落を続けるであろうが、そこに巨大な暴力、新たな戦争の影を見るのは私だけではあるまい。人類はこのコーナーをうまく曲がり切れるかどうか正念場を迎えている。

 

 ハマスが越境攻撃を開始したその日に南アフリカ外務省は声明文を発表した。深刻な事件の背景を的確に説明し、国際法と国連決議に基づいた対応を求め、アパルトヘイト克服の経験を生かした仲介を申し出るその姿に、一筋の希望が見出せる。「グローバルサウス」の言葉の有効性はさておき、新たな文明を創り出して「パリ体制」的世界を変革できるか、日本の立ち位置と姿勢も問われている。

 

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 くろき・ひでみつ 東京外国語大学教授。日本中東学会会員(2017~18年度会長)、北米中東学会会員。著書は、後藤絵美氏と共編の『イスラーム信頼学へのいざない』(東京大学出版会、2023年)など。

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