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早期停戦の鍵を握るのは米国 そそのかしてきた奴、表に出ろ ウクライナ危機の原因を紐解く本紙記者座談会

 ロシアによるウクライナ侵攻から1カ月近くが経過し、世界が固唾を呑んで見守っているが、依然として武力紛争の当事者であるウクライナ、ロシアによる停戦交渉はまとまらない状況が続いている。欧米とロシアの矛盾に端を発した今回の軍事衝突を巡って、直後から西側では反ロシア、反プーチンのプロパガンダがたけなわとなり、日本国内でもメディアは「ウクライナ可哀想」「悪のプーチン」一色に染まるなど、片側の当事者になりきったように客観性を失った扇情的な報道がくり返されてきた。ウクライナを巡って、歴史的にどのような矛盾があったのか、ソ連崩壊後から今日にいたる31年の変遷や、それ以前の歴史を見た時にどのような地政学的な問題を抱えていたのか、今回の武力侵攻の背景に何があったのか、とりわけアメリカは何をしてきたのか、専門家や知識人、プロパガンダに与しない立場を貫いているジャーナリストたちの発言などを参考に記者たちで分析してみた。

 

ウクライナ危機を招いた元凶とは

 

  ロシアの武力侵攻については、そのことによってウクライナ民衆の生命が脅かされることについては許されない――という立場が大前提だ。しかし同時に、なぜ武力侵攻するまでになったのか、ウクライナを巡って何が起きているのかを捉えないことには、ただ「戦争反対」「暴力反対」と叫んだところで問題の解決にはなりようがない。

 

 物事には原因があり、双方の主張に違いはあれど、その原因をとり除かなければ問題解決にはならないからだ。「原因など考える必要がない」という論調もあるが、それでは対処のしようもない。国際的な紛争ならなおさらで、当事者でもない者としては背景や事情について深く洞察しつつ、客観的な立場から問題を捉えなければならない。一方が全面的に悪で、もう一方が全面的に善であるというような1ビット脳的な思考回路から怒りに震えているというのは、どうかしている。

 

 世界情勢をどう見て、判断するのかは決して単純ではないが、単純でないからこそ気分とか感情で乗せられるわけにはいかないように思う。日本のメディアを見ていると、すでに嫌気がさしてスイッチを切るという人も多いが、西側発のプロパガンダの一員に成り下がって、ちょっとやり過ぎている感がある。メディアもだが、政党も右から左までが勢揃いして反ロシアの熱狂を煽り上げている。異様極まりない光景だ。

 

 いわゆる左翼知識人のなかに潜んでいる親米派も正体見たりといった感じだ。オマエら1億火の玉でロシアにでも突っ込んで行く気か! と思う。いい加減にしろ! と――。同調圧力もすごいものがあるが、日頃から知性をことのほかひけらかしている部分がいとも簡単にプロパガンダにとり込まれてハッスルしているのを見ると、知的スカンクどもの放屁かよ、とげんなりする。まずは停戦合意に持ち込むことが最大の課題だが、その役割を担いうる第三者の立場に身をおくことを許さない空気なのだ。本当にどうかしている。

 

バイデン米大統領とゼレンスキー(2021年11月、英グラスゴー)

  ウクライナ侵攻の引き金となったのは、ロシアにとって兄弟国ともいわれてきたウクライナがゼレンスキーのもとでNATO加盟に本格的に舵を切り、欧米に与してロシアの喉元にミサイルを突きつけるという振る舞いに及んだことでロシアの堪忍袋の緒が切れた。同時に、ウクライナでもドンバス地方(ドネツク・ルガンスクの2州)のロシア系住民が、マイダン革命(2014年のクーデター)以後にキエフ政府から8年にわたって武力攻撃を受け続け、1万4000人が亡くなるなどしているなかで、ロシアが東部制圧に力を入れているのも同胞迫害をやめろという怒りがあるのだろう。

 

 1~2週間前から首都キエフにロシア軍が迫っている、包囲しているという報道がくり返されていたが、いつまで経っても「あと15㌔地点です」などといっている。キエフ陥落は陽動作戦で、実はロシア人やロシア系住民の多い東部を抑えるのが当初からの戦略だったのだろう。南部のマリウポリで激戦が続いてきたのも、そこがアゾフ大隊(ウクライナ国内で暴れてきた国際的にテロ組織認定されているネオナチ)の拠点地域だったからにほかならない。

 

マリウポリに拠点を置くアゾフ大隊

 現在はウクライナ国家親衛隊の東部作戦地域司令部第12特務旅団所属のアゾフ特殊作戦分遣隊と名付けられているが、アゾフ海沿岸地域を拠点とする通称「アゾフ大隊」としてその存在は知られてきた。これにアメリカが武器を与え、民間軍事会社の傭兵どもが乗り込んで加勢し、ウクライナで大暴れしている。ウクライナ軍とロシア軍の戦闘というより、実質的にロシア軍と、アゾフ大隊はじめとした民族主義者、海外から駆けつけた傭兵どもの戦闘なのではないか。「アゾフ大隊はネオナチではない」といって陰謀論扱いする向きもあるが、日本政府もアメリカも公式にテロ組織として認定していた極右勢力なのだ。

 

 E ウクライナ軍の中心となっているアゾフ大隊(連隊)は、マイダン革命直後の2014年5月にウクライナ南部マリウポリに設立された民兵組織で、卍をアレンジした隊章に見られるようにナチズムを継承した過激な民族主義を掲げる「ならず者集団」といえる。北東部ハリコフから南部オデッサにいたる親ロシア地域でのクーデター政権に反抗する住民を弾圧、リンチし、ドンバス紛争でもロシア系住民の虐殺に関与してきた。その功績を買われ、国家警備隊(親衛隊)法にもとづいて内務省管轄の準軍事組織(連隊)となったが、この指揮権をウクライナ政府が握っているのかも定かではない。

 

 アゾフ大隊のスポンサーとして知られるのが、ソ連崩壊後に公有財産を私物化し、鉄鋼、金融、メディアに至るウクライナ産業界の新興財閥(オリガルヒ)となったイーホル・コロモイスキー(現在米国に滞在)で、1000万㌦をかけて創設した私兵部隊のドニプロ大隊を持ち、アゾフ、アイダール大隊、ドンバス志願大隊など、ロシア派弾圧民兵団などに資金を提供していた。彼は2014年の政変後に、新政権から東部ドニエプロペトロフスク州知事に任命されている。
 そして、コロモイスキーが所有するテレビ局で番組を作ってきたのが、お笑い芸人・ゼレンスキー(現大統領)という関係だ。

 

 これらの民兵組織には、外国人志願兵が多く、失業者などが報酬を求めてなだれ込み、実質は国軍以上の規模に膨れあがっていたようだ。そこにイラクやアフガンで大量殺戮をおこなった米国の民間軍事会社「ブラック・ウォーター」(アカデミに改称)などが入り込み、親ロシア派掃討戦の主力となっている。ロシア「政治情報センター」の報告書(2015年)によれば、親キエフ側にたつウクライナ南東部での外国人戦闘員数は5000~1万人にもなり、最も多いのはポーランド人や民間軍事会社の代表で、4000人にのぼるとされていた。

 

 東部2州の「特別自治」を認めて停戦するとしたミンスク合意(2014年9月)の後も、米国は対戦車ミサイルなどを大量にウクライナに供与。2018年に、米国議会はアゾフ大隊をネオナチ系機関と認定し、軍事支援を禁じたが、他方で支援継続が議会で承認されている。さらに2014年から数百人~1000人規模の軍事顧問をウクライナに派遣しており、軍事訓練、武器の供給、指揮系統に至るまでアメリカなどの外人部隊がとり仕切っているのがウクライナ軍の実態といえる。

 

  ロシア軍がマリウポリ制圧でこのアゾフ大隊を殲滅したとかで、そのリーダーが拘束されて民衆から殴られている動画があったが、殲滅が事実なら停戦交渉にも今後展開が見られるのかも知れない。ゼレンスキーは27日に停戦交渉について、周辺国などによる安全の保障を条件に北大西洋条約機構(NATO)加盟を断念する「中立化」などの点で合意が可能だとの見解を示した。トルコで今週おこなわれる対面式での停戦交渉の行方が注目されている。

 

民族主義煽り国内分断 CIAがナチス温存

 

  ウクライナは誰もが知るように旧ソ連を構成していた一つの国で、1991年のソ連崩壊にともなって独立した。それから31年の変遷が今日の軍事衝突につながっている。NATO加盟国いわゆる西欧とロシアに挟まれた東欧諸国は緩衝国家として両者の軍事的緊張の狭間に置かれてきたが、この30年で13カ国が続々とNATO入りしてきた。ロシアと国境を挟んで軍事基地を置いている国もあり、ロシアの側から見るとこれは脅威になる。数分でモスクワにミサイルが飛んでくる関係だからだ。そんなウクライナを巡って長年に渡って欧米とロシアの駆け引きがやられており、大統領選でも親ロシア派が当選したかと思えばクーデターによって欧米派に変わったりしてきた。せめぎあっているのだ。

 

  ソ連崩壊以後がどうだったのかは後から見てみるとして、もっと引いたところから過去1000年の歴史を紐解いてみると、ウクライナの領土というのは色々な地域の連合体であることがわかる。10世紀、11世紀にはキエフ大公国の一部であり、リトアニア大公国、クリミア、ハン国、ハンガリー王国、ポーランド王国、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア帝国に属した歴史がある。これらの共同体が地域ごとに独自の文化を創り、信仰をつなぎ、歴史的事実についての認識も形成してきた。どの帝国時代の影響が色濃いというより、さまざまな信仰や言語、歴史や文化が共存しており、昨今大暴れしているウクライナ民族主義者が旗を振るような、西部側の単独のアイデンティティに染めるというのがそもそも無理な話でもあるのだろう。西部と東部でも違いがあり、矛盾がある。

 

 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、ウクライナはドイツとロシアの奪い合いがくり広げられ、国土や国家の分割を余儀なくされたり、複雑な経緯をたどっている。第二次大戦でドイツがロシアに侵攻した世界史上最大の軍事作戦ともいわれた「バルバロッサ」では、ドイツ軍は当時ロシア領となっていたウクライナのキエフ、ソ連のペテルブルグ、モスクワの侵攻を目指していた。

 

 この過程で、ウクライナ西部ではソ連の支配に反感を抱く人々がドイツ軍を解放軍として迎え、公然とドイツ軍に協力してSSガリシア師団、ナハチガル大隊、ローランド大隊といった軍事組織が編成されたという。それらの軍事組織がポーランド人やユダヤ人、ロシア人に残虐な殺戮行為をおこない、そのメンバーのほとんどはウクライナ民族主義者組織(OUN、1929年設立)の出身だったという。黒と赤の旗を掲げ、ウクライナ国内ではこの民族主義がその後の歴史のなかでも長く残ることになった。

 

ステパン・バンデラ

 このOUNで1940年代に指導者だったのがステパン・バンデラという男だ。強烈な反ユダヤ主義者、反共主義者だった人物で、1941年末までドイツが占領していたウクライナ領では、ナチスとこのウクライナ民兵によって15万~20万人のユダヤ人が虐殺されたと歴史家は推計している。1943年頃にはソ連がウクライナからドイツを追い出していくが、ウクライナ西部については1944年10月までドイツが支配地域としておさめ、ウクライナ民族主義者組織のバンデラたちはソ連に対抗してゲリラ戦をしかけ、ウクライナの街に血なまぐさい攻撃を加えるなどしていたようだ。第二次大戦後の1950年代半ばまでこの「抵抗」は続き、最終的にはバンデラの協力者たちは拘束されたり国外逃亡して終息したが、今日につながるウクライナにおける民族主義の起源となった。このあたりはオリバー・ストーン監督の『ウクライナ・オン・ファイヤー』が詳しくやっている。

 

  第二次大戦後は米ソ二極構造のもとで、今度は米国がウクライナを重要な地点として捉え、アメリカの諜報機関はソ連に対する防諜活動としてウクライナ民族主義者組織を囲い込んでいった。機密解除されたCIAの文書では、1946年以来その結びつきは強いものだったことが明らかになっている。第二次大戦後にウクライナ民族主義者組織の指導者だったステパン・バンデラやウクライナのナチス指導者たちはヨーロッパに逃れ、それをCIAが世話していたことも明らかになっている。

 

 ホロコーストを引き起こしたドイツのナチス指導者たちは処罰されたものの、ウクライナのナチス指導者たちはCIAから免罪符を与えられ、対ソ連の駒として利用されていくことになる。それは日本でいうと戦犯の岸信介その他がCIAのエージェントとして飼われ、戦後支配に利用されていったのともそっくりだ。敵の敵は友で、利用価値のある者は民族主義者だろうがネオナチだろうが何でも利用するのだ。

 

バンデラ信奉者によるデモ行進(2月1日、キエフ)

  ウクライナで民族主義者が再びうごめき始めるのがソ連崩壊の過程だったようだ。ソ連でゴルバチョフがペレストロイカ(自由化・民主化)をすすめたもとで、ソ連崩壊前の1989年にウクライナではソ連からの独立を求める民族主義的な組織「ナロードニ・ルーク」が登場する。米投資家ジョージ・ソロスが何かのインタビューのなかで「1989年、すなわちソ連崩壊の2年前にウクライナに財団を置いた」と述べていたが、「ナロードニ・ルーク」の登場とピッタリ符号するから不思議だ。

 

 それがウクライナのネオ・ナチズム指導者の育成機関となり、1991年にその一人だったオレ・タヤニボクは、旧き良きバンデラの理念を説く過激な極右民族主義政党「スヴォボダ」を結成した。それとは別に1994年にドミトリー・ヤロシュが極右組織「トリズブ・トライデント」を設立する。このヤロシュが2013年に野党ウダールの国会議員補佐官に就任。同年にウクライナの最も過激なナチスグループである「右派セクター」の一員になる。こうした民族主義者たちを囲い、対ロシアでたき付けてきたのは他ならぬアメリカであることを『ウクライナ・オン・ファイヤー』は余すことなく暴露している。

 

主力産業を根だやしに 産業大国から貧困国に

 

  ソ連崩壊後、1991年12月にウクライナで実施された国民投票では、大多数がソビエト連邦からの独立を支持した。ウクライナ国内では独立した共和国として繁栄の道を歩めるという期待もあったようだ。ウクライナ自身もソ連崩壊後の東欧のリーダーとしてのポジションを自称していたほどだった。世界のトップ10に入るほど発展すると予測した専門家もいた。それは旧ソ連の3分の1の産業部門を担い、黒海で最大の海運輸を擁していたこと、ロケット、航空、宇宙産業も抱え、先進的な農業もあったからだった。

 

欧州一の規模を誇ったアゾフスタル製鋼所

 しかし、結果的にロシアや旧ソ連時代の国々との経済関係が崩れ、無謀な経済改革がウクライナの荒廃をもたらした。独立後に経済は3分の1まで落ち込み、欧州の最貧国にも転落した。旧ソ連時代のウクライナは機関車、ディーゼル機関車の最大産出国だった。しかし今では非産業国となり、アメリカからディーゼル機関車を買っている有り様だという。空母を建造できる数少ない国の一つでもあったが、今では造船業も存在しない。宇宙ロケットも開発していたが、今では宇宙産業もない。航空機産業もなくなった。自動車産業もない。経済統合によって西側の製品販売の市場とされたが、その逆は許されず、ソ連崩壊後は産業力のある国として進む道を閉ざされたのだった。過去のレベルには遙かに及ばないまでに産業が崩壊してしまい、今日に至っている。

 

 かつてはドンバスが豊かな石炭鉱床だったが、マイダン革命後の2014年以後は突然、石炭輸入国へと転じた。欧米傀儡のキエフ政府がドンバスの石炭購入を拒否し、米国と南アフリカからの輸入に切り替えたためだ。ロシア製や南アフリカ製よりも高い米国ペンシルベニア製の高価な石炭を買わされるようになった。輸送費もバカにならないが、輸入量の30%をアメリカ製の石炭が占めている。

 

 石油も天然ガスも国土のそこらじゅうにあるのに、ウクライナでは生産していない。なぜか? 油田や炭鉱開発のための投資(資金)が必要だが、この30年来の混迷のなかで衰退しきってその経済力が奪われている状態なのだ。そんななかでウクライナの油田開発に投資をしたのがブリズマ・ホールディングスで、その取締役にはハンター・バイデン(バイデン米大統領の息子)が入っていた。父親が副大統領の時期にウクライナを正式訪問した直後に取締役のポストを与えられたというから露骨だ。

 

 非産業化したことによって、大中の何万もの企業が閉鎖となった。そして国民はロシア、ポーランド、欧州で職を探さなければならない。ウクライナでは家族を養うことができないからだ。ソ連が崩壊したもとで、ソ連だけでなく旧ソ連領だったその他の独立を果たした国々でも、乱暴な民営化と国有財産の強奪が始まる。西側の資本も強欲に入り込んでくるし、オリガルヒ(新興財閥)なる成り上がり者があらわれ、一部の者がその果実を貪るという状況にもなった。生活水準はたちまち低下し、権力構造が腐敗しきったもとで政治不信もひどく、国として体を為していないと思われるほどの混迷状況がもたらされ、そこに「カラー革命」があらわれる。

 

親ロ派地域に武力攻撃  クーデター後の8年

 

  ウクライナでは2004年にオレンジ革命が起こった。
 同年の大統領選では欧米派のユシチェンコと親ロ派のヤヌコヴィッチが争った。ユシチェンコの妻は元米国務省の職員で、レーガン政権時代にホワイトハウスで働いていた人物だ。大統領選では、ウクライナの国土の西側がユシチェンコを選び、東側はヤヌコヴィッチを選ぶなど、地図上もほぼ真っ二つの結果となった。

 

オレンジ革命(2004年)

 結果的にヤヌコヴィッチが当選するが、それに納得しない群衆が首都キエフにてオレンジ・カラーに染まった大集会をくり広げるなどして、国連が仲裁に入る事態にもなった。そして選挙のやり直しをへて、謎の毒盛り事件を受けたユシチェンコが当選したが長く続かず、2期目はなかった。

 

 しかし、任期最後の演説のなかで、彼はウクライナ西部の支持者に向けて、「何百万人ものウクライナの愛国者たちが、何年も待ち望んでいたことをいいたい。私は法令に署名しました。ウクライナ独立のための闘いにおいて、不滅の精神で自己を犠牲にし、勇敢な行動をしたステパン・バンデラ氏に、私は国家勲章とウクライナの英雄の地位を与えます」と叫んだのだった。

 

 とはいえ、ユシチェンコがウクライナの政治から退場した後、2010年の大統領選でヤヌコヴィッチが当選し、英雄の称号を廃止した。そしてヤヌコヴィッチは2013年末から2014年にかけてのマイダン革命に直面することとなった。欧州との連合協定の締結を延期したことを契機にしてキエフで大規模デモが起こり、銃器をともなったクーデターによってヤヌコヴィッチはロシアに命からがら逃亡することになる。アメリカによって仕組まれた軍事クーデターだったわけだ。

 

 そして新たなキエフ政府としては、極右勢力をも包含した欧米傀儡の巻き返しの体制ができ上がった。そうした国内の混乱のなかでロシア人やロシア系が多いクリミアではウクライナから離脱してロシアに加わるかどうかの住民投票(投票率83・1%)がおこなわれ、96%の人がロシア編入を望むという結果になった。ロシアのクリミア併合だ。

 

 2014年春以後に、ロシア系住民が多いウクライナ東部ではキエフ政府に反対するデモが活発になる。これらの地域は歴史的にもロシアに近い人々が住んでいる。ドネツクもロシア系住民が多く、キエフ政府への反発も高まるなか、クリミアと同じくドネツク人民共和国を宣言するまでになった。それに対してキエフ政府つまりウクライナ政府がドネツクに対して反テロ作戦として軍事攻撃を加えていった。8年間で1万4000人の住民がみずからの政府から爆撃をくらい、死んでいったのだ。こんなことは日本国内では何も報道されてこなかった。「ウクライナ可哀想」といって、逃げ惑う女、子どもを扇情的に絵にしているが、「ドネツク可哀想」などという国際メディアはいなかったのだ。

 

ドンバス紛争で廃墟と化したドネツク空港

砲撃から逃れるために地下室で生活するドンバス地域の住民たち

  同じように東部の住民たちの行動に反応して南部のオデッサでも反マイダン運動が起こり、それに対して極右勢力がオデッサに乗り込んで武力で弾圧して抗議デモ参加者を焼き殺すなどした「オデッサの悲劇」(2014年5月)へとつながる。オデッサはウクライナ最大の港湾を擁する地域で、キエフ政府としては危機感を募らせたのも無理はない。

 

 そしてオデッサの悲劇後の2015年に、新しい知事が就任する。グルジア(現・ジョージア)の大統領をしていたミヘイル・サアカシヴィリだ。彼はウクライナの隣国であるグルジア生まれのグルジア育ち、米国務省の奨学金で米国に渡り、その後ニューヨークにある社会組織「クマラ」に所属。その組織とは歴史的に各国のカラー革命に関与していたグループだった。グルジアで「バラ革命」が起こり、サアカシヴィリはその先頭にいたわけだが、政権転覆させるとグルジアがNATO加盟を表明し、ロシアとの国境にNATOの軍事基地を設置することまで表明した。しかしグルジアの民衆の抗議は強く、サアカシヴィリはその後の選挙で敗北して降板となる。

 

クーデター政権に抗議する市民を親政権過激派が焼死させた「オデッサの悲劇」(2014年5月2日)

 サアカシヴィリはグルジアで居場所がなくなったのか2013年に国外逃亡し、2014年には権力乱用と横領の罪で告発されるものの召喚に応じず渡米。そこでワシントンの友人たちから新たな任務を与えられたのか、ウクライナ政府の大統領補佐官という要職に就き、オデッサの知事に据えられた。知事就任の前日にグルジア国籍を放棄してウクライナ国籍を与えられるという早業だった。アメリカの息のかかった人物がウクライナ政府に送り込まれ、支配の任務のために国籍まで変えて要職を与えられるのだから驚きだ。

 

  2014年のマイダン革命でウクライナの政治権力を欧米傀儡勢力が握り、新政府は暴動で大暴れした極右勢力についてとり締まるどころか、むしろ全員に恩赦を与え無罪放免にした。そしてゼレンスキーはドンバスでの戦争を終わらせると約束して大統領に当選したが、ロシア系住民に対する武力攻撃はやむことなく、今日に至っている。さらに、NATO加盟まで踏み込んでロシアとの衝突に発展した。

 

揺らぐドル基軸通貨体制 制裁が裏目に

 

  歴史的な経緯を振り返って見ても、とりわけソ連崩壊以後のウクライナがたどった道のりは惨憺たるものがあるし、この混迷の芽はなんだったのか考えさせられる。経済的にも発展するだろうと明るい展望を抱いていたが、産業は壊滅的なまでに衰え、国民はよその国に出稼ぎに行かなければならないほど貧困状態を余儀なくされた。よその国に出稼ぎに行くとは、受け入れる資本の側から見たら低賃金の労働力として市場開放されたということだ。東欧の多くの国の民衆がたどった道のりとも共通している。そして、NATOとロシアの緩衝国家であるばっかりに、アメリカが極右民族主義者を焚き付けて反ロシアを煽り、武器やカネを与えられてこれらが勢いづいたもとで、国民は逃げ惑ったり肉弾にならなければならないのだ。バイデンがプーチンに電話を入れて、「ウクライナのNATO加盟はさせない。NATOの東方拡大はしない」と伝えれば、この軍事衝突は即終わるというなら、バイデンにそうさせるよう迫る力を加える方が現実的だ。明らかにアメリカが背後で煽ってきたし、その責任は重大なのだ。

 

 A  ここにきて、ウクライナの背後でそそのかしてきたアメリカはバイデンが本音を隠しきれず、訪問したポーランドで「この男(プーチン)が権力の座にとどまってはならない!」と体制転換を叫ぶなどしたが、世界的にはロシア包囲網といっても対ロ制裁に賛成したのは196カ国のうち48カ国にすぎず、中国とインドは制裁に加担しない姿勢を表明した。

 

 金融制裁によってアメリカを中心とした西側の力が及ぶドルの世界からは排除したものの、それ以外の通貨の取引もあるわけで、結果としてドル基軸通貨体制が揺らぐのが実際ではないか。目前は制裁しているのだが、結果としてドル支配の終焉が近づいているような気がしてならない。バイデンがヨーロッパ訪問で各国にネジを巻いていったが、欧州各国としてもロシアと軍事的に衝突などしたくないのが本音だろう。ロシアからの天然ガス供給もいまさら関係を引き裂かれてたまらないものがあるだろう。

 

 一帯一路をはじめとした政策が世界中を巻き込んで進んでいくなかにあって、世界的にはアメリカの覇権が終わりを迎えようとしている。米中、米ロをはじめとした矛盾があちこちで顕在化しているのは、その反映にほかならない。大きな視点で見たとき、「ウクライナ後」の新世界秩序構築が動き始める情勢にあるのかも知れない。このなかで日本が盲目的にアメリカ追随をしていたのでは国際社会から置き去りにされるほかない。

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