いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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巨大な力示す峠の時期の路線  原水禁全国実行委座談会

 今年8月6日の広島集会を頂点とする原水爆禁止運動は大きな発展をとげた。昨年来の原爆展全国キャラバン、そのなかでの沖縄戦の真実の解明、今年の長崎原爆展の成功、そして広島原爆展、平和公園でのパネル展示、広島市内での大宣伝、小中高生平和の旅、被爆者の全国交流、そして八・六集会となっていった。このなかで、峠三吉に代表される1950年8・6平和斗争の路線を継承する運動が、広島、長崎の被爆市民を代表する運動として、全国、全世界の人人が集まる広島で最大の存在感を示すことになった。本紙では、原水禁全国実行委、下関原爆展事務局、全国キャラバン隊、小中高生平和の旅のメンバーに集まってもらい、この運動を総括し平和運動の展望を語りあってもらった。

  飛び入りがふえた8・6集会
 司会 8・6集会の特徴と運動の経過から出してほしい。
  今年の8・6集会には700人が参加した。広島の市民、全国から広島にやってきた人、そして外国人の150人が飛び入りで参加した。デモも、市民がすごく温かく見守ってくれているという形で、広島市民が自分たちを代表する集会とみなす様相となった。
 経過をたどれば、昨年9月、全国の原水禁総括実行委員会で、昨年の8・6集会まできたこの運動の到達が論議され、とくに加害者論などのインチキを暴露し、広島市民を代表する運動として発展してきたことにたいする過小評価を正すことが強調された。また広範な大衆が全国的な政治から問題を見ているのに、活動者が自分の側から見ていく日和見主義を一掃して、大衆のなかに深く入り、50年8・6斗争の路線で独自に運動を組織していくことが論議された。
 9月から原爆展全国キャラバン隊が沖縄に入り、沖縄戦の真実が浮き彫りにされ、今年に入って東京、大阪でのキャラバン隊行動では、都市空襲と重ねながら原爆投下への怒りがさらに発揚されていった。
 4月に原水禁全国実行委員会がもたれ、原水爆戦争の危機、とくにアメリカの核独占と小泉政府の有事体制をふくめた具体化がすすんでいる現実に立ち、被爆者が体験を語ることとあわせて、50年8・6路線を具体化して労働者を中心にした現役世代の運動をどう発展させるかという課題をめぐり論議された。
 4月半ばからは長崎原爆展のとりくみがはじまった。山口県からのべ300人が参加して、原爆展のチラシとあわせて峠三吉の「すべての声は訴える」を掲載した長周新聞の号外が約4万枚まかれ、長崎市内でキャラバン隊が街頭や公民館で20回の原爆展をおこなった。そうした状況を中間的に集約して長周新聞の座談会「沈黙を破る長崎の怒り 祈りの教会は少数派」という紙面が出され、ひじょうに共感を呼んだ。
 長崎原爆展は3100人が参観。金子県知事からのメッセージも寄せられた。このとりくみをつうじて、広島と長崎、下関の被爆者の交流が深まり、広島と長崎の絆を強めて、真実を全国世界に語り伝えていこうという方向でのうねりとなっていった。
 7月はじめの原水禁全国実行委員会では、長崎原爆展の成功まで来た到達、現在の核戦争の策動とくに米軍再編、厚木基地機能を岩国基地へ移転し、広島湾一帯を核攻撃基地にするという切迫した情勢に対応する力ある運動を起こすことが討議された。大衆の意識が第2次世界大戦や戦後社会をどう見るかなど歴史的になっている一方で、多くの活動者のなかにある目前の利害がすべてという経済主義、組合主義の傾向と決別していくことの、重要性が論議された。
 この間、沖縄とか岩国、全国で峠のパネルを使った原爆展が無数に開かれた。
 7月20日過ぎからキャラバン隊が広島に入って、平和公園で原爆展をやり、原水禁の活動者も土日に広島の宣伝を強めて、長周新聞号外があわせて広島で8万枚配布された。8月に入ってメルパルクでの原爆展がはじまり、5000人が参観。賛同者は560人という数になった。8・6の5日くらいまえから宣伝カーが3台、広島市内で、加害責任論、「許す」「和解」など、反核平和のインチキを正面から暴露し、アメリカに謝罪を求め、広島湾を核攻撃基地にする屈辱をはねのけていこうと訴えて回り、市民のなかで歓迎され、全国の人たちの強い関心を集めた。
   
 市民と深い一体感 青年の姿目立つ
 B 8・6集会の飛び入り参加者は、「宣伝カーを聞いてきた」「平和公園の原爆展で聞いた」「号外・チラシを見てきた」「メルパルクで聞いてきた」などが多かった。去年の飛び入り参加と比べてもはるかに多くなった。参加した人は、「被爆者のほんとうの思いをはじめて知った」という感想を語っていた。集会が広島の被爆者の思いを代表しているし、全国から来た人たちの問題意識に合致していたと思う。
 デモも、いままでも「峠さんの原水禁」ということで信頼はあったが、今年は一段と沿道の人たちとの一体感があった。拍手したり、温かい関係をすごく感じた。別のデモにも出くわしたが、太鼓をたたいたりで、自己アピールという感じだった。よけいに峠のデモ隊がはちまきも締めて信頼関係があった。
 メルパルクでの原爆展は、若い人たちの参加がめだった。とくに加害責任論が広島の学校でずっと教育されていることにたいして怒りがすごく出された。アメリカが戦後の日本を支配するために原爆を投下したというのがそうとうに浸透している感じを受けた。この五年間峠のパネルを使った原爆展が全国でやられ、とくに広島は毎年やっていくなかで、世論をつくっていることを感じた。問題意識を持って広島に結集してきている。
 それと今年は広島市民の参加が多かった。市民のなかで“過ちはくり返しません”の碑で、「だれが謝るのか」と怒りをみんな持っていた。正面からおかしい、とやっているこの原爆展にすごい親近感を寄せていた。
 C キャラバン隊は平和公園で原爆展をした。7月の後半は外国人がほとんどだった。若い人や教師、ツアーで来る人などがものすごく真剣に見ていく。アンケートの内容もだんだん激しくなっている。「ブッシュをたたき出せ、アメリカ人がもっと協力すべきだ」とアメリカの学生が書いていたり、「日本人はこれだけやられているのになぜイラクに自衛隊を出したのか」と書いていた。「政府の意見ではなく日本国民の意見を聞きたい」という人が多く、逆に質問された。アラブから来た人は、「アメリカは悪魔だ。この悪魔をせん滅しなければ世界に平和はこない」と書いていた。世界はそういう世論になっている。広島・長崎の声が聞きたいという真剣さが感じられた。
 全国からも、保育士とか歴史教育の研究会などがやられていて、何千人という人が集まってきていた。保育士の人たちも集団で原爆展を見て、「教育基本法の改悪や、保育所の民営化も全部アメリカの要求なんだ」「おかしいのはわかっているが、どうしたら変えられるのか、なんで日本では運動が起きないのか」と語り、「また連絡してください」とか、「キャラバン隊が来るときはいってください」といっていった。20代とか若い人が多かった。それぞれの生活や職場のなかでの問題意識がとぎすまされ、激しい思いを語っていった。
 広島市民で毎年見ているという人が、「反米がまだ足りない」といってきた。「広島の名簿を収めて、“過ちはくり返しません”と書いてある碑に馬車と車輪をつけたら幌馬車だ。アメリカの象徴に広島市民が土下座して謝るのをイメージしてつくられたんだ」といっていた。ABCCも陸軍墓地を追い払ってつくったという。市民のなかからは原爆展を継続しているということへの共感があった。

 全国の運動家にも衝撃
 D 4、5日になると、原水禁、原水協の活動者がどんどん来はじめたが、かなりの問題意識だった。大阪の全港湾の20代青年は、九条の会の署名運動で地域を回るが、じいちゃん、ばあちゃんとぜんぜん話が合わないといって、パネルを見、体験に学ばなければならないと語っていた。
 千葉県から来た40代の婦人教師は、担任の小学校3年生の子どもたちに一生懸命戦争のことを話すが、「先生は戦争のことしかいわないからいやだ」と反発されるという。なにをどう教えたらいいのか悩んでいたといっていた。50年8・6のパネルを見て、「平和への思いの深さが違う、アメリカに謝罪を求めるという毅然とした態度がすごくいいと思う」と語り「加害責任論を根本から問いなおすべきだと思います」といっていた。
 石川県の原水禁の活動者も、名古屋の労働組合の人も、50年の8・6斗争にすごく共感していた。とくに経済主義と関係して、当時の労働者が自分の権利や待遇の問題ではなく、朝鮮人民と連帯して原爆を使うなとたたかったのははじめて知ったといっていた。
 原水協の9回大会から参加しているという兵庫県の婦人も、自分としては純粋な気持ちなのに、人からは「禁か、協か」と聞かれ、すごくいやな思いをしてきたといっていた。今年は“戦争加害と被害の実相から平和を考える”というのをやって評判がよくなかった。「来年はこのパネルを使わせてもらいたい」といっていた。神奈川から集団できた人たちもキャンプ座間に米軍司令部が来るというので今度は絶対阻止しないといけないと思っていると語りかけてきた。
 加害者論の影がほとんどなかった。何人か「日本が謝罪するのがあたりまえでしょ」という人もいたが、「日本が反省するなら、アメリカにくっついて戦争したらいけないでしょう」というと「そうだ」といってアピール署名に署名していく。
   
 米国謝罪要求に共感 注目を浴びた宣伝カー
  8月に入って、宣伝カーが市内を回りはじめると、市民の反応が強烈だった。「アメリカは謝罪しないどころか、いまでも原爆を使おうとしている」のに「和解」とか「許す」と叫ぶのはインチキだ、など宣伝カーでやっていると、手を振ったり、「この集会は行ってみたい」といって宣伝カーに寄ってくる。アメリカへの怒りは市民のあたりまえの思いだという共感だった。市役所前でやっていると、ある課長がニコニコして出てきて「やりまくっているなぁ」と喜んでいた。
 市民のなかでは、秋葉市長が「和解」といっていることに、そうとう頭にきていた。「岩国にも米軍が来て、三次の方で好き放題している。なんでこっちが頭下げて和解しないといけないのか」という思いで、「原爆展の会場に行って語らないといけない」とか、具体的な行動に出はじめる感じだった。
 平和公園には、4、5日に慰霊に来て、木陰で宣伝を聞いているばあちゃんたちがいた。「和解するどころじゃないでしょう」とどれだけ自分の家族が殺されたかという体験を語りはじめた。
 静岡から来た30代の男性が宣伝カーに寄ってきて、「この宣伝は去年もやっていましたね。禁や協ではないし、どこなんですか」と聞いて、集会に参加したいといってきた。「原水禁は今年は大会で盆踊りをやってふざけている」と共感を示した。京都から来た生協の婦人も「一般の国民まで悪いようにいうが、みなかり出された犠牲者でしょ。わたしもそう思います」と集会に参加したいといっていた。だれに遠慮することなく宣伝していることで、全国から来た人たちも、これが「広島のあたりまえの世論だ」と大注目だった。
 国連の職員という人が「所長に聞いてこいといわれました」といって、「宣伝カーはだれがやっているのか」と聞きに来たりした。
 D 5日の晩にTBSの番組で、原爆を投下したB29の乗員だったアメリカ人が「謝罪はしない、謝るのは日本人の方だ」といっていた。6日の朝の6時ぐらいから供養塔にお参りに来たおばあちゃんたちがパネルのところに来て「謝罪しないといったのは絶対許せない。うちの子がどんな死に方をしたと思いますか」とみんな怒っていた。岩国から来た人も「自分の目的が正しかったら人を殺していいというんだったらテロリストといっしょではないか。だからテロリストがあの国に行くんだ。あいつらがそもそも問題だ」とひじょうに怒っていた。
 F メルパルクの原爆展でも、「なんで原爆を落とされたものがあやまらないといけないのか」という内容が文句なしに共感された。被爆者や若い人でも、全国から来た人も同じだった。会場に「反核」路線のインチキを暴露した長周新聞の号外と本紙が置いてあったがすぐになくなり、新しく出したらまたすぐになくなるという感じだった。全国から来ている禁や協の活動者でもそこがはっきりすればすっきりする。「この原爆展が気になって会議を放って来たけど、来てよかった」という人が何人もいた。
 30代、40代の現役世代が被爆者の人たちに話を聞いて、「聞いたからにはなにかしないといけない」「なにができるのだろうか」と真剣に受けとめて協力者になったり、パネルを一枚一枚時間をかけて見ていった。そういう人たちが各地で行動をはじめたらすごい力になっていくと思う。
   
 被爆者が深い思い 小中高生平和の旅
  平和の旅では今年は被爆者の人の姿勢が違った。被爆者の思いが深いところで出されそれが子どもたちにストレートに受けとめられて、子どもたちと被爆者の一体感がひじょうに伝わってきた。はじめて語った人が「日本に原爆が落ちたのはしかたがないというのは絶対ない。日本がぼろぼろに負けるのは時間の問題だったんだ。アメリカは見るも無惨に一般の市民や人人を殺したんだ」と怒りを持って語られる。その思いを子どもたちに伝えたいという問題意識がすごく強く、それを子どもたちが真剣に受けとめていた。
 今年は新しい子もたくさん参加したが、自分から行きたいという問題意識が強かった。だからすぐに仲良くなってうち解け、規律性をもって、団の結束ができていった。教師から「子どもたちが今年ほどかわいいと思ったことがない」という感想が出されるくらいだった。大阪から参加した先生は「戦争を終わらせるために原爆を落としたというまやかしの論をうち破って、戦争反対の人人の世論がアメリカや日本政府を追いつめていく力が巻き起こってきそうな感じを受けた」と書いている。
 構成詩をやるとき、ほんとうの被爆者の思い、アメリカにたいする怒りを真正面からぶつけるようにいったとき、はじめて子どもの力が引き出せた。そこがあいまいなときには引き出せなかったというのが反省でもあった。とくに峠三吉の詩「序」は子どもたちが思いや怒りを敵にむかって表現できる詩だった。デモの最終段階でこれをやったとき、子どもたちが怒りをこめてやっていた。その子どもたちにたいする広島市民の反応がこれまでにないものだったという感想も出されていた。
 子どもたちはデモをやりぬいて完結だ。子どもたちが被爆者の方たちから学んだ決意をこめて市中行進をし、暑いさなかに大きい子が小さい子に団扇で扇ぎながら、やりぬいてゆく隊列に大きい期待があったし、参加したお母さんもすごく感動していた。新しく参加した教師も、子どもたちがやりぬいたことに、「こういうことが支持されているんだとわかった」といっていた。「友だちがたくさんできた」という感想が昨年にもまして多かった。
 印象深かったのは長崎の被爆者の方の体験を広島で聞いたことだ。「長崎で語れなかった」といわれたときに、広島の被爆者の方も「広島もこれまで語れなかった。それが語れるようになった」と共感があった。長崎の方が最後に「アメリカに国をとられるな」といわれたのだが、岩国の教師と沖縄の人が決意をあの場でのべた。
 教師のなかでは、子どもたちを鍛えるかどうかという問題とかかわって、「スケジュールがハードで子どもたちに無理ではないか」という意見も出た。子どもたちは目的めあてを持って、やっていけばどんなことも乗りこえて達成していく、やりぬいてはじめて子どもの力がわかる。また原爆を憎むのはいいが、「アメリカに怒りを持つ」とかいうことを子どもに教えてはいけない、という抵抗感が教師のなかにある。そこが子どもや被爆者とのズレだ。
  
 米国に激しい怒り 被爆者の全国交流会
 C 被爆者交流会が5日にあった。全国から40人ぐらい参加した。最初、長崎から参加した男性の被爆者が体験を語り、「いまからアメリカへの仇をうたないといけない、アメリカにだまされない日本の役に立つ子どもを育てないといけない」と語った。長崎は60年分の思いがはき出された感じで、交流会はいっきにボルテージがあがった。長崎から来た別の男性も「長崎は原爆を落とされた地域がカトリックで、宗教的なことから語れない構造がつくられている。だからあたりまえのことが語れない。峠三吉はあたりまえのことをいっている。こういう人が迫害されて、長崎でもぜんぜん伝えられていない。アメリカがやったことを悪いというのは、あたりまえのことだ」と語った。
 広島では学校で体験を語れるように働きかけていったことや、体験とともに自分たちの思いも語るようになったといっていた。下関の男性は「どうしたら世界平和がくるかを話したい」「アメリカが核兵器を持って悪いことをするから変なことが世界で起こっている。核を持って帰らせるんだ。核の傘で日本は守られていると政府がいっているが、今度は広島湾で基地までつくって、日本を滅ぼそうとしている。イラクみたいにやる決意を持ってみんなでしっかり運動をやっていきましょう」と、白熱した交流だった。
 長崎の被爆者にとっては下関、広島がやっていることが刺激になって、「長崎でもっとやってくれ」と熱気に満ちていた。
  8・6集会に全国の高校生や専門学生、短大生などが来ていたが、衝撃を受けていた。被爆者が実際に原爆を受けた体験を聞き、なんのために原爆を落としたのかを考えていた。栃木県の郵便労働者も「これは職場で論議しないといけない」と話していた。熊本の退職教師もこういう運動が何年かまえから起こっていることに衝撃を受けていた。
 集会の準備で看板を吊っていたら、チラシと号外を持って会場に入ってくる人や、「何時からですか、集会は」と聞いてくる人がいて、そうとうな浸透があると感じた。外人もきていた。原水爆禁止運動は小さい運動ではなく、世界的規模で動き出していることを感じた。アメリカにたいする怒りだ。われわれの認識をその側に変えていかないといけない。
 編集部 8・6集会で、市民や全国の人、外人の飛びこみ参加があれだけある。違和感がなく、自分たちの集会だという感じになっている。デモをしたら沿道が「わしらの代表だ」という感じになった。文字どおり広島、長崎を代表する集会となった。

 はげてきた米国の呪縛
 E 原爆展にはこれまでほとんど来なかった広島の中学校が集団で来たり、高校生も参加したが、会の人たちもこれまでにないことだと喜んでいる。
 D 山梨から遊びに来た高校2年生の子らが被爆者の話を涙を流して聞いていた。話をした被爆者に「73歳の被爆者の人たちが真実を伝えるということで、根本から人生を考えなおしたといっていましたよ」とその感想を伝えると、2人の被爆者が目を真赤にして喜んでいた。「わしらの話を聞いて考えようという時代になったんだな」とたがいに感動して話していた。
  被爆者は日がたつにつれて戦斗化し若返っていた。8・6の日は集会が終わってすぐに人をつかまえて話している。朝七時くらいに来て夜九時までがんばっている。来た人たちがこういう被爆者の姿を見て感動している。
 編集部 被爆者の高揚には、長崎原爆展の成功が響いているし、沖縄キャラバンが響いている。原爆投下がなんのためだったか、第2次大戦はいったいなんだったかという問題が鮮明になってきた。
 F 被爆者も「去年と今年は話すことが違ってきている」といっている。自分で語りはじめて学んだことや「日本が悪いことをしたから落とされたというのは違う」と真正面から話している。
 B アメリカのマインドコントロールがはげてきている。戦争終結のためには原爆投下は必要なかったというところが、圧倒的な世論になってきた感じがする。
 D 神戸の西宮から来ていた70代のおばあちゃんが「今年は平和公園に来る人が多い。60周年だからではない。日本人の意識が変わっているからだと思うよ。それはアメリカの属国になっているという意識ではないかと思う」といっていた。原爆展は六日が終わったら人がへるといっていたが、今年は7日も多かった。 
 編集部 8月6日の広島という、全国的にも世界的にもさまざまな人たちが集まっているなかで、この運動が圧倒的な存在感を示した。加害者論や和解論などを公然と批判する宣伝をやったが、市内でも平和公園でも当然のように受け入れられたし、だれも文句をいってくる者はいなかった。原爆反対の運動というものは、広島、長崎に認められないものは世界のどこへ行っても認められない。「これが広島、長崎の本音だ」と宣伝カーでやりまくったことで、全国から来た人も外人も新鮮な受けとめをしたと思う。
   
 「和解、加害」論浮く 外国人も大いに共感
 G 今年は原爆の子の像前で平和集会をやっているところがなく、すごく注目された。政治勢力でチラシを配るのもめだたなかった。市民から遊離した自己主張型の部分がまったく衰弱している。
 A 広島、長崎、沖縄の体験者の基盤に立って、歴史的な事実としてアメリカの戦争目的、原爆投下の目的の欺まんを引っぱがしたことがそうとうに浸透したということだ。理屈だけでいっているのではなく、被爆市民の声を代表してやっているから文句なしに納得される。
 C 大新聞が本島と舟越をとりあげたが、それを批判する形で長周の号外と宣伝カーの放送をした。広島の平和式典の小学生の発言は、昨年は峠三吉で広島市民は大喜びだった。今年はローマ法王の言葉で、だれが見てもヤラセだ。「和解」の線で予定していたが、完全に浮いてしまった。
  栗原貞子展がやられていたが、自己主張の内容だ。新聞では派手に宣伝していたが、すごい片隅で、展示する物があまりなかった。一番大きく展示しているのが、右翼からの脅迫状だった。加害者論が基調の詩人だが、寂しいものだった。
 C 加害責任の反省といえば、右翼側から自虐史観という。どっちもアメリカには文句をいわない。歴史教科書が問題になっているが、中国、朝鮮への侵略について開きなおって自虐ではないといきりたっているが、アメリカの原爆などは文句をいわない。これもアメリカコンプレックスという意味で、もうひと種類の自虐史観ではないか。
  本島元長崎市長が天皇発言をして右翼からピストルでやられた。それで本島氏は進歩派のような感じで、「反省をせずに原爆の被害だけいうのはけしからん」「原爆を許さなければならない」と演説して回っている。ブッシュの基盤はキリスト教原理主義のネオコンだが、熱心なキリスト教徒という本島氏は国際基準的に見たときの右翼ではないか。
 C ドイツは加害者論がすごい。ドイツ人がパネルを見て、ドレスデン空襲でそうとうやられたが、国民の犯罪の方が重いとなっているといっていた。日本の原爆と同じなんだといっていた。
 D クロアチアとかの大使夫妻もパネル冊子を買って帰った。「ものすごくいい」といって帰っていった。
 編集部 峠の路線がもっとも国際連帯性を持っているということだ。「原爆といえばパールハーバー」「原爆といえば南京虐殺」といって「加害責任の反省をしなければ外国では通用しない」といってきた。しかし、原爆で非戦斗員がどんな目にあったか、こんな残虐な兵器を投げつけたアメリカの目的はなにかを正面から暴露したものに、アメリカ人をはじめドイツ人やカナダ人、中国人もみな共感していた。世界の戦争放火者に反対することが世界各国の人民を共通目的で団結させるという関係だ。
  
 米国の核戦争阻止へ 欺瞞イデオロギー暴く
 司会 ここまで発展してきたが、全国でこのような運動を意識的につくっていく活動者勢力を結集しなければならない。この路線の問題にすすみたい。
 G 教師のなかで、被爆者の立場に立てばアメリカが許せないというのがわかるが、自分個人になったらそこまでなれないというのがあった。それは子どもを鍛えたらいけないというのと共通している。ハードスケジュールできついけど子どもたちはそれを乗りこえてやっていく。「自由、民主、人権」という考え方が分岐点だと思う。
  沖縄でも、日本軍国主義は悪かったがアメリカはそれどころではない残酷さだったと語りながら、教育問題では土壇場になったら自分のため、わが身かわいさとかで子どもが育つのかといわれていた。原爆でも、子どもを助けられずに、逃げていかないといけなかったことなどを痛恨の思いにして、世のため人のためとして生きてきた、そこのところが分かれ目じゃないかという。理屈で反米といっても、思想・態度のところでブルジョア民主主義で中和されていく。ぼくら自身が突きあたってきた問題だ。
 E 広島の会のなかでも、アメリカをいってはいけないという雰囲気もあった。だが今年の賛同者会議では、80代の戦争体験世代の被爆者が真正面から「一番悪いのはアメリカではないか」と遠慮なくやりはじめた。「アメリカをいったら偏る」という側はマスコミの方向に流れていく。その辺の明暗がはっきりと出た。会の人たちは会場でアメリカが現在やろうとしていることを阻止するという気迫で語りはじめて戦斗化してくるのと、全国から来た人人と響きあって確信になってきている。
 G 子どもにいってもいいのだろうかという逡巡がある。スパッとアメリカをやるから子どもたちに響くし子どもが受けとめる。そこを避けて体験だけいっておけばいいというようなところは反応が違う。
 C 会に参加している被爆者も、自分たちの生活のための運動なら参加したくないのがほとんどだ。苦しい内容は避けて自分たちが有名になるとか、ちょっといいことをするようなのは市民に嫌われている。若い世代のため、世界の平和のために、自分たちしか話せない被爆体験を伝えるのだという使命感がみんなを無私の精神で結びつけている。アメリカの戦争をくい止め世の中変えていくんだという大きい目的を持ってやっている。被爆者交流でも、ほんとうは語りたくないけど、大手術を受けて生き残り、なにかしないといけないと思っているときにこの原爆展に出会って語りはじめた。自分の話を聞いてくれるということ以上に、目的を持って会場に来る若い人がふえていることがうれしいと話していた。
 被爆者の使命感はこじんまりしたものではない。ほんとうに平和を実現するには、ただ「平和」「平和」といっておればできるものではなく、平和を破壊するものにそうさせないようにしなければならない。現実にアメリカの手足を縛らないと力にならないとなっていった。それが若い人たちにも外人にも共感されて、やればやるほど燃えてくる感じになっている。
 編集部 原爆を投げたのはアメリカだし、悪いことをしたものはアメリカであり、悪いことは悪いといわなければ教育にもなるものではない。それをアメリカを批判してはいけないというのは、現実をねじ曲げることであり、特殊に操作されたイデオロギーが支配しているということだ。真理は真理ウソはウソだ。戦後60年たった現状認識の問題で、アメリカの欺まんイデオロギーというものを暴く必要がある。

 日本の独立が進歩 時代遅れの市場原理   
 G 教師のなかでも、ホリエモンみたいなのにたいする批判力が弱いところがある。進歩派のように思ってしまう。
 D 剣道の先生が、「終戦で進駐軍が乗りこんできて、教育で日本はダメにされると思った」といっていた。そして、「精神の荒廃がひどくなった。恥の文化とかまったくなくなった」といっていた。「いまは金の時代、ものの時代になってダメにされた、自分のためには他を犠牲にしてもはばからない、利己主義がはびこった」と話していた。ホリエモン型だ。
 A 8・15でNHKが特集をやって、在日の中国やアジア各国の人たちを集め、日本人と討論させていた。よくもあんな日本人を集めたと思うほどだったが、相手がどう思うかは関係なく「侵略はなかった」とか自己主張ばかりをシャーシャーとやらせていた。桜井とかの女ジャーナリストが出ていたが、「おまえ中国や韓国に行っていえるのか」と思うようなことを発言していた。
 「朝鮮侵略はなかった」「インフラを整備してやった」というようなことを若い者がいっている。あれを侵略でなかったという見方は、現在日本がアメリカの侵略を受け植民地のようになっていることに気分よくしているということとつながっている。朝鮮の学校で日本語を教えたが、日本の学校で「英語以外使うべからず」となるのも容認する雰囲気だ。朝鮮で創氏改名をやったが、日本の芸人だけではなく、子どもの名前も横文字風がふえている。日韓併合をやったが、米日併合にすすんでいるような状況にある。小泉などは総理大臣という肩書きだが、実際にはアメリカ派遣の植民地総督みたいになっているではないか。日本の独立を要求する姿勢が、アジアの独立要求と連帯する関係だ。
 日本の民族的な歴史、文化というようなものはつまらないもので、アメリカだけがすすんでおり立派という観念がはびこり、独自の歴史文化と国の独立がひじょうにたいせつなことだということが軽んじられている。このような、マインド・コントロールの呪縛を解かなければならないことがたくさんあると思う。
 G 長崎の被爆者が「アメリカに国をとられるな!」といったが、あれがスカッといえるかどうかだ。
 H ペリーが浦和に入港して以来、アメリカは一貫して日本占領を狙っていたというが、あの大戦でようやく沖縄をふくめて占領して今日にいたっている。アメリカの日本占領計画・オレンジプランは明治の末期にすでに明確に持たれていた。植民地化の実態はどうか。食べ物、着物のような生活様式から、教育・文化、スポーツまですべてがやられて、それがあたりまえにならされている。戦争を体験した世代はそこにものすごく怒っているわけだ。市町村合併のあとは道州制というが、そのあとはアメリカへの日本併合になりかねない。
  いま構造改革・市場原理が時代の流れであり、それに反対するものは時代遅れみたいな風潮がある。これは金利生活者みたいなものが投機のようなものを好き勝手にやって、なにもかもぶっ壊してもうけてやろうという論理だ。大企業でも成果主義、能力給などといっているが、一つの生産をやろうと思ったらチームプレーでないと成り立たない。資本主義の生産活動は社会的になっている。これを個人バラバラにして大競争ばかりさせるのでは成り立たない。個人競争の方が時代遅れであり、みんなで協力して生産することが社会の進歩だということを確固としなければならない。原爆展に背広を着たサラリーマンが熱心に来ていたが、この意識の底流に日本の現状認識の変化があると思う。これも現状は原爆からだ、となっている。そのような戦後はびこってきたマインドコントロールを解いていくことともかかわっている。
 編集部 やはり今度まで来て、1950年8・6斗争路線というものが、世界的な運動になった原水禁運動の本流であり、現代にひじょうに生き生きした生命力を持っていることを証明したと思う。第1に、無惨に殺されたいく十万の非戦斗員、被爆市民の新鮮な怒りを共有すること、第2に、「戦争を終結させるために必要であった」といって、戦争にかり出された日本人民の側に加害責任があり反省せよとか、和解せよなどの欺まんをあばき、アメリカの原爆投下がソ連の参戦に焦って日本単独占領の目的のためであったことを暴露すること、第3に、広島湾を核基地とするなど現在の核戦争のたくらみとたたかうこと、第4に、アジア、世界の平和愛好者との国際連帯を強めること、第5に労働者を中心として目先の利益でなく、全人民的政治課題を代表した運動を建設すること、第六に、平和運動を内部から破壊するさまざまなインチキ潮流を暴露すること、などの方向が圧倒的な支持を受けた。
 世界で唯一の被爆地である広島と長崎の被爆市民に認められるものだけしか原爆反対にはなりえない。50年8・6路線はまさにそのようなものだし、われわれの運動にたいする過小評価は改めなければならない。
 A 全国の純粋な思いで運動をしてきたのに、人からは嫌われ行き詰まりを感じ、なにかを見いだしたいと広島にやってきた人たちが、この運動に新鮮な共鳴を寄せていった。われわれの運動の内部の活動家のなかでも、ひじょうに大きな影響を与えたことはわかるが、どうしてこのような運動になったのか、各地に帰ってからどうするかというところをハッキリさせることが大事だ。
 B 長崎原爆展もひじょうに鋭い内容なのだが、大衆は「あたりまえのことをいっている」「政治がない」と表現している。われわれの運動が共感されているところは、特定の主義主張をやるのではなくて、現実のあるがままの真実を主張しているし、大衆の思っていることを代表している。活動がそのようになっていると、違和感がないし、政治がないとなり、利用されていないとなる。
 編集部 8・6集会は大衆が主人公となった集会になった。ところが、一部の活動家のなかでは「自分たちの集会がとりあげられた」というような感じがあるのではないか。いいたいのは、小集団の自己主張グループの体質ではダメだということだ。そうでなく大衆が主人公の集会だし、市民がやる原爆展だ。活動者は運動の先頭に立つとともに、大衆がはばかることなく本音をあらわせるように激励し、敵の障害を取り除いて、援助するのが役割だ。
 広島に集まっているほとんどの集団が、自己主張のセクト集団だ。そのへんの小集団、仲良しグループ主義、自己主張して満足しようとする潮流と、50年8・6路線は根本が違う。大衆を代表していないと、凶暴になっているアメリカなどとは怖くてたたかえないと思う。大衆を代表するからアメリカを暴露できるし、アメリカを暴露するから大衆から支持される関係だ。
 大衆にたいする愛情と敵にたいする憎しみを統一したものがいる。自分が憎いというのはたくさんあるが、それは大衆を代表して憎むというのとは違う。号外や宣伝カーであれだけ堂堂と、アメリカをやっつけ、アメリカを美化する加害者論や和解論をやっつけて、市民は喜び、だれも文句をいわなかったというのはそういうことだ。「沖縄戦の真実」も「長崎の怒り」も、空中からの論をいっているのではなく、実践にもとづく大衆の意見であり、真実だから、ひじょうに鋭い内容であるが、だれも攻撃できない。
 そのような活動家集団が全国で結集していったら、強力な平和斗争が組織できると思う。大衆の問題意識は強い。しかし大衆は個々バラバラだから、共通して平和の敵とたたかって力にするには、そのような人民に奉仕する思想に徹した政治勢力が役割を果たすことが不可欠だ。

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