いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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8.6原水禁運動の到達と展望めぐる総括座談会

 今年の8・6を頂点とする峠三吉の時期の私心のない平和運動を目指す原水爆禁止広島行動は、広島、長崎全市民を基盤にして画期的な発展を遂げた。広島、長崎市民による原爆と戦争展、原爆展キャラバン隊をはじめ、原爆と戦争展運動の10年の記録を舞台化した劇団はぐるま座の『原爆展物語』の公演など多彩なとりくみが進められ、戦後65年たって荒廃した日本社会を建て直し、平和と独立の展望を切りひらく大運動をつくり出す確信を与えるものとなった。本紙記者と劇団はぐるま座団員による座談会を開き、運動の到達点と教訓、今後の展望について論議した。
 司会 まず今年の8・6までの経過からみてみたい。
  今年の8・6に向けては、3月に『原爆展物語』下関初演がおこなわれ、4月に広島、長崎での公演が成功。6月末には第6回となる長崎「原爆と戦争展」がおこなわれるなかで戦後65年を総括する大きな世論が動いてきた。被爆者たちも一段と迫力を増し、たくさんの学生が行動に加わるなど活動者がつぎつぎにあらわれたのが特徴だ。
 広島では、第9回広島「原爆と戦争展」に2000人が訪れ、毎日10人ほどの被爆者たちが会場に常駐して体験を語ると同時に運動への参加を訴えた。学生たちおよそ20人がスタッフとして、原爆と戦争展会場、呼び込み、街頭原爆展での外国人アンケートの翻訳などを担った。
 原爆展を成功させる広島の会の活動をみても、廿日市、北広島などの地域、県立広島大学、広島大学、広島修道大学など大学で原爆と戦争展をやり、広島市内の小中学校(11校)、修学旅行生(7校)への体験証言など精力的にとりくんでいる。活動の幅も広がり、そのなかで若い世代がどんどん結集してきた。
 長崎の会でも、昨年11月に県立大学佐世保校、長崎市内では西山地域での原爆と戦争展、長崎市立西町小学校でやり、今年に入ってからは西洋館での原爆と戦争展に緑ヶ丘中学校2年生、8月9日には長崎玉成高校でのパネル展と6人が体験を証言した。両被爆地とも連動して活動が広がり、全市的な基盤を広げてきた。
 8月の広島では、4日の『原爆展物語』公演、平和公園での街頭原爆展、宣伝カーによる全市的な宣伝活動、小中高生平和の旅、全国被爆者交流会など重層的な行動をへて8・6集会となった。被爆市民の運動に新しく高校生、学生や労働者が集団をなして合流し、若い力が前面に登場してきた。
 B 集会に参加した人人は、すごい確信を深めている。共通した反響は、若い世代が前面に出たことへの喜びだ。広島の高校生が16人参加し、自分がこれまでの平和教育で習ってきたこととの違いを涙ながらに語っていたことや、大学生も堂堂と発言し、集会宣言も読みあげるなど、被爆者の体験に学んで行動していく若い世代が大きな勢力として登場してきた。『原爆展物語』の公演のとりくみや、大学での原爆と戦争展で被爆者の体験を聞き、行動を通じて確信をもっているから確固としている。
 「これでいけば日本は変わるし、変えることができる」という確信になっている。下関の被爆者たちも、来年に向けて行動が活発化しているし、「死なないためのたたかいを生死をかけてやらなければいけない」「アメリカを叩き出さないといけない」というのが明るい展望を抱きながら確信になっている。
  長崎からの参加者も、広島で全市的な支持を得てやっているスケールに感動していた。はじめて参加した被爆者は、「原爆についてこれまで60年間黙ってきたが、もっと早く語るべきだった。長崎も同じ盛り上がりをつくらないといけない」と意気ごんでいる。広島ではじめて体験を語った被爆者も「平和の旅の構成詩を聞いて涙が止まらなかった。来年もいきたい」と心から感動している。長崎に帰って8月9日には高校に体験を語りにいったが、迫力が全然違うし、堂堂としている。長崎から来た大学生も、同世代がたくさん動いているのに刺激を受け、これだけの若い人たちが自分と同じように考えはじめていることが喜びになっている。

 「米国は核持帰れ」で団結 世界中の人が共鳴 

  この運動と集会は、広島市民がだれでも参加できる質だし、市民を代表している集会となっている。集会で発言した被爆者やみんなが市民を代表している。集会への参加人数にとどまらず、広島全市の支持、日本全国の支持を基盤にした運動となっている。それが「アメリカは謝罪せよ」「核を持って帰れ!」で団結している。この運動なら広がるし、日本を変えられるという確信だ。10年ですごい運動になっている。
  広島でラーメン屋を経営している30代の男性は、4月の『原爆展物語』公演を見て協力者になり、集会にも参加した。広島・長崎の被爆者をはじめ若い世代が一体になっていることに感動し、「来年はもっと市民が参加するように力をいれてやらないといけない」と意気ごんでいる。「妻が被爆二世だが、これまで原水爆禁止など気にも止めたことはなかった。知らず知らずのうちにそんな感覚になっている自分が恐ろしい。生まれて初めての集会だったが、本当によかった」と感動を語っていた。もう自分たちの運動という感覚で受け止めている。
 「アメリカは謝罪し、核を持って帰れ!」の宣伝カーも、8月2日から6日まで2台が市内中を徹底して回った。市民が立ち止まってものすごく聞いている。とくに、「地下に眠る人人は、原爆投下にはじまるアメリカへの隷属の鎖のもとで、今や農業や漁業、製造業も衰退し、街も衰退し、教育も学問も文化も崩壊し、まさに民族の歴史が断ち切られて、インディアンと同じ運命になるような現状を見てなんというでしょうか」というくだりにうなずいている。毎年やって定着しているので信頼が厚いし、圧倒的な市民世論を代表してやっている実感だ。
  本通り商店街の商店主からも「いいことをやっているのだから、もっと大きな音でやれ」「まっとうなことをいっている」と相当な共感だった。平和公園では「アメリカ政府は謝罪せよ」の看板が大注目で、外国人や全国からきた人が写真に撮っていた。
 A 県庁や市役所でもすごく聞いていた。遠くから聞いていてニコニコしてチラシを受けとりにくる。「オバマのインチキは子どもでもわかるのに、それを持ち上げる元社会党代議士の秋葉市長はなにか」という部分に共鳴する人は多かった。
  平和公園のキャラバン展示には、若い人が多かった。「広島には一度は来ないといけないと思っていた。広島にはなにかがあると思って来た」という人が多かった。「負けるとわかっていた戦争に突き進んでいった」「貧乏になって戦争になっていった」のパネルを食い入るように見ていく。専門学校を卒業しても就職先がないという青年や、区役所職員も「3、40代のホームレスがたくさんいるのに一部の人間だけもうけているのはおかしい」という。広島の学生たちが通訳や設営、呼び込みで力をすごく発揮していた。
 外国人もアメリカ、フランス、イギリス、オーストラリアなど全世界から相当数の人がきて、時間をかけて英訳を熱心に見ていった。あるスペイン人は「原爆投下は日本が始めたパールハーバーから始まっているからしょうがないと思っていた」が、「原爆投下は必要なかった」のパネルを見て、「すでに戦争をする力はない日本に原爆を落としたことに怒りを覚えた」と語っていた。外国人も学生などが多く、母国で広げていきたいと英訳冊子を求めていった。アメリカが日本に基地を置いて、イラクやアフガンに戦争を仕かけていることに対する怒りも共通していた。
  「この展示は偏っていない、公平だ」「感情的にも訴えるものがあったが、新しい知識としても得るものが多かった」とか「これまで戦勝国からの視点でしか第二次大戦を知らなかったので勉強になった。ノルマンディーには20万の米軍だが、沖縄戦には五五万人も来たのか」と驚いていた。世界中の人が共鳴していた。
  第二次大戦は何であったかということと、本紙でも扱った金融資本主義、新自由主義問題、教育改革の破産問題などが結びつき論議になった。実生活の大変化から、戦後社会の見方を根本的に見直さないといけないというのが噴き出している。目先のちまちました問題意識ではなく、大きく現代を捉えてどう変えていくかという意識だ。
 
 大衆世論が大変化 根本変革求める

  大衆世論の大変化はこの1年でもすごい。昨夏の総選挙で自民党が大敗し、今夏の参院選で民主党大敗。日米関係にしてもあらゆる政党が全部アメリカ擁護だ。全部ダメだし、選挙で入れるところがない。それなら自分たちがやらないといけない。生き方を変えて、こういう活動をしたいという流れがかなりの規模で出てきている。
  海軍出身の体験者は、これまで戦中戦後の経験から「アメリカは日本を盾にしているし、守るわけがない」「実際の国民的な運動でやらないといけない」といってきたが、それが全国的にストレートに受け入れられる時代になったといっていた。これまでは右「左」の勢力から異端視されていたが、その外側で大きな世論が動いて多数派になっているという実感だ。
  マツダで派遣社員が、何人もひき殺す事件が起きたが、工場内でうつ病が増えているといっていた。「株主主導の市場原理でもうけ第一をやった結果、現場は悲惨な状況になっている。労働者が実権を握らないといけない」というのがストレートに語られていた。
  親世代、労働者、教師、技術者、医者など幅広い層が来て、「戦争からずっとアメリカの目的はこれか!」と衝撃を受けていく。それぞれの生活実感ではこのままでは展望が見えないなかで、これをどう打開するかという問題意識をみんな持っている。原爆展会場でそれが大論議になるという感じだった。
 B 今の資本主義では世界は維持できないという実感がある。日本がつぶれている根源は、アメリカの金融支配だ。みんながよく分からないあいだに金融技術なるものをはじめて、ホリエモンとか村上ファンドとかが大もうけする。だが、この仕かけがパンクし、日本は根こそぎ金を巻き上げられている。農漁業者の金を集めている農林中金もアメリカの金融商品を買いこんで15兆円も引っかけられているそうだ。日本全体で7、800兆円が返ってこない。貧乏になるのは当たり前だ。そして、政党をはじめ、官僚機構、警察、検察がアメリカ擁護で動き、マスコミがアメリカ直結でおべんちゃらをやりまくる。全支配機構がアメリカの道具になっているということが実体験としてわかる。
 D その根源が第二次世界大戦からみればスカッとつながる。アメリカの日本絶滅作戦はまだ続いているということだ。だから日本の平和、繁栄、民主主義を破壊する敵はアメリカであり、これに従属した売国反動派だというのは日本中のあらゆる階層が思っている。農漁業者はもちろん、労働者、中小企業経営者、大企業関係でも相当の問題意識が動いている。戦後の日本では、反米を掲げたときには大斗争になる。そこをあいまいにしたときには少数になっている。原水禁運動もだし、安保斗争もそうだ。今年の8・6も禁、協は市民に影響力のない少数派だった。「核を持って帰れ」のこっち側は大多数派だった。別に主義主張でいっているのではなく、すべての日本人民の全体験を総合すればそうなる。今年の8・6まで来て、大安保斗争の前触れがはじまっているといえるのではないか。
  今年の平和式典には、はじめて国連事務総長とかルース米駐日大使などが来たが、効果としては秋葉市長の「オバマキャンペーン」を助けに来たような格好だ。広島の世論の流れをかなり意識している。そして原爆記念日の直後に秋葉市長が会見をやって「アメリカに謝罪は求めない。そんなことを求めている市民はほとんどいない」と、市民を逆なでするようなことをいう。
 原爆展会場に『ニューヨークタイムズ』の東京支局長が来て被爆者に「広島市民に聞いても、アメリカに対して謝罪を求めている人は少ないようだ」といった。被爆者は「そんなバカなことはない。みんな胸の中にもっている」と伝えたという。「アメリカの責任」「謝罪問題」にアメリカは相当にこだわっている。
  市民の中では「核廃絶は、アメリカの謝罪からはじまる」というのが当然の世論だ。福岡でも「アメリカの大使がきたが、謝罪どころか献花もせんのは何事か」とみんないっている。「アメリカは謝罪せよ」と宣伝カーでもあれだけやった。ごまかしようのない広島の世論だ。
  だから実際には、秋葉の平和宣言でも「オバマジョリティー」の文言は消え、昨年は英語だったのが広島弁を使うとかの手直しをやらざるを得なかった。結局、ルースは一言も発言せず一目散に帰って、長崎に行くのもとりやめた。原爆投下の責任を問いつめられることを恐れたのだ。
  アメリカに謝罪を求める世論が圧倒したということだ。50年8・6斗争はアメリカが最大に意識してきた。その流れが、また広島を中心に起こっているということだ。大衆が思っている主張であり押しつぶすことはできない。「大衆のなかから大衆のなかへ」という活動路線はものすごい威力だ。
 
 生き方変え行動へ 『原爆展物語』が力に

 司会 10年間の運動の到達としての今年の集会だったが、今年は原爆展運動10年の記録を舞台に典型化した『峠三吉・原爆展物語』をつくったことが運動を飛躍させる大きな力になった。上演の効果はどうだろうか。
  3月20日の下関初演を皮切りに山口、広島、長崎県内での公演を進めてきた。広島では「本島市長が峠三吉を名指しして“広島よ、おごるなかれ”とやった。それなら長崎市民に峠三吉のパネルを見てもらわないわけにはいかない」というセリフに、客席から「そうだ! 頑張れ!」と声がかかる。長崎では、広島原爆展で体験を語る被爆者たちの思いにすごく共感する。広島と長崎で切り離されてきたものが一つになっていくという感じを受けた。
  どこでも反応が強いのは、戦地体験者が原爆と戦争展会場で第二次大戦の本質を語り合う場面だ。「日本がここまでデタラメになった根源はなにか」という疑問がここでとける。アメリカは日本人を皆殺しにし、天皇をはじめとする日本支配層は自分の地位を守るために国民を裏切って民族的な利益のすべてを売り渡したという論議には、舞台も観客も集中し、緊張感が高まる。それが、最後にスタッフが誓う「死なないためのたたかいを生死をかけてやらねばならない」というところにつながっていく。戦争体験者や被爆者たちは、「ずっと思ってきたことを全部いってくれた。このまま黙ったまま死ねないと夜も眠れなかったんだ」と語り、「よくいってくれた」と感謝する。舞台を見てその思いが増して、観劇後の座談会は舞台の続きのような論議になる。
  中学生、高校生など若い人の反応がすごく、「自分を変えれば、周りを変え、世の中が変わる」とか「原爆展スタッフのように生きたい」といっていく。「いまが戦前と同じだと祖父母から聞いていたが、それがどういうことなのかよくわかった。それなら自分たちが真実を学んで、次の戦争を止めなければいけない。それが自分たちの使命だ」と中学生、高校生からワイワイ出てくる。食糧自給の問題や就職難について思いを語ってきたり、現役世代でも「平和ボケを気づかせてもらった」「ダマされていた」「知らないうちに仕向けられていた」というところから、「これではいけない。自分自身を変えていかないといけない」となる。
 教師たちも「自分たちは平和教育で一番熱心だと思っていたが、戦争体験者や被爆者の話を聞いて、いかに教師が遅れていたか、どれほど意味のない平和教育をやってきたか」と衝撃を受けて、「教師が一番の平和ボケだ。だが自分たちが変われば、日本は変えられる」と行動意欲に燃えている。上演後は、どこでも世代を超えて全国的な団結をつくっていきたいという機運が盛り上がる。
  中学生が「アメリカの植民地になっていることを解決しないと、日本の平和も世界の平和もない」と感想をいう。それに先生が衝撃を受けて、みんなに紹介する。遠回しに本質に迫るのではなく、驚くほどストレートだ。
  「こうすれば世の中が変えられるのか」という反応も若い人から共通して出された。「原爆展スタッフのように市民のなかに入って、人人の話を聞いて、それを代表して行動していけば世の中変えられるんですね」と見送りなどで語りかけてくる。小学生もアンケートに書いていたり、そこに魅力を感じている。
  中学校で『原爆展物語』の紙芝居をやると、校長先生が心配そうにのぞきに来て、「はじめは戦争とか平和とかテーマにして自己主張をするのかと思っていたが、見てみたら自己主張ではなくすべて真実だ。こんないいものは全市の中学校でやるべきですよ」と圧倒的に支持する。これには自分たちも驚いた。
 H 広島の高校であった平和研修で紙芝居をやっても、先生が「組合とか色の付いた人たちはいろいろ文句いってくるでしょうが、これは真実なので堂堂とやってほしい」という。それを見た横浜の学校から予約が入ったり、北海道の教師からも「来たときは必ず声をかけて欲しい」といわれている。
 
 大衆代表した運動 自己主張と違う質

  運動を進めていく路線上の教訓が、『原爆展物語』に体現されている。自己主張や特殊なイデオロギーではなく、大衆に学び、その全経験を総合して典型化しているから真実が描けるということだ。大衆路線であり、リアリズム芸術路線だ。
  被爆者たちは、まさに自分たちの運動を伝える劇だと受け止めている。広島でも禁・協の構図のなかでがんじがらめになってものもいえない状況から、一軒一軒戸を叩いて怒鳴られながらも市民の声を聞いていく活動をやってひっくり返し、今度は長崎に行って「祈り」のベールを引き剥がして、またたくまに広島に合流してきた。これにすごい喜びがある。「日本を変える劇だ」というのも、こういう活動路線のなかに展望を感じている。
 C この違いを鮮明にしないといけない。人民大衆が歴史を創造する原動力であり、その歴史的な体験のなかに流れている真実を代表していく。また大衆は、第二次大戦からアメリカの戦後支配のなかで敵の抑圧のなかにあり、自分たちの思いが語れないという状況がつくられてきた。「戦争を終結させるためにやむを得ぬ手段だった」「市民が悪いことをしたから落とされた」と禁・協もやるし、学校教育やマスコミもやってがんじがらめにしている。そこを取り払って、誰が何のためにこんなことをやったのかという関係が明らかになっていけば、「わしも長年思っていた」と、大衆の実感が理性的な認識となってあらわれてくる。
 I ある大学の先生が、この10年で運動が様変わりしてきたことについて、「頭から号令かけるんじゃなくて、若い世代が自発的に動くように導いてきた。君たちはすごいことをしているんだぞ」といっていた。
  はじめは市民から「禁か、協か」と怒鳴られた。そこで顔つきや臭いまで禁や協ではないようにする努力をへて、つまり傲慢な支配階級の思想とたたかい人民に学び、人民に奉仕する思想をうち立てる努力をへて、市民のなかに入っていけるようになった。8・6をめぐる各勢力を見ると全部が自己主張だし、市民的、大衆的な影響力はない。あの運動観との根本的な違いだ。
  はぐるま座の路線転換も『原爆展物語』まで来て本格化した。この劇をやることで劇団員自身も体質を変えることが迫られたし、それが進むなかで舞台と客席との垣根がなくなった。舞台の上での進行と合わさって客席でもドラマが進行し、座談会も劇の続きという感じで論議になる。それが帰ったら、その周辺で進行していく。まさに日本を変える芝居だ。
  「あれは芝居でない」というのが二種類あった。「あれは芝居でないからダメだ」というのと「あれは芝居でない本物だ」というのだ。インテリや「文化人」と称する人のなかに否定的な意見が多かったが、何度も見に来た戦争体験者は、「進歩派ぶった文化人など気にせずに堂堂とやりまくってくれ」といっていた。
  高校演劇部も柔軟な評価をしていた。ストレートに感動している。出来合いの演劇概念ではなく、現実で見る力がある。こっちの方が優れている。
  広島の全国的にも有名な高校演劇部は、『原爆展物語』を見て、「自分たちがいくら被爆者の話を聞いても、劇にしようと思ったらつくりものになる。一番大事な被爆者の人たちの怒りとか思いからかけ離れたものになっていた」と素直に語っていた。はぐるま座内部でもこの劇をやる過程では、「遊びの芸術か、本物か」の論議をしたが、同じことを高校生がいっていた。そして、原爆と戦争展に行って「これが本物ですね」という。
 
 青年運動を起こす 人民大衆と結びつき

  青年が積極的な活動者となってあらわれてきた。この社会の権威が崩壊しているなかで青年が展望を渇望している。ここで青年の置かれている現状をしっかり分析して、青年運動を起こしていくことが必要だ。バブル崩壊から20年たち資本主義の権威は崩壊し、学校といっても真実はなく、職もなく、あっても妻子は養えないし、先先の展望がない。青年は、未来との関わりで物事を考えている。この矛盾はその他の世代と比べても鋭い。第二次大戦、戦後の日本社会は何であったか、そのなかでどこに未来をつくる力があるか、それを実際に市民から学ぶなかで、人民大衆の歴史的体験のなかに真実があるし、社会を変える力も人民のなかにあるという響き方だ。
 G 中学校でも、「アメリカの占領下で広島市民がいいたいことがいえないなかで、峠さんが代弁してみんなが団結していった。それは自分たちにもできるんですね」という感想が返ってくる。
  集会で発言した学生も「本や資料には真実はなく、人人の体験のなかに真実があることがわかった」とスッと理性化していた。マスコミや既成の権威がウソやねつ造ばかりやるなかで、宙に浮いた論議ではなく、実際をみて行動していく。人が聞いていようが聞いていまいが頭からワーワーと絶叫型の演説をやっていた昔の学生運動型とは全く違う。戦争体験者、被爆者に学び、大多数の勤労大衆と結びついて、その体験を学んで真実をつかみ現実を変えていく。そうしてきたのが原爆展だし青年と体験者がつながっている要素だ。
  はぐるま座評価で二つに割れてきた。古い「やり手」の経験者がいなくなって若僧ばかりじゃないか、という意見もあるが、「やり手」たちが逆立ちしてもマネできないすごい活動を今やっている。大衆の方はそう見ている。ブルジョア的な権威ではなく、大衆と結びついてやるものが最大の力を持つということだ。日本中を揺り動かしていく演劇もできる。新しい運動というのはそういう質・価値観でなければいけない。

 人民に奉仕し大衆路線実行 50年8・6斗争の路線 

 C この路線問題は歴史的に根の深いものがある。戦前の共産党は強大で理論は正しかったが、大衆と結びつくことができなかった。だから、戦争が苛烈になるなかで消滅し、人民がもっとも困っているときに手助けができなかった。それを教訓とした福田主幹が50年8・6斗争を組織する。中国が革命を勝利させた根本的な要因、それは人民に奉仕する思想に徹すること、そして「大衆のなかから大衆のなかへ」の大衆路線だ。朝鮮戦争のさなかに、アメリカの原爆投下を糾弾し朝鮮への使用に反対する。それが今度は戦争を阻止できる路線だ。はぐるま座がそこを転換して進み始めたことは歴史的にも非常に大きい。『原爆展物語』は、今年の8・6の原動力になった。
  原爆展運動から、原爆展物語、長周の創刊55周年、そして今年の8・6と、次次に大衆が立ち上がり日本を揺り動かす運動になってきた。ところがこれに反対する潮流もある。組合主義の潮流だ。自治労や日教組は民主党政府与党だ。組合主義というものが、すべて自分の損得のために組合を利用するというものだ。だから組合幹部になった者は利用して出世していくという世界だ。この特徴は、組織や大衆との関係で、自分の利益や願望を組織の上においている。転倒だ。全人民的利益を代表して、バラバラの要求を共通の要求に結びつけて行くところに組織の役割がある。個人は組織に従属したときに展望を見いだすことができる。「人民に奉仕する」というイデオロギーが未来を代表している。
  また、人の文句を言うばかりで、自分が大衆を代表し、みんなを団結させて建設していくというのがないという特徴もある。
  大竹公演では「団結と協力が労働者の精神ですよね」という所でワッと拍手が起こった。
  みんなで協力しあって人の役に立つ物を生産するのが労働者の精神だ。ここに未来を代表する力がある。今はアメリカの支配でがんじがらめになっているが、働く人間がいたら社会は成り立つ。この力が自覚され、組織されたら次の社会を今よりはるかに立派に運営できる。働く者が実権を握って、銀行や大企業をみな国有化して運営すればいくらでもできる。株主や金融資本は、食料生産から物づくりまで破壊しているのだから、これがいない方が生産ができる関係だ。働く人がおりさえすればいくらでもやることができる。観念的、原理的な話ではなく、現実的な展望の話だ。そういう力で日本の独立と平和と本当の繁栄をつくることができる。
  実践的な課題としては『原爆展物語』が一つの軸になって全国公演をやる。それと重なって「原爆と戦争展」運動を全国に広げ、被爆者、戦争体験者とともにとくに青年学生による担い手をつくっていく。これがもう一段いけば来年はもっとすごいことになる。
  下関初演が3月20日でそれからわずか5カ月だ。これからやればやるほどすごい様相をつくっていける。11月からは沖縄県内、来春には東京公演をやる。実態のある戦争反対の組織を全国につくることを課題としてやっていきたい。

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