いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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アメリカは核も基地も持って帰れ! 74年迎えた被爆地から発信

 峠三吉の時期の私心のない原水爆禁止運動の再建をめざして活動を展開する原水爆禁止全国実行委員会は、アメリカの原爆投下から74年目を迎えた6日、広島市中区のアステールプラザで2019年原水爆禁止広島集会を開催した。7月末から同市中区袋町のひと・まちプラザでは第18回広島「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる広島の会など)が開催され、5日には同会場で被爆者や学生、現役世代などが集った全国交流会が開かれるなど、原爆と戦争展を軸に平和を希求する人人による深い交流が連日おこなわれてきた。頂点となった6日の集会はそれらの人人が一堂に会し、命をかけて被爆体験を語り継ぐ被爆者・戦争体験者と、その新鮮な怒りを継承する若い世代、さらに国境をこえて平和を願う市民が連帯し、平和な日本社会を構築するために奮闘する決意を確認しあった。

 

原爆と戦争展会場で被爆者から体験を聞く参観者たち。


 初めに全参加者で原爆犠牲者に黙祷を捧げたのち、事務局の犬塚善五氏が基調報告を提案した。犬塚氏は1950年8月6日、アメリカ占領下の広島で被爆市民の怒りを代表して原爆投下者の犯罪をあばき、「朝鮮戦争で原爆を使うな!」をスローガンに原水爆禁止運動の端緒が切り拓かれて以来、「いかなる民族の頭上にも原爆を投下してはならない」という広島の地からの発信が世界の世論を動かし、国連での核兵器禁止条約の制定をもたらす大きな力となったとのべた。アメリカの単独覇権がほころびを見せるなかで、世界的な核戦争阻止の世論が大きな高まりを見せ、朝鮮戦争の終結を目標とした南北、米朝の会談など、長く冷戦状態が続いてきたアジアでも多極化とともに相互利益にもとづく新たな関係構築が始まっているとし、核使用を正当化して世界を恫喝してきた側が孤立し、武力ではなく平和的な話しあいによって国際問題を解決する機運が主流となっていることを明らかにした。

 

 一方で日本政府はアメリカを忖度して核兵器禁止条約の制定に反対し、南北朝鮮の平和的関係の構築に向けた動きに背を向け、韓国をはじめアジアの近隣諸国との軋轢を激化させるなど、アジアのなかで孤立を深めている。ステルス戦闘機の購入や沖縄辺野古への新基地建設、佐賀空港のオスプレイ配備、イージス・アショア配備などは米軍需産業に貢ぐとともに、日本全土をアメリカ本土防衛のための不沈空母として差し出すものだとのべた。

 

 そして、74年続いてきた対米従属政治に対し、政党政派をこえた運動が全国各地で発展しており、「この運動をさらに壮大な基盤を持って発展させるなら、一握りの戦争挑発者を縛りつけ、急速に日本を変え、世界を変えることができる」とのべた。

 

 

 続いて劇団はぐるま座が峠三吉の詩「墓標」を朗読し、発言に移った。

 

 初めに原爆展を成功させる広島の会の末政サダ子氏が登壇した。小学校6年生のとき、爆心地から2㌔㍍の大芝国民学校向かいの文房具店で被爆した末政氏は、吸い込むことのできない熱風と赤土の塊を含んだ猛烈な爆風に襲われ、再会した母と弟は大やけどをしていたこと、血だらけで「水を下さい」という人人があふれる惨状とともに戦後も被爆した家族がガンで亡くなっていったことを語り、「思い出せば苦しくて心が震えるが、74年以上生きさせていただいた恩を小中学生、大学生に語り継ぐことで返させてもらっている。平和は宝物だ。過去の戦争を反省して地球上の共存共栄を喜び、戦争をしない日本として世界をリードしなければいけない。核と人間は共存できない。被爆者は次の世代に平和のバトンを渡すまで死ぬことができない。戦争のない平和で自由な社会を求めて、地球上から核を廃絶するために日本の平和運動を大きく広げていきたい」と語った。

 

 続いて下関原爆被害者の会の河野睦氏が発言に立った。河野氏は14歳のとき下関空襲で家を焼かれ、親戚を頼って疎開した広島で被爆した。自身は大きな石碑の陰にいて助かったが、東練兵場の日向にいた1年生の女学生たちは一瞬にして大やけどを負った。河野氏は、「74年たち、被爆者は少なくなっているが、体験した者の脳裏からあの惨状が消えることはない」とのべ、誰にも語らず生きてきた被爆者が、再び戦争の空気が強まるなかで、切実な思いで体験を語り始めていることを語った。また当初は、被爆体験を語ることを「政治的だ」と見る空気も強かったが、25年の活動をへて多くの小学校から招かれるようになるなど、様変わりとなっていることを紹介。若い教師たちが「子どもたちに伝えていくのが教師の使命だ」と受け止めていることを喜びを持って語り、命ある限り体験を語り続けていく決意をのべた。

 

 続いて「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の約30人が登壇し、5日に被爆体験を学んだ感想を軸に構成詩を発表した。「辛くて苦しいことを僕たちに伝えてくれた。もし僕がその年代に生きていたらすごい声で叫んで泣いていたと思う。それをみんなに伝えて戦争は本当にいけないことだと知らせていると感じた」(小学校5年男子)など元気よく発表し、峠三吉の詩「序」の群読、「青い空は」の合唱をおこなった。

 

 続いて広島の教師・久保雄聖氏が登壇した。今年3月に広島の会のメンバーで沖縄を訪問し、米軍基地と隣り合わせで勉強する実態や米軍機の部品が落下した緑ヶ丘保育園などを訪れ、保育園の園長や父母が諦めることなく運動を続けている姿に心を打たれたことを語った。沖縄戦の体験も聞き、「戦争が教育を壊し、その教育が人間を盲目にさせてしまった過去を忘れてはいけない。74年たつ現在も体験者は命を燃やして語っておられる。その姿を今一度、自分の心の中に止め、自分も全力で命を燃やして子どもたちとかかわっていく」とのべた。

 

 「平和サークルひろしま」を立ち上げ、原爆と戦争展でスタッフとして活動している広島の大学生・和泉芹那氏は1年間の活動を報告した。同サークルは原爆と戦争展での被爆・戦争体験の継承活動の幅を広げていくために今年3月に結成した。広島大学をはじめ複数大学の学生、留学生なども在籍し、独自に原爆と戦争展を開催するなど活動を展開している。今後、他大学のサークルと連携したイベントや大学祭での展示など独自の活動も検討していることを報告し、「私たちの活動を通して多くの方に戦争と平和について考える機会をつくってもらいたい」と力強く報告した。

 

 沖縄の源河朝陽氏は、凄惨な沖縄戦をくぐり抜け、戦後は米軍によって幾度となく惨事がひき起こされてきた歴史的な怒りを持って、辺野古新基地建設や宮古島などへの陸上自衛隊・ミサイル部隊配備に反対する運動が力強く広がっていることを報告した。先島の人人は「尖閣問題を戦争の火種にするな」「国境の島だからこそ平和を」と声を上げてたたかっており、辺野古新基地建設をめぐっては、反対を掲げた新人の玉城デニー氏が過去最高得票で県知事選に圧勝、県民投票では投票総数の72%が反対と、県民の揺らぐことのない意志を安倍政府に突きつけたとのべ、「追い詰められているのは沖縄県民、日本国民ではなく安倍・トランプ政府だ。核兵器と米軍基地は、アメリカが日本を支配し隷属させるための暴力装置にほかならない。“アメリカは核も基地も持って帰れ”の世論が一段と高まっている。沖縄と本土が団結して原水爆禁止、貧困と戦争の根源である“日米安保条約”を破棄し、真の独立と平和な社会の実現をめざして奮闘しよう」と呼びかけた。

 

 原爆展キャラバン隊を担ってきた鈴木彰氏は、被爆二世や学生などの現役世代が体験継承への意欲を持ち、活動に参加し始めていることを報告した。戦後74年目を迎え、被爆者が高齢になるなかで、広島・長崎での原爆と戦争展には二世の参観者が多数会場を訪れ、会の活動に加わって証言活動をおこなうなど、新たな流れができていると語った。平和公園での街頭展示では全国各地、とくに海外の人人の問題意識は様変わりしており、「原爆投下は戦争終結のためだった」というアメリカ側の欺瞞が世界各国で通用しなくなっているとのべ、「被爆者や戦争体験者が“今の日本は戦争に突入していったときの情勢に似てきている”と危惧を強めているなかで、若い世代が今一度“あの戦争はなんだったのか”という問題を捉え直し、その教訓に立って原爆や戦争の体験を学び伝えていくことが重要になっている」とのべた。

 

平和公園にある原爆の子の像前での街頭展示は多くの外国人が参観していった

 

 さらに海外の発言が続いた。2年前に韓国のろうそく革命について報告した李容哲氏が登壇した。平昌五輪への南北共同参加、板門店での南北首脳会談、シンガポールでの米朝会談と、戦争終結への動きが進み、G20サミット後にトランプ大統領が板門店を訪問したことで「直接的な朝鮮戦争の終結宣言はなかったが、実際には軍事対決はこれで終わったのではないかと思う」とのべた。また、「日韓、米朝、北朝鮮と日本の最近の状況をみると会話がなく一方的なことが多い」と指摘し、最近の日韓関係について、韓国ではこれを120年前の日本の侵略の再現ではないかと危惧する声が多いこと、「経済植民地ではないから正常化するために対抗するしかないと思っている人も多くいる」と語った。重要なこととして、韓国市民の声は日本政府についての批判であり、平和を望む日本市民に対する批判ではないことを強調し、「東アジアの平和のために、すべての市民が一緒に手を握ってつながっていかなければならないことを韓国の市民はよく知っている。今こそ市民が連帯して一緒に同じ声を出さなければならない」と語った。

 

 コスタリカのロニー・バルガス・ビジャロボス氏は、スペイン語圏の人人と話をするなかで、「戦争を終わらせるために原爆投下は必要だった」など間違った情報が多いことに気づき、広島に来て学んでいると語った。原爆と戦争展のパネルと冊子はわかりやすく、見るたびに新しい発見があるとのべた。コスタリカは軍隊のない国として原水爆禁止運動のサポーターであり、2017年に国連で核兵器禁止条約を提案したことにふれ、「本当に大切なのは、原子爆弾の力を使っているロシアやアメリカなど強い国国に対して、小さい国でも力を合わせれば圧力をかけてバカなことをやめさせることができる世界を目指すことだ。文化が違っても目標は同じだ。原子爆弾だけでなく紛争も戦争もマフィアもない優しい世界を目指そう」と呼びかけた。

 

 海外からの連帯を呼びかける発言に、会場は大きな拍手に包まれた。

 

 最後に会場の平場から被爆二世の女性と英訳ボランティアをしている女性が発言した。被爆二世の女性は、父方、母方の祖父がともに被爆した経験に加え、夫も被爆者であり、55歳のときにガンになって8年間の闘病を経て亡くなったことを語った。「夫が亡くなる3日前に“戦争さえなければ”といった」こと、庭に被曝線量を測ることができるツユクサを植えていたことを知り、「戦後64年たち、平和ななかで、夫は戦争や放射能の怖さを感じながら亡くなったのだと思い、勉強を始めた」とのべ、二世、三世とともに活動を続ける決意をのべた。

 

 英訳ボランティアをしている女性は、平和公園での街頭展示を通してアメリカ人が「自分の国のことだが、広島に来て初めて本当のことを知った」など衝撃を受けて感想を寄せていることなど反応を紹介し、ボランティアとして海外と広島をつなぐ役割を果たす意欲を語った。

 

 集会の最後に集会宣言が提案され、採択された。集会後のデモ行進では全参加者で峠三吉の「序」の群読やシュプレヒコールをおこなった。沿道では広島市民が内容に耳を傾け、拍手をするなど温かい声援が送られた。

 

峠三吉の詩『序』を群読して歩く子どもたち

 

 

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