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やまゆり園殺傷事件 障害者抹殺する気狂い沙汰

支配者イデオロギーの浸透 優生学を真に受け自己を正当化

 19人が死亡し、26人が重傷を負った相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件が世間を震撼させている。中東や欧米のように植民地支配への抵抗や宗教的な矛盾を背景にしたテロとは無縁だった日本国内で、それとはまるで別次元で、肉体的に圧倒的な力を持つ健常者たる20代の青年が、社会的弱者である無抵抗の知的障害者を次次とナイフで襲い、平然とその生命を殺めていった。今回の事件は、これまでくり返されてきた「誰でもよかった」という無差別大量殺人とは性質が異なり、「生きていても意味がない障害者」を殺傷することは「日本国と世界のため」として明確に標的を定めたものだった。こうした身勝手で狂暴な犯行について、「大麻に溺れた精神異常者が引き起こした」で済ますことができないのは、際限のない弱者切り捨てが横行し、強烈に自己責任、自助努力を強いる社会構造にあって、障害者や老人、あるいは貧困層をお荷物と見なす支配の側のイデオロギーが浸透していることである。成り上がり思考のネトウヨ的傾向の若者が、支配者イデオロギーの側から上から目線で弱者を侮蔑し、「安倍晋三様にお伝えください」と重ね重ね手紙をしたためて犯行に及んでいたことは、この相関関係を鮮明に物語っている。戦後最悪の大量殺人事件はなぜ起きたのか、社会的要因も含めて解明することが迫られている。
 犯人の植松聖(26歳)は教師をしていた父親の影響から、みずからも小学校の教員を目指して大学に進学したが、エスカレーター式に教員になることができず、卒業後は運送業など複数の職場を転転とした末に、今回事件を引き起こした「津久井やまゆり園」に就職することになったとされている。園から500㍍ほどの距離にある自宅には植松聖だけが暮らし、3~4年ほど前に両親は息子を一人残してよそへ移り住んでいったという。なぜ両親が出て行ったのかは明らかになっていないものの、出て行く前には大きな叫び声が周辺に聞こえ、母親が畳を叩いて泣き叫ぶ姿が目撃されるなど、家族間で何らかのトラブルがあったとされている。
 本人の人生設計では、大学で小学校教諭免許を取得し、津久井やまゆり園での経験を生かして特別支援学校の教員を目指していた、と衆議院議長宛ての手紙にしたためていた。しかし実際には挫折して、苦労の多い障害者施設のなかで心身ともに病んでいったことが浮き彫りになっている。津久井やまゆり園では、背中に刺青を入れていたことを注意されたり、「障害者って、生きている意味あるんですか?」などと同僚に話をもちかけて問題になったり、入所者に暴力を振るうなどさまざまなトラブルを引き起こしていたことも明らかになっている。
 そして今年2月に衆議院議長公邸を訪れ、「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」「障害者は不幸を作ることしかできません」「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」「世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います」などと記した手紙を警察官に手渡した。
 その手紙のなかでは、「全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました」などと記し、具体的な作戦内容として「職員の少ない夜勤に決行致します。重複障害者が多く在籍している二つの園(津久井やまゆり、○○○○)を標的とします。見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡をとれなくします。職員は絶対に傷つけず、速やかに作戦を実行します。二つの園260名を抹殺した後は自首します」と犯行声明に及んでいる。
 さらに要望として、医療大麻の導入、パチンコ廃止とカジノ設立、日本軍の設立、刺青を認めること等を求め、今回の犯行にあたっては逮捕後の監禁は最長で2年までとして、その後は自由な人生を送らせること、心神喪失による無罪判決を求め、新しい名前と本籍、運転免許証等の生活に必要な書類を用意し、美容整形によって自分を一般社会へ戻すこと、金銭的支援五億円を確約して欲しいなどと綴っている。最後に「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。日本国と世界平和の為に何卒よろしくお願い致します。想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております」と結んでいる。
 その後、「重度障害者を殺す」と同僚に話したことをきっかけに、施設が面談して本人に問うたが主張を肯定しておさまりがつかず、最終的に「自己都合」での解雇となっていた。同時に施設は警察に通報し、「他害の恐れがある」として強制的に措置入院となったが、二週間後の三月はじめには退院して無職として過ごしていた。犯行1カ月前には金髪にして、さらに一重だったまぶたを二重にして、鼻を高くしたり整形手術を施し、「自分にお金をかけて改造し、ロレックス化する」等等と友人に話していたことや、「オレは今年中に有名になる」「障害者は排除しなければならない」などと主張していたとされている。そして事件犯行後にはツイッターに「世界が平和になりますように。beautiful Japan!(美しい国、日本)」と投稿し、赤ネクタイと黒スーツ姿に着替えて、強ばった笑顔を浮かべた自撮り画像をアップしていた。

 衆院議長宛犯行声明 警察は警戒態勢とらず

 事件を通じて浮かび上がる大きな疑問は、まず第一に、衆議院議長宛の犯行声明を受けとっていながら、襲撃されるかもしれない津久井やまゆり園は国や警察等による警戒態勢がまったくとられておらず、植松聖は野放しにされていたことである。施設みずからが防犯カメラを複数台設置するなど自助努力に委ねられ、「470名を抹殺することができます!」と叫んでいる異常者の行動が、強制入院から退院した後も何ら拘束されることはなかった。その結果、「夜中に襲撃する」の犯行声明通り凶行に及び、50分間もの時間をかけて45人を殺傷して、正面玄関から悠々と逃げていった。権力機構による防御措置はまるでなかった。学校や役所の爆破予告にあれほど過剰反応するのと比較しても、統治の側が全力を挙げて守るべき生命と見なしていなかったことをはからずも暴露した。
 さらに解明されるべきは植松聖の心象世界である。事件は単純に「大麻常習者による気狂い沙汰」などではない。送検の際に見せた異常な笑みも含めて、障害者の生命を殺めた行為について何ら悪びれていないことが重大な特徴である。また、前述の衆議院議長宛の手紙に記している感情世界から伝わってくるのは、大島理森をはじめとした自民党政治家や安倍晋三を尊敬する対象、自己の主張を理解するであろう味方と見なし、首相や右派勢力のツイッターを日頃からフォローして心酔していたこと、志を同じくする者の端くれとして正義の行動に決起するのだから、その後別人として生きていく自分の社会的身分を保障し、何なら五億円の報酬をくれという論理である。
 支離滅裂な文章のなかでも、その点だけははっきりとした輪郭を持っており、「安倍晋三様にお伝えください」から犯行後の「beautiful Japan!(美しい国、日本)」へと矛盾なく完結しているのである。「お国のために」知的障害者を大量殺人するのだから正義だという自己肯定にほかならない。
 障害者だけでなく、老人や貧困層をお荷物扱いするイデオロギーが社会的に跋扈(ばっこ)して久しい。石原慎太郎がかつて障害者施設を訪問した際に、「ああいう人ってのは人格があるのかね」「ああいう問題って、安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」とのべて社会問題になったが、「障害者は生きていても意味がない」「障害者は税金がかかる」という支配の側の本音が破れ口からあふれ出て、同じように麻生太郎が老人に対して「いつまで生きているつもりだ」とのべたり、「社会保障にカネばかりかかって足かせになる」というような意見を臆面もなく口にするようになった。貧困層についても竹中平蔵が「みなさんには貧しくなる自由がある」「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ一つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と放言してはばからない。
 社会全体が市場原理に基づいて大企業天国化するのとセットで、富める者はますます富み、その側からなぜ社会の「お荷物」に国家がカネをかけて面倒を見なければならないのかというようなイデオロギーがあらわれている。富裕層や大企業、金融資本は優遇税制や諸諸の社会的規制緩和による利潤獲得が保障され、その強烈な搾取のもとで大量に生み出される貧乏人には自助努力、自己責任といって税負担増大や社会保障はぎとりが横行する。ダブルスタンダードにもかかわらず、「国民を養うためになぜ法人税を出さなければならないのか」とタックスヘイブンに利益を逃がす脱税も当然の社会になった。
 問題は、そうした支配の側のイデオロギーを、障害者施設で挫折したであろう屈折した感情を抱いている若者が真に受けて、他者を攻撃する側から曲解し、障害者を殺める理由として正当化して、大量殺人事件まで犯す異常性である。その成長過程を通じて、どの側から世の中を見るのか、支配の側に身を置くのか、虐げられている者の側に身を置くのか、誰に対して心を寄せ、生きる指針としているのかの境界線は曖昧にはできない。決して普遍的なものではないが、近年の「殺してみたかった」や「誰でもよかった」の暴発と共通するのは、こうした自己中心的イデオロギーの根底に横たわっているのが、きわめて非力で軟弱な精神世界と動物的狂暴さの同居という点である。現実世界における敗北や苦難から観念的に逃避し、自己認識だけが誇大化して客観と現実が乖離(かいり)していく傾向、その弱さを努力して克服するというのではなく、崩壊した精神世界に他者を巻き込んで生命まで奪っていくという傍若無人さである。

 ナチスや米国が体現 他民族を侮蔑する思想

 歴史的には、障害者なり難病の患者を「生きる価値がない生命」として安楽死させたのはナチスだった。遺伝性疾患を持つ者がいかに民族に負担をかけているか、意味もなく国民の大事なカネを使う存在であるかを強調して、医学的理想主義の追求などといって真顔で殺処分した過去がある。「優越民族たるアーリア人種の純血保存のため」といって“劣等民族”絶滅を掲げ、囚人に各種の断種実験をおこなったのがアウシュヴィッツ収容所であった。そうしたナチスドイツの優生学研究を裏で熱烈に支持して資金援助していたのが米ロックフェラー財団だったのは有名な話だ。第二次大戦で黄色人種を殺戮しまくったのも、平然と人類の頭上に原爆を投げつけたのも、そのような特定民族に対する優越と他民族侮蔑の思想が根底にあった。
 支配の側にとって優生学は第二次大戦で終わりになったわけではない。ビル・ゲイツが人口を10~15%抑制するためにワクチンを開発するとぶち上げたり、当たり前の世界観として共有している者たちがいる。そして、世界的には人口が68億人から90億人へと爆発的に増大しようかという折りに、もっとも人口減少が著しいのが日本社会で、民族消滅のような異常事態に直面している。障害者に限った話ではなく、為政者みずからが率先して国民生活を締め上げ、生命の再生産すら困難な状況を促進しているのが日本社会の現実である。
 障害を持った子どもを抱えた家族の苦労は例えようもないものがある。社会的には出生前診断などがおこなわれ、遺伝子工学やヒトゲノムの研究が進み、その倫理的な問題が大きな論争になっている。しかし、だからといって大量殺戮が正当化されるようなものではない。戦争や紛争が各地で勃発し、報復テロや無差別殺人が世界中で頻発するようになった。殺人狂が跋扈する時代にあってその端くれになって殺人者になるのか、生命を守り開く側に身を置くのか、イデオロギー上もせめぎあいが激烈になっていることを突きつけている。
 今回の事件はきわめて特異ではあるが、そのような社会的背景や影響と決して無縁ではないことをあらわしている。

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