いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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黙認されてきた「鬼畜の所業」 あまりに酷いジャニーズ問題 大手メディアも捜査機関も黙殺していた数百人規模の小児性犯罪

 大手芸能プロダクションのジャニーズにおいて、その経営トップに君臨していたジャニー喜多川が10代前半の青少年たちに手当たり次第に性加害を加えていたことが明るみになり、今になってジャニーズ所属タレントのCM起用打ち切り等々、スポンサーだった大企業も巻き込んで大騒ぎがくり広げられている。BBCが報道の口火を切り、国連機関まで介入してようやく明るみになった世界的に見ても前代未聞ともいえる小児性犯罪であるが、なぜこのような犯罪が国内的には誰からも黙殺されて隠蔽されてきたのか、メディアもどうして沈黙してきたのか、捜査機関は野放しにしてきたのか、大手プロダクションのトップだからといって周囲は怯え忖度したのか、検証すべき問題を多く含んでいる。日本社会が抱えてきた恥部としてあまりにも酷いので、記者たちで論議してみた。

 

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ジャニー喜多川

  再発防止特別チームの調査報告書で明らかにされている内容だけ見ても反吐が出るような行為ばかりで、やれ「肛門性交」とか「口腔性交」とか、とても紙面で見出しにはできないような文言の羅列で気持ち悪くなるほどだった。被害者の多くは10~13歳に集中していたようで、小学校5年から中学校1年生くらいのデビューを夢見るジャニーズジュニアの少年たちが餌食になっていたという。

 

 被害者の数は把握できていないが、「数百人規模に及ぶ」「4桁をこえるかも知れない」等々ともいわれている。それはもう、当事者をして認識できないほど誰彼構わず手当たり次第だったことの証左だろう。少年たちを自宅に住まわせていたというが、ハーレム状態で囲っていたということだ。なにが合宿所かと。言い方を変えればジャニー喜多川の少年男娼囲い部屋ではないか。まさに「鬼畜の所業」だ。規制もなく野放図にくり返されていたからこそ、被害者がそれだけの規模になっていると捉えるのが自然だ。

 

 B 男性でありながら男性を好むという点でセクシャルマイノリティーの分類で言えば「ゲイ」に該当するのだろうが、なおかつ小児性愛者だったことから10~13歳の少年たちに被害が集中したようだ。ゴールデンエイジといわれる成長期の子どもたちにあたる。子どもではあるが、幼さとともに大人びていく過程というか、両面を持ち合わせたような多感な時期の子どもたちにあたる。性的にも大人に一歩近づいていくような段階だ。どのような行為に及んでいたのかは、もうおぞましくて口にするのも嫌になるようなものだが、調査チームの報告で明らかになっているのも、恐らくそのごく一部なのだろう。少年たちの心に与えた傷たるや計り知れないものがある。

 

 C いきなりオッサンに犯されるなど想像するだけでも気持ち悪いものがある。しかし、デビューしてトップアイドルの地位に登りつめたいという夢を叶えるために、そんな鬼畜のお気に入りになるために、少年たちは耐えていたという構図だ。人権侵害どころではない性犯罪だ。夢を鼻先人参にして自らの性欲処理の餌食にしたのだ。ジャニー喜多川という特異な性的嗜好を持ち合わせた一人のゲイが、芸能プロダクションのトップという権威を利用して、子どもたちを男娼にして弄んでいた。拒めば冷や飯、受け入れればデビューさせてトップアイドルの地位に駆け上がる(とはいえ数百人のうちのごく一部に限られた)という歪な構造がある。なんだかイケメンのアイドルたちが歌ったり踊ったり華やかな世界に見えて、そういうとんでもない裏事情を抱えていたのだ。

 

 B だから、テレビ画面に出てくるジャニーズタレントを見る度に、視聴者としては「コイツもやられた口だろうか…」とどうしても色眼鏡で見てしまう。「国民的アイドル」なんて持て囃されていたSMAPも、TOKIOも、嵐も、キンキも、V6も、みんな「鬼畜にやられた男たち」に思えて仕方がない。いまや、そんな彼らもアイドルとしてチヤホヤされる年代は過ぎ去っておじさんになったわけで、アイドルという生業もまた賞味期限付きで酷なものだと感じさせる。ジャニー喜多川にまずは消費され、大衆からも消費される見世物稼業ではある。ある種の商品であり、消費材のようにも見える。

 

  ジャニー喜多川のお別れ会で、長瀬智也が「あなたは地獄に行くでしょう」といい放ったのも、今になって考えると意味深だ。一方で現役のジャニーズタレントたちが一言も発しないことについて、「黙ってないで何とかいったらどうか」という意見もあるが、それは酷な話だろう。被害者にとってジャニー喜多川から弄ばれたことは“恥”であり、ファンや世間には絶対に知られたくない訳で、「わたしも被害にあっていました」とは口が裂けてもいえないものだろう。

 

 自身のブランドイメージも深く傷ついてアイドルや俳優としては傷物になることを意味する。世間は薄々感じつつも「あぁ、この子もやられていたんだ…」の視線が確定する。結婚したらファンが逃げるといって結婚すら御法度だったというが、事務所のボスに身体を差し出していたなど、それ以上にファンはどん引きする話だ。とはいえ、被害者が数百人規模にも及ぶのだから、ほぼほぼやられた口と見なされても仕方がない。お気に入りほどデビューさせてもらえたのだったらなおさらだ。

 

  今回、BBCの報道で世界的に知られ、国連まで介入するなかで無視できないまでにとりあげられたが、ジャニーズに限らず「芸能界なんてそんなもの」という意識は一般的にも存在する。どうせ芸能界なんて腐っているに違いないし、果たしてジャニーズに限った話なのか? と――。ただ、蓋を開けてみたら被害者が数百人規模というからビックリ仰天してしまって、こんなものがよくも黙殺されてきたものだと驚かされている。われわれは当事者でもない外野席だが、上沼恵美子が「大阪で芸人しているわたしですら知っていた」と暴露したように、芸能界ではそれは当たり前の話として知られていたのだ。世間の非常識ではあるが、芸能界では常識だったのだろう。

 

  れいわ新選組の山本太郎が街宣でジャニーズ問題についてどう思うか問われ、「芸能界のなかでは当たり前の話としてとり扱われてきました。普通に。だけどまあ、なんていえばいいのか、芸能界の中にいたら普通の話です。男性のそういうパターンというのはあんまり限られているというか、ジャニーズ系に限られているけども、結構女性でそういう目にあったという話は聞きます。ある意味での枕営業であったりというのは、全員ではないですし人によるんだろうけど、そういうものは確かにあって、それがあるって知らなかったっていうような芸能人はほぼいないと思います。はっきりいっちゃえば。そうやって性搾取をしながら代わりに売ってやると、交換だということなんでしょうね。俺に認められればオマエ売れるよ、デビューするきっかけもあるし、オマエ有名になりたいのかっていうことと引き換えに――。やっぱり酷い話ですよね。酷い話だけど、当たり前の話として、芸能界ではこれは知らないって人はほぼいないんじゃないですか。そう思います」と見解をのべていた。芸能界の中にいた者としての実感なのだろう。

 

 そして、「わたしたちはこれを伝えてきませんでした――みたいなことをマスコミはいっているけど、まあ、そうだろうなと思います。そんなことを伝えたとしたら、ジャニーズからもう出入り禁止になるもんね、そのテレビ局、みたいな――。それが一番怖いからジャニーズのことのみならず、大手の事務所からのいろんなパワーバランスで、オマエ何や? コイツ出さへんのやったら、うちのコイツは出さへんぞとか――。ある意味、政治力って国会の中だけにあるんじゃなくて、芸能界の中にもありますもんね。すげえ世界ですよ。それをこえるのが国会ですけど、もうハラスメントのツインピークスとわたしは呼んでますけれども、その山の頂を目指しているのが本当に恐ろしい話ではありますけれど、だからそういうようなある意味で人の夢というものにつけ込んで、少年少女たちがそういう目に遭うっていうのは、ちょっと許せない部分もありますけれど、そういう感覚をわたし自身が持てたっていうのは、やっぱり政治に目が向いてからです。そこに対してそんなのおかしいだろ! っていうのは、当時の自分には芽生えなかった。ようやるわっていう気持ちぐらいしかなかったかもしれない。そういったものを黙認してきた一人にわたしもカウントされるのかも知れません」と話していた。それが正直な実感なのだろう。

 

  芸能界ではジャニーズというのはそういうものという扱いがなされてきたし、ジャニーズに限らず、誰もが知っていながら普通にあり得る慣習として野放しにされていたということだろう。スポンサーの経済界、政界だって無関係ではないだろう。自民党からピークを過ぎたアイドルとかがいきなり政治家としてセカンドライフを開始したりするが、これだってどうなってんの? とは思う。

 

 随分前になるが、安倍派の地元後援会幹部の重鎮が、「安倍晋太郎先生に東京に呼ばれて料亭に出向いたとき、先生が膝の上に扇千景(元女優)を抱きかかえていたことがあって驚いた」と昔話として話していたことがあった。そんな扇千景が清和会の政治家として登用されて衆院議長にまで登り詰めるのだから、まあ、そういうことなんだろう。

 

 権力者に可愛がられて成り上がる。その手段は芸能界であれ政界であれ様々なのだろう。女を食ったり、あるいは男を食ったり、一般人には想像も及ばないようなドロドロの世界があるのだろう。その一端がジャニー喜多川の「鬼畜の所業」だったに過ぎない。

 

ジャニー喜多川の性犯罪について記者会見をするジャニーズ事務所(7日、東京)

未成年への性犯罪 普通なら厳罰のはずが

 

  しかし今回の件で問題なのは、数百人にも及ぶほどの被害者がいながら、社会的にはまるで黙殺され続けてきたことだ。10人、20人でも大概な話だが、「数百人規模に及ぶ」というから異常極まりない。男色小児性愛者の鬼畜が金力や権力をかさに着て、ノーマークでやりたい放題していたのだ。以前から『文春』がたまにチクリと暴露したり、あるいは村西とおるがフォーリーブスのメンバーとともに告発動画を作ったりしていたとはいえ、大手メディアはこぞって黙殺を貫いてきた。白々しい嘘やずるい黙殺によってかき消してきた。ジャニーズという大手芸能プロダクションで、絶大な権力を持っていたからこそ握りつぶしてきたし、周囲からも当たらず障らずで黙殺されてきた訳だ。そこには悪しき慣習ともいえる忖度が働いているし、上級国民ならこうした前代未聞の小児性犯罪すら見過ごしてもらえるという現実がある。

 

  数百人規模にも被害者が膨らんでいるような小児性犯罪の場合、捜査機関に何らの情報も入らないなど通常では考えられない。数百人のうち、辛かったり怖かったりして親に訴えた少年たちだって相当数いたはずだ。数百人の被害者みんなが誰にもいえず胸の内に秘めていた――などあり得ない。親としては聞きつけたが最後、ジャニーズに怒鳴り込んだ人だっているだろうし、捜査機関に訴えた人だっていただろう。必ずジャニーズ外の周囲に洩れる話であり、刑事事件として摘発しなければならない案件だ。しかし、長年にわたってなんらの措置もとられなかった。要は動かなかったし黙認してきたということだ。

 

 未成年への性犯罪は通常であれば厳しくとり締まられる。変態教師が一発退場になったり、一度犯罪歴がつくと教職に立てなくなるほど厳罰化もされている。数百人規模にも及ぶほど少年たちを餌食にしている小児性犯罪者など、捜査機関としては把握できない訳がないのだ。TOKIOの山口達也はそれで一発で退場させられた。芸人の極楽とんぼの片側もそれで一発退場だ。

 

 ところが、数百人規模に及ぶほど未成年を弄んでいた鬼畜は、芸能界のドンみたくプロダクションのトップに君臨して、メディアも恐れてスルーしてしまい、捜査機関も見て見ぬふりをして、これは野放しにされていた。「ジャニー喜多川は小児性愛者のゲイで、ジャニーズはそういうところ――」 として。どういうことかと思う。今になって驚いたような顔をしてメディアが 「なぜわたしたちは報道しなかったのでしょうか」 などと自主検証もどきの番組をやっているが、白々しさしか感じない。

 

メディアは支配の道具 思考力を奪う3S政策

 

  ジャニーズ所属のタレントが、いまやテレビ番組に出てない方が少ないのではないかと思うほどメディアをジャックしてしまい、吉本興業とジャニーズで埋め尽くされているかのようだ。これらが、通常の番組だけでなく、五輪であったり各種のW杯であったりのイベントになると大会アンバサダーみたいなものを任され、お茶の間を沸かすキャラクターとして使われている。「国民的人気」なるものはプロモーションによって作られたものに過ぎない。

 

 メディアとは、端的にいえば支配の道具であり、世論操作の道具にもなり、電通支配が暴露されているように電通が最上段に君臨し、経済界がスポンサーとして膨大なカネを注ぎ込んでその運営がまかなわれている。その駒としてジャニーズなり吉本芸人たちが飛んだり跳ねたりしている関係だ。駒の供給元であるジャニーズの醜聞には目をつむり、メディアも相互依存で馴れ合っていたのだ。

 

  本来、こういった芸能界の醜聞そのものが、時の政治経済の重大な動きから視線をそらすフェイクとして利用されるという側面もある。それだけでなく、オリンピック、サッカーのW杯、最近でもバスケ、ラグビー、バレーといった世界大会などがある度に国民的熱狂を作り出すというか、そっちに視線を釘付けにさせて他のことを忘れさせたりする役割を果たしたりもする。それは「パンとサーカス」でいうところのサーカスであり、大衆的視線をそっちに釘付けにしているもとで、実は裏側では政治経済を巡るたいへんな政策を動かしていたりする。そういったやり方は為政者の常套手段だ。

 

 スクリーン、スポーツ、セックスの3S政策というのがあって、支配の側は意識的にやってきたことだ。一言でいえば愚民化政策で、メディアを通じてスクリーンにはバカみたいな番組ばかり垂れ流して文字通りバカを量産するとか、芸能に熱中させたりする。スポーツや性欲もしかり。応援ウェーイ! とか、桃色の色ボケ量産とか。そうして、物事を深く考えたり知性を育んだりすることなく、何も考えないで日々を暮らし、支配の枠内で従順に生きていくような人間を為政者は求める。そうした3Sの小道具としてジャニーズも存在し、多少のことには目をつむる的なものが働いていたとしか考えられない。数百人規模に及ぶ小児性犯罪は決して「多少のこと」ではないのだが…。芸能を通じた目くらましの小道具製造機関なのだ。

 

  ジャニーズでいえば、子どもの頃は年上のお兄さんたちが「きんぴらゴボウに味噌汁~♪ それがオ~レの朝飯~♪」なんて近藤真彦の替え歌を歌っていたり、光GENJIに影響されて小学生たちはローラースケートに夢中になったり、女子はいまでいう推しを見つけてキャーキャーしていたり、振り返ってみると子どもの頃からメディアを通じてその存在が刷り込まれていた感がある。ロンダードやバク転に憧れて、小学校高学年男子たちは砂場でよく練習していたものだ。

 

  世の中の女の子たちがジャニーズのイケメンたちにキーキーキャーキャーと黄色い声援を送り、ファンクラブに入って推し活をしたり、グッズを買ったり、コンサートに出かけたり、消費行動に駆り立ててカモにすると同時に、そういった対象を夢中にさせて世の不条理であったり、社会的な問題を論理的に考えて行動するといった思考を奪う「サーカス」でもある。要はめくらまし。ジャニーズとは逆に、男の子たちにはAKBとかをあてがうといった調子なのだ。芸能人とは支配の大きな枠組みのなかで見たら、そういった「サーカス」の道具にほかならない。

 

 大手芸能プロダクションの創設者というのは、少なからぬ面々が戦後進駐軍が乗り込んできた時期に米軍キャンプに出入りしていたとかのエピソードがあるが、その後のテレビ放送が始まっていく過程で出来上がった愚民化政策のための貴重な人材輩出機関として芸能事務所が登用され、金力や権力をつかんでいったという。メディアを支配する電通といっても満鉄調査部の人材をそっくり引きとった受け皿みたいな企業だ。こうしたメディア、芸能といった世界の薄汚い実態のごく一部を映し出したのが、今回のジャニーズ問題だろう。それはほんとうに、一般人からすると信じがたいものだが、その世界では「普通」なのだ。ジャニーズが潰れようが生き延びようが知ったことではないが、なぜこのような前代未聞の小児性犯罪が黙認されてきたのかという構造については曖昧にできない。

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