いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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ペンタゴン下請けのメディア 大本営発表から変わらぬ体質見せるウクライナ報道 反省なき戦後出発から今日に

 ウクライナとロシアの戦争をめぐるメディア報道が画一化し、その情報源が戦争の一方の当事者であるウクライナ当局または米国当局発表に偏り、客観性や中立性、冷静さを失った扇情的プロパガンダに染まっている。日本でもNHKから民放、各新聞社に至るまでロシア(プーチン)悪玉論に染まり、ウクライナ擁護、さらには「ウクライナ支援」と称して武器供与を継続する米国側に与した論調で埋め尽くされ、紛争の原因を解き明かし、双方の主張から妥協点を探り出して早期停戦を促そうとする意見は「侵略を肯定するもの」と見なして排斥される。その熱狂に染まった世論操作は、第三者としての冷静な視点を奪い、日本政府による対ロ経済制裁やウクライナへの装備品供与、隣国との緊張を煽って改憲、軍備拡張へと舵を切ることをバックアップしている。それはかつての戦争で国民を破滅の道へと導いた大本営発表(戦時報道)を彷彿とさせており、不偏不党や中立報道を装いながら、ふたたび日本を戦争へと誘導する商業メディアの姿を浮き彫りにしている。

 

まったく同じ見出しが並ぶ大手紙のウクライナ報道(5月10日付)

 

停戦促す世論形成を阻害

 

 現代の戦争は、戦闘現場での実戦だけでなく、情報(認知)戦による世論操作が重要な位置を占める「ハイブリッド戦争」といわれ、国家機関に加え、国家や政府をクライアントとする広告代理店(PR会社)が介在し、メディア網、SNSやYouTubeなどのインターネットを駆使した世論形成が第二の戦場となっている。手法こそ進化しているものの、これら情報操作による世論のコントロールが、休戦や停戦に向かわせるか、戦争を長期化させるかという政策判断を大きく左右することは今も昔も変わらない。

 

 とくに今回の戦争は、直接的な交戦国はロシアとウクライナだが、ウクライナ側には正規軍こそ出さないものの、アメリカや欧州諸国が最新兵器を含む膨大な武器や弾薬を供給し、民間軍事会社や傭兵部隊がウクライナ軍の一員として戦闘に加わっている。なかでも停戦仲介をせずに戦争長期化を示唆しているバイデン米政府は、大統領自身が「プーチンは悪魔」とし、権力の座から引きずり降ろすことにまで言及しており、ウクライナ戦争は欧州の権益をめぐる米露の代理戦争の様相を帯びている。

 

 ウクライナの軍事顧問はアメリカであり、一般にウクライナ軍といっても正規軍、地域防衛、私兵、傭兵部隊が混交し、中央集権的な参謀組織が存在しないことが指摘されている。停戦合意の如何は、ウクライナ当局というよりも、その背後にいるアメリカ政府の意向が強く反映する関係にある。ゼレンスキー政府の後見役のような立場で国際的な対ロ非難や経済制裁の音頭をとっている米英政府は、「自由と民主主義vs.悪魔化した専制主義」「主権のために戦う独立国vs.それを脅かす侵略者」といった図式でキャンペーンを張りめぐらし、踏み絵のように「どちらに味方するのか?」を他国に迫る一方で、停戦交渉には否定的な姿勢をとりつづけている。

 

 それは、ウクライナを矢面に立たせながら、ロシア(プーチン政権)の弱体化を図る意図を背景にしており、「ウクライナ支援」としておこなわれる施策の多くはウクライナの人々の生命や主権の保護のためにおこなわれているとはいえない。戦争による直接被害が及ばない米英側は、武器供与によって高額な兵器が飛ぶように売れる米レイセオンやロッキード、英BAEシステムズなどの軍需産業の株価は軒並み上昇し、ロシア産原油や天然ガスを禁輸することでアメリカのシェールガスの相場が上がるなど戦争特需の恩恵を受けており、それはエネルギーや食料価格の上昇をもたらし、途上国をはじめ米欧側の人々にも大きな打撃を与えている。

 

 ウクライナ危機は、2月24日のロシアによる軍事侵攻から突如として始まったものではなく、アメリカの資金・武器支援によっておこなわれた2014年のマイダン革命(クーデター)、それ以降8年にわたって続いてきた東部ドンバスでの内戦(親ロシア地域へのウクライナ政府による民間居住区への爆撃)や、ロシア系住民への迫害、さらには対ロ軍事包囲網であるNATOの東方拡大、ウクライナの軍事拠点化など、隣国ロシアにとって無視できない欧米による一方的な対ロ政策がくり広げられてきたことの延長線上にある。

 

 それはソ連崩壊から30年の間にくり広げられてきた米ロ矛盾と無関係に考えるわけにはいかず、ロシアによる軍事侵攻とともに、戦争を回避する措置をとらず、背後から軍事挑発をし続け、あげくはウクライナの人々を犠牲にしながら代理戦争をおこなわせ、その戦争特需に沸いている側にも非難の矛先が向けられなければ、戦争終結には向かいようがない。

 

 ところが「第三者」であるはずの日本のメディアは、片側のプロパガンダに与し、ウクライナ軍の砲撃か、ロシア軍によるものかも定かではないものについても、すべて「ロシア軍の攻撃」「ジェノサイド(大量虐殺)」として扇情的な報道をくり広げている。真偽が定かでないものをセンセーショナルに報道することで人々の敵愾心を煽り立て、片方のより悲惨な攻撃を正当化する。それは「暴支膺懲(横暴な中国を懲らしめよ)」といって、日中戦争から太平洋戦争にまで国民を動員した大本営発表を彷彿とさせるとともに、現代ではすっかりペンタゴンの下請けと化したメディアの本質を浮き彫りにしている。

 

日中戦争前夜 「暴支膺懲」で言論統制

 

 戦前から戦後にかけて、国民にとって主要な情報源は『朝日』『毎日』『読売』などの商業新聞であった。なぜあの戦争を食い止めることができなかったか、ということを考えるとき、軍隊、警察、裁判所、官僚機構など、天皇を頂点とする軍国主義国家の強権とともに、メディアによる国民への洗脳や宣伝、言論統制を抜きに考えることはできないというのは、戦争体験者の共通した実感だ。

 

 戦争体験者の多くが「気がついたら戦争だった」「メディアに叩かれて、自由にものがいえなくなっていった」と語るように、満州事変以来、太平洋戦争に突入し、そして無残な敗戦を迎えるまで、大新聞をはじめとするメディアは、あたかも客観報道であるかのようにを見せかけつつ、戦争遂行に都合のいい情報操作をおこなって、国民のなかに流れている真の世論をかき消した。

 

 1931(昭和6)年、日本は満州事変を引き起こして中国への侵略戦争を開始し、1937(昭和12)年には日中全面戦争へと拡大したが、これが「侵略」と認定されたのは戦後のことであり、それまで大新聞をはじめとするメディアは「非道な中国の攻撃に対する自衛権の行使」の大合唱をおこなって国内の反戦世論を統制した。

 

 満州事変が勃発する1931(昭和6)年当時、日本は日露戦争でロシアから得た権益を守るため中国東北部に軍を駐留させ、満鉄をはじめ半官半民会社の進出を促し、『商祖権』の名目で25万町歩に及ぶ土地を買収するなど植民地支配を拡大させていた。これを「国土略奪」として反発する中国の抗日世論を抑えつけるため、日本企業や邦人を「保護」するためとして次々に軍隊を送り込んだ。

 

 そして同年9月18日、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近で満鉄線路の爆破事件を「支那(中国側)のしわざ」とし、以後15年にわたる中国との戦争へと突入した。

 

 この事件は日本軍によるでっちあげであったが、国内で発行された新聞では、「暴戻なる支那兵が満鉄駅を爆破し、我守備兵を襲撃したので我守備隊が応戦」「日本軍は奉天居住邦人の安全を期するため奉天城内のみならず城外にも兵を進め…支那軍の東大営も攻撃する方針を決定した」とセンセーショナルに報じ、「日支兵衝突交戦中/東北軍の殲滅を期す」「城内の居住邦人は付属地への避難不可能」「激戦で我兵一九名戦死/負傷者二十二名を出す」(『大阪朝日』)などの見出しが躍った。

 

 当時の『大阪朝日』の社説「日支兵の衝突」では、「曲(不正義)は彼れ(中国側)にあり、しかも数百名兵士の一団となっての所業なれば、計画的破壊行為とせねばならぬ。断じて許すべきでない」「わが守備隊が直ちにこれを排撃手段に出たことは、当然の緊急処置といわねばならぬ」と日本軍の正当性を主張。さらに、それまで満州では中国の「馬賊・匪賊」などの「ほとんど人類と認めがたき野獣の被害」を受け、日本側は「やむをえず在留邦人の生命財産保護にも自衛の施設」をつくるなど、堪え忍びながら「交通機関の保護」や「両国民のため治安維持」にあたってきたが、「世界交通路の一大幹線(満鉄)を破壊するの暴挙」は分秒も許しがたく、「破壊者の排撃を敢行したのは蓋し当然の措置」であるとくり返し強調している。

 

 「証拠は歴然! 支那兵の満鉄爆破」とする現地特派員のルポ(『大阪朝日』)では、「散乱するレールや枕木・逃走の足跡を示す血痕・我兵に撃たれた三つの死体」などが、関東軍の「支那によるテロ行為」という証言を裏付けるものとして、まことしやかに描写されている。これらがすべて日本軍による自作自演であり、それを政府もマスコミもみな知っていたことは、戦後明らかにされたことである。

 

満州での中国軍の非道を報じる当時の『大阪朝日新聞』(昭和12年8月11日付)

 そして、「満州事変」から6年後の1937(昭和12)年7月7日、義和団事件を契機に5000人の兵員を駐屯させていた日本軍が北京郊外で夜間演習中、「一発の銃声」から盧溝橋事件が勃発し、これを理由に日本は中国との全面戦争に突入する。このときも新聞各社は、事件発生と同時に政府と歩調を合わせて「暴支膺懲(横暴な中国を懲らしめよ)」の一大キャンペーンを開始し、徹底して排外主義を煽り立てた。

 

 1937年7月7日に起こった盧溝橋事件は、日本軍が北京郊外で夜間演習をしていたとき、一人の兵隊が行方不明になったため夜間捜索していると銃声がしたというものだった。続いて、日本が抱えていた中国人保安隊が反乱を起こし、日本人居留民260人を殺害する事件(通州事件)が起こる。

 

 当時の近衛文麿首相は、通州における事件を「神人ともに許せざる残虐事件」といい、「中国側が帝国(日本)を軽侮し不法・暴戻に至り、中国全土の日本人居留民の生命財産を脅かすに及んでは、帝国としてはもはや隠忍の限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し、南京政府の反省を促すため、断固たる措置をとらざるを得ない」といって、「国民政府(中国)を対手(あいて)とせず」とする声明を発表して「暴支膺懲」を宣言した。

 

 この世論扇動の主力となった大新聞は大本営発表に終始し、国民には本当のことを知らせなかった。当時、『朝日新聞』は政府に先駆けて「暴支膺懲」の論調を張り、「陸戦隊宮崎一等水兵(盧溝橋事件のさい行方不明とされた兵士)は規定の門限たる七月二五日午前六時一五分までには遂に姿を見せず、いよいよ支那(中国)人に拉致されたこと確実と見られるに至った」という記事を載せた。

 

連日中国側の「非道」のみを報道し、「暴支膺懲」を煽った『大阪朝日新聞』(昭和12年8月15日付)

 「恨み深し! 通州暴虐の全貌」という天津からの特派員電では、「天津にいた支那人の保安隊が突如鬼畜と化し、日本家屋は一つのこらず滅茶苦茶に荒らされて無惨な死体が雨に当たり散乱し、身体の各所を青龍刀で抉られ可憐な子ども、幼児迄も多数純真な生命を奪われている」(ともに『東京朝日』)という記事を掲載して敵愾心を煽った。また「邦人大量虐殺の陰謀」という記事で、3000人の支那兵が天津の邦人1万5000人を虐殺するという「恐るべき計画」を報じるなどして世論を扇動したが、これもまたでっちあげであったことが戦後に明らかになっている。

 

 当時の新聞の見出しを見ると、「血迷った支那兵が発砲」「挑戦する支那・誓約を無視」「南京政府・和平の意思なし」「狡猾極まる態度」「支那軍また不法」「支那軍・不遜行為を繰返す」「不法支那軍反省せず」「嘘つき支那厳重監視」「支那自ら蹂躙し挑戦」「反省の色なき支那」「暴戻支那軍膺懲に三度交戦」「仮面下に爪を磨ぐ支那」などの文言で埋め尽くされている。

 

 これらの好戦的で非人道的な中国に対して「忍従に忍従を重ねた」うえで、「主権を守るため」「邦人の生命や財産を守るため」にやむなく交戦に踏み切ったのであり、これに反対することは非道な中国側に与する「非国民」だという論調で言論統制を敷いていった。

 

 それは国内における血生臭い言論弾圧につながり、果ては日本中を焦土にした本土空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下という凄惨な末路に国民を引きずり込み、アジアをはじめとする周辺国にも拭いがたい禍根を残したことはいうまでもない。

 

戦後は米国に投機 ペンタゴン発表の受け売り

 

 戦後、このような大本営発表で世論を操作し、言論統制を推進した大新聞をはじめとする主要メディアは「軍の圧力に屈せざるを得なかった」「国民世論がそれを望んだ」「一億総懺悔」などといって国民に責任を押しつける有り様であった。大本営に関わっていた張本人でもあった朝日新聞の緒方竹虎や読売新聞の正力松太郎などは、その後戦争責任を問われるわけでもなく、戦後はCIAのエージェントとして日本の大新聞及び政界で実権を握り続けた。名ばかりの「財閥解体」とも待遇は異なり、メディアは解体されることもなく(ドイツでは大新聞は解体された)首をつなぎ、今度はアメリカの対日支配の協力者として息を吹き返して今日に至っている。

 

 メディアを牛耳る電通とて、対中国侵略支配の先兵であった満鉄調査部員の受け入れ企業として戦後の歩みを開始し、今日では広告収入その他で隠然とした力を振るい、メディアの電通支配が叫ばれるまでになった。

 

 あの戦争から77年を経た現在、かつての大本営発表はペンタゴン発表の受け売りへと移っただけで、「昔天皇、今アメリカ」と仕える相手が変わっただけに過ぎない。国民に塗炭の苦しみを強いたあの戦争で、大嘘のプロパガンダで世論を染めた連中は反省もなく次なる支配者たるアメリカに身を売り、植民地支配の協力者となって今日に至っている。そこには大本営に与した反省などなく、首をつないでくれた米支配層への感謝が戦後出発なのである。

 

 イラク戦争、アフガン侵攻、今日のウクライナ情勢など、すべてアメリカの側から物事を捉え、その利益の側から扇情的に煽る報道は、それ自体偏向報道以外のなにものでもない。これらの戦争報道には常にアメリカの広告代理店(PR企業)が介在し、「背景や歴史的な経緯は伝えるな」「悲惨な事実をキャッチコピーを用いて可能な限りセンセーショナルに伝えろ」などのマニュアルにもとづいてメッセージのマーケティングがおこなわれ、大手メディアは湾岸戦争におけるナイラ証言(在米クェート大使の娘を使った虚偽証言)、イラク戦争におけるフセインの大量破壊兵器保持の嘘など、これらのキャンペーンに乗って大々的に虚偽情報を垂れ流し、アメリカの戦争正当化を後押しした。一連のウクライナを巡る報道は、メディアは誰の為に何の為に存在し、機能しているのかを考えさせると同時に、大メディアの役割は昔も今もなんら変わっていないことを浮き彫りにしている。

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この記事へのコメント

  1. 池田孝之 says:

    全く同感です。どう表現したらよいのかわかりませんが、米欧は資本主義経済の末路をウクライナを使って延命させているとしか言いようがありません。米国は中国の政経の発展を恐れるあまり、難癖をつけるやり方を繰り広げていますが、意味不明です。まして日本においては、なぜ反中国なのか理解している方はほとんどいないのではないですか。日本は中国、ロシアに地政学的にも近い国であり、米国よりも良好な関係を築くよう努力すべきでしょう。そんなことすらわからないのが大メディアであり、馬鹿ぞろいの政界です。いつか来た道に戻らぬよう、貴紙のご健闘をお祈りします。

  2.  非常に素晴らしい記事!
     思うに、本邦は既に「戦後」が終わってしまっていて「戦中」体制にあると思う。実は、イラク派兵名古屋高裁違憲判決(確定)が示すように遅くとも21世紀の頭には、日本の「戦後」は終わって、新しい戦中に入っていたのだ。政府自民党らはそのことを明確にアナウンスすることなく、そもそも明確な自覚もなく日本社会を戦時体制に切り替えてきたのだ。
     日帝時代の記録を見ると、空襲の始まる1944年末まで本土民は”本当の戦争を知らなかった”という。蝗軍は外国で戦っていたので、本土民の8割がたは戦争が何たるかを経験したことがなく本当のところは知らなかったのだ。敗戦後の邦人が思い浮かべる戦争とは主として44年末以降の空襲や沖縄を含む植民地や占領地での敗北と「被害」の経験であった。だからもこうした過去とは違うので、すでに戦時体制に引きずり込まれてしまっていることを自覚できない。戦時体制を助長しているマスメディア他にも自覚はない。
     敗戦前の神懸った、独り善がりな日帝万歳はひどいものであったが、現在の「名誉NATO白人国」気取りの米帝万歳は最悪だ。何が悲しゅうて”紀元は2600年、神国日本”が、米帝のご都合の鉄砲玉に自らなり下がるのか!なんで米国版八紘一宇の「明白なる運命」実現のための走狗になり自滅を求めるのか?自民経団連他の支配階級には意味があるのだろうが、99%の平民には有害無益だ。日本人民は、飯をくわせてくれる中国他アジア等と結び日本から毟り取り侮辱する米系白人国の軛から脱するべし。

  3. 鈴木あや子 says:

    まったく同感です。未来のためにもしっかり物事を見、判断しどうしたらよいかを考えたいです。記事シェアさせていただきました。お断りしてなかったことお詫びします。

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