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『ルヴァンとパンとぼく』 著・甲田幹夫

 国産小麦にこだわり、添加物を入れず、自家培養発酵種のパンをつくり続けて35年の、パン屋のオーナーの自伝的エッセイである。パンづくりの現場のルポであり、パンをつうじてつながった人や自然、社会への問題提起でもある。

 

 パン屋「ルヴァン」は東京都渋谷区富ヶ谷と長野県上田市に店を出している。ルヴァンとはフランス語で種(パン種。酵母が生きている小麦粉の生地)のことだ。

 

 パン種をつくるには、レーズンを5~7日発酵させたエキスを小麦粉や水、塩と混ぜてこねる作業をさらに5~7日ほどくり返す。種は毎日使うから、使い切ってしまわないよう数日おきに培養する(種のかけ継ぎ)。製造のスタッフは毎朝5時に厨房に入り、種を確認し、かけ継ぎしてミキシングして成型してパンを焼くうち、あっという間に1日が終わる。パンづくりの全行程でコツは温度と湿度だそうで、一次発酵のときの生地は25~26度で管理している。生地をしっかり膨らませ、おいしそうな焼き色をつけるためにも、窯には蒸気を十分入れることが必要だ。

 

 ルヴァンのパンがすべて国産小麦を使うのは、創業時からのポリシーだという。アメリカ産やカナダ産の硬質小麦を使った「製パン粉」は、グルテン(タンパク質)の量が多いので弾力があり、ふんわりと膨らむし、流通量も多いため入手しやすい。一方国産小麦は、繊細で生地がつながる力も弱く、コストも高いが、それで焼いたパンは小麦の香りも味わいもよく、飽きずに食べられ素朴でおいしい。それは「身土不二」の考え方にも沿っているし、グルテンによる小麦アレルギーの心配もない。そのパンをつくることで国産小麦を守ることにもつながる。それを続けるには農家との信頼と友情が不可欠なので、著者はスタッフとともにその無農薬・無化学肥料の農家のところに麦刈りなどに出掛けていく。

 

 店には一個ずつのパンもあるけれど、大きいパンを切り分けて、必要なだけ売る量り売りもやっている。その方が無駄がないし、一人でいろんな種類が食べたい人も、一切れずつ買うことができる。なにより大きく焼く方がパンもおいしいし、同じおいしさをみんなで共有することができる。おいしいものを分かち合うというのが、人と人とのコミュニケーションの一番楽しくて簡単な入り口だと、著者は強調している。

 

 パン屋の隣にはカフェもつくった。それは山登りのとき、見知らぬ者同士が一つの火を囲んで食事をともにし、旧知の仲間のように談笑するような場を提供したいとの思いからだ。それは思わぬとき力を発揮することになる。東日本大震災の当日、都心から黙々と歩いて帰る人が続出したその夜、ここが臨時の休憩場所になってたくさんの人でごった返し、お互いを元気づける場になった。

 

 著者は、自家培養の種のおもしろさは「多様性とその調和」にあるという。それは、ルヴァンのパン種にはパン酵母のほかに、酸味やうまみを出す乳酸菌など「この空間に棲むいろいろな友だち」が絶妙な割合で入っているという意味であり、同時に、人間と菌が共生できる環境こそが大切という意味である。さらにこの眼差しは人間と人間との関係にも及び、パン屋なのに「日本農業と食文化を守るためにおコメを食べよう」と訴えたり、被爆国の日本があれだけの原発事故を起こして、なぜその後も原発に依存するのか、自然への傲慢さを改めよ、との憤りにもなっているようだ。

 

 一度しかない人生、なにが人間にとって本当に大切なものかを、自己の経験をとおして若い人たちにさりげなく投げかけている。店とパンづくりに関連するカラー写真やイラストも多数収録。 

 

平凡社発行 B6判・172ページ 1800円+税

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