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大阪市の現役校長が市長に提言 豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために

 大阪市の市立木川南小学校の久保敬校長が17日、「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」という提言を大阪市・松井一郎市長にあてて送付した。大阪市では松井市長が3回目の緊急事態宣言発出にともない、全小・中学校でオンライン授業をおこなうことを突如発表。通信環境の整備なども十分練られないまま始まったことによって、学校現場は混乱を極めた。それに対し、現場から教育者が切実な声を発した提言の内容が注目されている。提言には、今回の場当たり的なオンライン学習の実態にとどまらず、コロナ禍以前から強まってきた首長主導による点数至上主義の教育のあり方そのものに疑問を呈し、本来あるべき教育や社会のあり方を提起している。

 

 大阪市の「オンライン学習」は、松井市長が突如宣言したことにより4月26日から始まった。コロナ禍で前倒しとなったGIGAスクール構想で、全国の小・中学校に1人1台端末が配備されたものの、環境整備や現場の十分な論議もない状況で進んでいるのは全国で共通した状況だ。そのなかで大阪市では現場の実情を無視して首長が教育行政に口をはさんだため混乱を引き起こした。

 

 小学校の場合、1、2時間目は自宅でオンライン学習をおこない、その後、学校に登校し、3、4時間目はプリント学習などの対面授業をおこない、給食を食べたあとは再び自宅に戻ってオンライン学習をするとした。ところがすべての小・中学校で毎日オンライン学習ができる通信環境は整備されていない。小学校の場合、各区ごとに週1回35分だけしか使用できない。

 

 「オンライン授業はできず自宅でプリント学習をやってくるように指導し、授業を午前中に4時間目までやって給食を食べて帰宅させている」「プリントを持って帰らせても家でできない子もいる。だが(子どもが学校に滞在する時間の制約もあり)学校できちんと学習を見ることができない。それを苦にして学校に行きたくないという子もいる。支援のいる子どもや変に真面目な子は、気になって学校を休みたいといっている。まったく現場無視、子どもの無視をやっている」「テレビなどでは大阪市はオンライン学習の環境が整っているようにいっているが、それは一部のモデル校だけ。GIGAスクール構想で1人1台のパソコンは配られたものの、通信環境が整っていないため蛇口だけあって水は使えないという状況」という。

 

 また小学校低学年の場合は、親がそばにいなければタブレットを起動させキーボードを扱ってオンラインの授業を受けることは難しく、働く親たちの負担も大きい。

 

 「教育委員会や教育長を飛び越えて、首長が教育行政に指示を出す。現状ではオンライン学習は無理だと現場はわかっていても、市長がやるといえばやらなければいけないという空気がある。それは本当におかしい」(市内の管理職)という声もある。大阪市では27日におこなわれる全国一斉学力テストを前に、24日の週からは通常学級に戻すことを発表した。

 

 大阪市では2012年に維新の会が中心となって成立させた「教育基本条例」以後、首長による教育への政治介入、校長、副校長、教員の人事や評価が徹底された。そして短期の間に明確な教育の成果をあげることが求められ、テストの1点、2点を追い求める競争が煽られるなかで、子どもも教師も疲弊させられてきた。

 

 今回、現役校長から発せられた市長宛の提言は、大阪の多くの教師や親たちの問題意識を反映したものとなっている。

 

◇---提言全文紹介---◇

 

大阪市長 松井一郎 様

 

 

 子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。

 

 学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。

 

 今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないかとの思いが胸をよぎる。持続可能な学校にするために、本当に大切なことだけを行う必要がある。特別な事業は要らない。学校の規模や状況に応じて均等に予算と人を分配すればよい。特別なことをやめれば、評価のための評価や、効果検証のための報告書やアンケートも必要なくなるはずだ。全国学力・学習状況調査も学力経年調査もその結果を分析した膨大な資料も要らない。それぞれの子どもたちが自ら「学び」に向かうためにどのような支援をすればいいかは、毎日、一緒に学習していればわかる話である。

 

 現在の「運営に関する計画」も、学校協議会も手続き的なことに時間と労力がかかるばかりで、学校教育をよりよくしていくために、大きな効果をもたらすものではない。地域や保護者と共に教育を進めていくもっとよりよい形があるはずだ。目標管理シートによる人事評価制度も、教職員のやる気を喚起し、教育を活性化するものとしては機能していない。

 

 また、コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う1人1台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることがないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場では今後の進展に危惧していた。3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。

 

 つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

 

 「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。世界の人々が連帯して、この地球規模の危機を乗り越えるために必要な力は、学力経年調査の平均点を1点あげることとは無関係である。全市共通目標が、いかに虚しく、わたしたちの教育への情熱を萎えさせるものか、想像していただきたい。

 

 子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ。テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか。

 

 あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

 

 間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない。

 

 「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

 

 コロナ禍の今、本当に子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障していくかは、難しい問題である。オンライン学習などICT機器を使った学習も教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、それが子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもたちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。

 

 根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。

 

 令和3(2021)年5月17日

 

       大阪市立木川南小学校  校 長  久保 敬

 

 

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