いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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文化・芸術論

著者:福田正義

発行:長周新聞社

B6判 223頁

価格:1,300円

福田正義評論集。創刊45周年記念出版。1、評論/エレンブルグの中篇『雪どけ』を巡って 他 2、映画評・書評など/人民生活の描写(映画『沙羅の花の峠』にこと寄せて)

(一部抜粋)

・思想の堕落    (1960年1月1日)

 わが国の芸術・文化が壊滅的打撃をうけた。というよりも、厳密にいえば壊滅したというのが正しい時期があった。それは、それほど遠いことではない。たったこのまえの戦争の時期であった。

 そのとき、思想の自由が奪われたのである。思想が権力によって圧迫されたのである。そして、多くの芸術家たちが、芸術家の名に価する思想の自由を保ち得ず、権力の要求に屈従し、権力にお追従をいい、阿諛し、迎合し、おべんちゃらをいい、あげくの果てはみずからをも欺き、まことしやかな顔をして、権力者の思想に自分の職人的技術をくっつけて、ただそれだけで芸術家であることをつづけているような錯覚におちいった。なんのため? かくも馬鹿馬鹿しいことが、なぜ、芸術を目指すものの上にあらわれたのか、戦争が終わってみると、一寸想像もつかないほどである。

 このことは、正しく見ておく必要がある。いまそのことを、わたしはここで厳密に検討しようというのではない。しかし、芸術家が芸術家ですらなくなり、世にも哀れな権力のチンドン屋となって、みずからを欺き他を欺いて犯罪を重ねた原因は、あれやこれやの要素や道行きを捨象してみれば、食べる生活と虚栄心の満足がほしかったただそれだけのことである。せめて、虚栄心なりとなければ、なにも芸術家でございといって、大嘘の小説を書いたり、絵を描いたりしなくとも、もっと他の手段もあったろう。しかし、もともと真実そのものを追求するということでなかったそのことが、きびしい事態にひきすえられてみると、いかんなく正体を暴露するということにならざるをえないし、なるべくしてそうなったということにしかすぎないのである。そういうことは芸術とはまるきり無縁のことである。途中からの堕落というような質的転移ではなく、はじめからまるきり無縁なのである。ただ、はじめのうちはわかりにくかったというだけのことである。

 この経験は軽軽しく見逃しておけることではない。

 「戦後民主主義」というふんわりした敗戦につづく状態のなかで、戦争と敗戦というきびしい歴史的現実、それにつづく新たなる時代へのきびしい態度のないままで、まるで温室の中で咲いたひ弱な花のような芸術・文化の運動が、いままた新たな試練に当面していることは注目に価する。

 戦後の芸術・文化の運動が、アメリカ的な商業主義に毒されていることはだれでも知っているところである。それは中央、地方を問わず、芸術・文化運動の純粋性をいちじるしく傷つけている。とくに商業主義マス・コミの金と売名を餌にした文化の愚弄が、地方における現実に立脚した芸術・文化の発展を妨げ、芸術・文化の仕事をする人たちのなかですら、反俗精神を失った商業主義追従をはびこらせているのである。したがって、芸術・文化の分野におけるアメリカ的商業主義とのたたかいはきわめて重要であり、芸術・文化の分野における思想の純潔性のためのたたかいがぬきさしならぬ課題となっている。文化運動の停滞をうち破ってゆく上で、この問題をよけることはできないし、あいまいな態度をとることは許されないのである。芸術・文化が多かれ少なかれアメリカ的商業主義の影響下にあることは、最も大きい問題の一つであろう。

 地方における芸術・文化の運動を高める上で、思想の自由-すなわち民主主義を守るたたかいがきわめて重要である。思想の自由というわかり切った初歩的な問題が、それとして自由が妨げられているという諸条件が、芸術・文化の開花をいためつけていることはいうまでもないが、芸術・文化の仕事にかかわるものが、みずからにたいして思想の自由を確保していないということは、はじめから問題にもなにもなったものではない。社会的現実といったところでレアリズムといったところで、しょせん現実が流動が激しくなればなるほど、現実から逃げまわらねばならないというチャップリンの喜劇を思わせる状態を現出せざるをえないのである。現実から逃れまわってなおどこかでレアリズムであろうなどというナンセンスがいま現実にあらわれているのである。それは果てしもない転落であり、敗走であり、精神の堕落であり、俗物への道である。

 このことは、過小に見ることはできない。ここ数年来、とくに昨年来の時代の波の激しい音の高鳴りのなかで、地方における芸術・文化の運動がいちじるしい停滞を見せているという事実、波の高まりに逆行しつつあるという事実、しかも、現実の激しい動きが、ふんわりしたいわゆる「戦後民主主義」的なものを克服してすすみつつあるときに、ふんわりしたいわゆる「戦後民主主義」型文化運動が停滞もしくは後退の道へのめりこみつつあるという事実は、偶然などといえることではないのである。この形態は、昭和8年から16年への芸術・文化の敗退の苦苦しい歴史的経験を思わせるにじゅうぶんである。敗退者が自己を弁護するためにさまざまな理由をならべたてればたてるほど、敗退そのものの犯罪性がいっそう拡大するだけである。

 地方における芸術・文化の運動を高めるために、芸術・文化の運動は、社会の前進と結合しなければならないし、そのような前進の新しい萌芽の発見者とならねばならない。現実は、激しく流動し変化している。芸術・文化は、この現実から逃げ惑うところにありえないと同時に、現実と無縁の商業主義との野合のなかにもありえないのである。

 1950年代は、一面、敗戦にひきつづく一定の思想の世界の混乱期であったということができるだろう。しかし、現実の新しい動きが、それらの混乱を整理し、新しい60年代への展望を与えている。

 われわれは、いま停滞の底にいるが、しかし、新しい運動がこのなかから発展するであろうことをじゅうぶんに期待できる。1960年は、そういう新しい展開の年となるだろう。