いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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原水禁全国実行委が総括会議 広島に基盤持つ最大平和勢力

 原水爆禁止全国実行委員会は2日、下関市内で全国会議を開き、今年の8・6を頂点とした原水禁運動の総括をおこなった。今年の8・6原水爆禁止広島集会は、広島、長崎で10年にわたって開かれてきた原爆と戦争展をはじめ、広島に学ぶ小中高生平和の旅、原爆展キャラバン隊による平和公園での街頭展示、劇団はぐるま座の『原爆展物語』公演、広島アピールの市内宣伝など被爆市民と一体となった重層的なとりくみを基盤にして、独立と平和の日本社会を建設する巨大な大衆世論を全国に発信するものとなった。会議では、その到達点を明らかにし、その活動路線上の教訓、今後の発展に向けて解決すべき課題について旺盛に論議された。
 はじめに事務局の川村なおみ氏から、今年の運動の到達点と教訓について提起された。
 提起では、「アメリカは核も基地も持って帰れ」を掲げた峠三吉の時期の活動を継承するこの運動が、「広島の被爆市民に盤石の基盤を持つ最大の平和勢力」として、日本の原水禁・平和運動の前面に登場していることを示したこと、それは、消滅、衰弱が際立つ「原水協」「原水禁」など既存団体と鮮やかな対比をなしていることを強調。
 「原爆と峠三吉の詩」原爆展を端緒として、広島ではじめて原水爆禁止運動を切り拓いた1950年8・6斗争の路線を継承し、再建させてきた十数年来の運動の信頼のうえに、原爆と戦争展では4000人を超える広島市民がポスター掲示などの宣伝に協力し、2000人が来場。学生たちが担った原爆展キャラバン、『原爆展物語』公演、平和の旅、全国交流会などのとりくみとともに、宣伝カーによってアメリカの原爆投下の目的と戦後の苦難の根源であるアメリカの植民地支配からの独立を訴えるアピールが全市内で歓迎を受け、それらを集約した8・6集会、デモ行進では、市民から「峠三吉さんのデモ隊だ」と注目を集め、広島市民との厚い支持基盤のなかで、「だれもが安心して参加できるこの運動こそ、全国に急速に広げることができることを確信させるものとなった」と報告された。
 「市民を一軒一軒訪ねて、その歴史的体験と思い、気分感情、その真実を歴史の発展の方向から整理して宣伝していく往復循環の粘り強い活動」を基礎とし、「大多数の人人の経験を通して、これまで欺瞞のベールで覆われてきた原爆投下とアメリカの占領から今日に繋がる戦後の日本社会の支配構造を明確にして」たたかうことでだれも押しとどめることのできない巨大な運動となって発展してきたことが確認された。
 また、その過程では「大多数の人人の利益に責任を負わず、被害者の立場から文句をいうだけの利己的な組合主義」や「敵と味方のしのぎを削る運動の接点から離れた別世界に身を置き、傍観する日和見主義」などの敗北的な潮流との斗争が不可欠であったことも強調された。

 米国の支配を覆す迫力 広島、長崎、沖縄等 

 次に、各地の活動家から今年の反響について報告された。
 広島からは、「被爆者たちは、“いつ戦争が起こってもおかしくない。どのようにくい止めるのか”という論議が活発にされるなかで、これまでにない迫力で来場者に語っていた。二度と被爆を繰り返させないことや、国民の声を聞かずアメリカに従属した政治を変えていこうと働きかけていた。被爆者の思いに応えて、のべ50人以上の学生が原爆と戦争展会場やキャラバン隊にも参加したが、その反響から全国、世界の人人から支持されていることに確信を深め、通年の展示活動に参加していきたいという学生がたくさんあらわれた」とのべ、戦争体験者を親に持つ世代や被爆者からも「自分の人生をかけたい」と新たに活動への参画が進んでいることが報告された。
 別のスタッフからは、「全広島を代表した運動として確信が深まっている。ある被爆者は、“広島市長が、平和教育を小中高生一貫してやるといいはじめたが、平和の旅ではすでに10年前からやってきたことだ”と誇らしく語っていた。政府はオスプレイ配備や原発再稼働などかつてなく強権的だが、それ以上の平和の力が全国で広がっていることへの確信が強く、みんなすごく前向きだ。その後の尖閣諸島の問題でも、“軒先のケンカどころか、すでに母屋が乗っとられてこのザマではないか”という意見が圧倒的に多いし、“平和ボケの政治家に任せていたら日中戦争の二の舞いだ”と怒りが広がっている」と報告。
 長崎からは、「集会に参加した被爆者たちは、“アメリカの支配が原爆投下から現在まで続いていることが最大の問題だ。それとの対決に向かって力をあわせないといけない”と高揚して語られ、長崎での8・9行動にも駆けつけた。また、その後の人民教育集会に体現された教育運動の発展を知るなかで、自分たちが体験を語ったことが学校教育のなかで形になり、子どもたちが成長していることが喜ばれている」と報告された。
 「日本そのものがアメリカの植民地だという認識が普遍的になるなかで、この状態をどうすれば変えていけるのかという問題意識が強い。そこで、大衆から学び、大衆を代表してやっていけば、なにも恐れず真実が語れるし、堂堂と展開できるこの運動の質に全国的な注目が集まっている。被爆者のなかでも私心なくやってきた路線の正しさが改めて確信になっている」と語られた。
 沖縄の活動家は、6月に那覇市、8月に沖縄市での原爆と戦争展に1200人が参加し、「戦争体験者から若い世代まで“全国と団結して、安保そのものを破棄しなければ”という意見が口口に語られた」と特徴を報告。
 沖縄本土復帰40年を迎えるなかで、米軍統治下の経験を紹介するパネルや、福田正義・本紙主幹の社説、オスプレイ問題のパネルを追加展示したところ、参観者から「台湾で挺身斬り込み隊として、6㌔の爆弾を背負って手に信管をもって戦車に体当たりする訓練をしていた。米軍は沖縄を占領し、また戦争になれば真っ先に攻撃対象だ。基地をなくした方が平和なのだ。県民が団結して、アメリカは基地を持って帰れといわなければいけない」(80代男性)、「これまで一人で悶悶としてきたが、抑止力の脅しに洗脳され、これに屈してはいけないと思う。アメリカはペリー以来、日本支配を狙っていた。そんなものをあてにしてはいけない。本土と沖縄が団結して自力で独立しないといけない」(62歳婦人)、など、ほとばしるように思いが語られたことを明かした。
 また、「原水禁署名活動が、職場、地域、老人会などで勢いよく進み、パートの婦人が支配人にも“オスプレイ配備反対”を呼びかけ、職場内で署名簿が回されたり、老人会では署名欄が足りなくて用紙の裏にも書かれている状況だった。そのような全県の行動意欲の高まりのなかで、全41市町村を網羅して今月9日に県民集会が開かれる。行政側は問題を“オスプレイの安全性”に切り縮めているが、県民世論は、基地を撤去、安保破棄が圧倒している。そこへの働きかけを重視して、全国との結びつきを強めていきたい」と抱負をのべた。
 岩国の活動家からは、8・6集会に向けて、市内各所で街頭演説をしながら、オスプレイ配備反対の基地通信を配布したところ、「市営住宅から市民が下りてきて演説に聞き入ったり、高校生が集団で拳をあげて“基地はいらない。がんばろう”と激励してくるなどの熱い反応がみられた。そのなかで連絡会議に新たに加盟された人や、“じっとしておれない”と参加される人もいた。全国的な政治斗争を足下から起こしていく立場にたって旺盛にやっていけば、急速に発展していく情勢だ」と語られた。

 文化や教育戦線も発展 新しい運動始まる 

 劇団はぐるま座団員からは、「8月4日の『原爆展物語』広島公演を観劇した市民へ8・6集会の呼びかけをしたところ、強い共感をもって年配者や自営業者たちがデモ行進に参加する意欲をもってペットボトルに水を入れて参加された。並行して、三次市公演の主力を担った被爆二世の会の人たちが原爆展に参加し、組織的には原水禁傘下にあるが“チケットが売れさえすればいい”という形骸化した運動路線と決別して、“一人一人に働きかけて組織するんだ”と熱を入れてとりくまれて大成功した。劇の内容に心から感動しているし、広島の会の被爆者と連携して地元で原爆展をおこない、これからも市内各所でやっていこうと語られている。組合主義と意識的に斗争して新しい運動を始めようとする機運が高まっている」と報告。
 福岡県の行橋市公演でも、尖閣諸島問題のなかで「このままでは戦争になる。このような劇は国をあげてやるべきものだ」と実行委員会が熱気を帯び、「公演を通じて平和運動の核を作ろう」と勢いよく語りあわれていることも明かされた。
 人民教育同盟の男性教師は、「“教育から世の中を立て直そう!”のスローガンでやられた教育集会の後、沸き立つような反響が返ってきている。管理職から現場の教師まで“この運動こそ、いじめ問題も解決するし、文科省路線を乗り越えるものだ”と確信をもって語られている。『鉄棒全員達成』のパンフを普及するなかでも、ただ鉄棒ができればいいという問題ではなく、“みんなが力をあわせる”など被爆者や勤労人民の思想で教育することの重要さが語られている。学校の枠内で汲汲とするのではなく、学校の外側にいる働く人人の担い手として子どもを育てていく立場に立ち、腐敗した社会ではなく、戦争を阻止して新しい社会を作っていくという未来の側に立つことだと思う。それを導いたのが、平和の会、平和の旅の実践であり、8・6の到達点だ」とのべ、平和の旅で被爆者から学んで行動する子どもたちの成長を親たちが心から喜び教育運動の源泉になっている確信が語られた。
 平和の旅を指導した退職教師からも「今年は低学年の子どもが多かったが、子どもに学んできてほしいという親の強い願いがあらわれていた。子どもたちの成長を促しているのは、凄惨な経験から戦争を押しとどめる思いを伝える被爆者だし、その願いを子どもたちが受け止め、それを教師が学校現場での実践に貫いたことで教育集会へと発展した。大衆を代表していけば、全国的に広がることは疑いないと確信している」と語られた。

 敗北潮流と斗争し前進 鮮明になる阻害物 

 全体の到達点が明らかにされるなかで、運動の発展はそれを押しとどめる日和見主義潮流とのぬきさしならない斗争のなかで勝ちとられたこと、一部に存在する大衆に責任を持たない無責任思想について解決を求める指摘があいついだ。それは、原爆展や集会会場の準備、集会の運営、デモ行進の指揮など具体的な実務面にあらわれ、全体の奮斗によって克服されたがその潮流の性質について鮮明にする必要性が強調された。
 教師たちからは、「子どもたちは独自のビラを作って、いきいきと平和の旅をとりくんだ。デモ行進は広島市民から大注目され、その一体感を感じて子どもたちは“パレードだった”と表現していた。その感動が教育集会につながり、バラバラの学校の子どもたちが一つの学級のようにまとまって大成功させた」「被爆者や市民の切実な思いと子どもたちの力に学び、そこに奉仕するという精神が問われたと思う。その精神で運動全体に責任を持つ必要がある」と実感をこめて語られた。
 また、教育運動の発展とかかわって、「子どもを勤労人民の資質で教育するためには、教師みずから勤労人民や被爆者に心を寄せなければならない。自分の願望を優先し、文句ばかりいって子どもの成長について責任を持たないという思想は、勤労人民とは相容れない。その“子ども不在”の被害者同盟とたたかって、子どもや教育に責任をもつ建設同盟にしていくことが決定的だった」「やられたことは体育実践だけではなく、徳育実践だ。差別、選別、ランク付けで他人を蹴落としてのし上がっていくという利己主義とたたかい、みんなが力を合わせる働く人民の思想での教育だ。それが親たちも含めて労働者としての誇りを発揚している。その労働者感覚が理解できずに口先で“労働運動だ”といったところで、だれからも相手にされない観念的な自己主張でしかない」と論議された。
 沖縄からは、大衆の怒りの矛先がアメリカの植民地支配の根幹である基地撤去、「安保」破棄に向かっている実感とともに、「1995年の少女暴行事件の際、爆発的に盛り上がった基地撤去の県民世論は、社民党・大田知事の“沖縄の痛みを分かち合え”のキャンペーンで県外移設へとそらされ、自分たちもそれへの依存面が支配的だった。だが、原爆展キャラバンのなかで沖縄戦の真実が明らかにされ、大衆の経験と結びついた原爆展運動、『原爆展物語』の全県公演によって50年代の原水禁運動の骨格をもった基地斗争の本流が蘇り、日本の独立の問題として基地斗争がたたかわれている。50年8・6路線の骨格をとりもどし、大衆の経験と怒りと堅く結びついてたたかうことで、社民路線の抑圧を突き破って発展するすう勢にきている」と語られた。
 「この10数年来、原水禁運動を切り拓いた50年8・6斗争路線の具体化として原爆展運動や広島行動を継続してきたが、全広島、長崎を基盤にした運動となり、広島、長崎、下関の各組織も強固になってきた。原水禁運動を基軸にして、沖縄の基地斗争も様相が変わった。また、はぐるま座、教育同盟など各戦線の路線転換が勢いよく進み、全国を席巻する質の運動になっている。この発展を大衆が大歓迎しているのに、それが喜べないという感情世界に根本的な違いがある。自分の心配ばかりして大衆に奉仕させるのか、大衆に心を寄せて奉仕する立場に立つかという大きな違いだ」と指摘された。
 「沖縄の社民・大田路線と連動して、はぐるま座では『南の島から』の路線、教育運動でも組合主義で運動を停滞させてきたが、これらを撃退して勝利してきた。自分たちの利益のために社会全体の利益を売り飛ばすのが社民潮流であり、民主党になって自民党以上に反動化してあらわれている。各戦線でこれとの依存面を一掃し、大衆の役にたつ活動へ転換することが要だ」と語られ、歴史的な総括を進める必要性とともに、今年の到達点にたち、全国的な平和運動の大結集に向けて各地で奮斗することを確認して散会した。
 

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