いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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コロナ乗り越えた先に目指すべき社会の在り方を展望 ―年頭にあたってのご挨拶―

 2021年の新年を迎えて、読者・支持者の皆様に謹んでご挨拶申し上げます。

 

 コロナ禍――。それは昨年突然やってきて、「社会」という人間が集まって生活を営む集団に多大なる脅威を与え始めました。

 

 疫病は他の動植物やウイルスと接触しながら社会を営んできた人類の歴史において、避け難い病として何度も流行し、その度に幾多の犠牲を払いながら集団免疫の獲得や封じ込めによって乗り切ってきました。しかし、今回の新型コロナウイルス(COVID-19)によるパンデミックは、発生からおよそ1年経った今もなお収束する気配はなく、世界的規模での葛藤が続いています。

 

 グローバル化によって人、モノの往来や、世界各地とのつながりが濃密になった現代社会において、何を起源にしてどこから発生したのかも分からないウイルスが瞬く間に国境をこえて世界中を席巻し、この年末までにおよそ8200万人の感染者、180万人の死者を出すに至っています。

 

 現代を生きる私たちはこの疫病禍をどのようにしのぎ、乗りこえていくのか――。そして、コロナ後の世界はそこから何を教訓として汲みとり、あるいは問題点を炙りだし、これからの社会の在り方を変えていくのか――。このことが切実に問われています。

 

◇      ◇

 

 ウイルスそのものは今もって疫学的な解明は途上であり、海外の大手製薬メーカーの開発競争によって生み出された遺伝子操作ワクチンを一本打っておけば安心という代物でもないのが現実です。

 

 医者や科学者たちの観察や研究によっておぼろげながら見えてきたことは、感染しても多くの場合は症状すら出ず、症状が出る場合も大半の人は咳や発熱などの軽症で終わるが、感染力だけは非常に強く、また地域によってはより強力なものに変異を遂げながら爆発的に広がっており、特に高齢者や糖尿病などの基礎疾患を持つ人々にこのウイルスが襲いかかった場合、肺炎が急速に悪化して人工呼吸が必要になることや、軽症といってもなかには急激に容態が悪化して死に至る人もいること、後遺症に苦しめられる人も多いことなどが明らかになってきました。

 

 軽症や中等症の患者には既存の抗インフルエンザ薬であるアビガンが有効であるとか、あるいはいくつかの医薬品について各国で試験投与がなされ、手探りのなかで治験もおこなわれてきましたが、それでも重症化すれば治療は困難を極め、なお死者は増大の一途を辿っています。症状が悪化するとたちまち集中治療室(ICU)での治療や人工呼吸器が必要となり、それに対して病床や看護を担うスタッフが不足、逼迫して、とくに新自由主義政策に侵されてきた国々では、医療崩壊という最悪の事態も招いてきました。それは医療・福祉という人々が健康に暮らしていくための最後の砦を切り捨ててきたことへのしっぺ返しであり、結果としてそうした緊縮政策が社会を脆弱なものにし、脅かしている関係を暴露しました。

 

◇      ◇

       
 80年代に新自由主義政策の先鞭をつけたイギリスのサッチャーは「社会などというものはない」といってのけました。それは戦後のイギリスにおける福祉国家体制を解体していくにあたって、また鉄道や水道、電話、航空、石炭といった社会インフラを担ってきた国営企業を民営化して市場原理にゆだね、照応して労働法制の規制緩和、社会保障制度の縮小を進めるにあたって、徹底的な個人の自己責任を強調する新自由主義の哲学を象徴する言葉でした。露骨に翻訳すると、「社会にすがりつくのではなく、自己責任で生きていけ!」というものです。

 

 第二次大戦後の資本主義の相対的安定期が行き詰まりを迎えるなかで、80年代以後にレーガン、サッチャー、中曽根らが実行し、今日に至るも引き継がれてきた新自由主義――。それは人、モノ、カネの国境に縛られぬ往来や、多国籍金融資本による各国の規制にとらわれない金融活動を推進し、グローバリゼーションの要となってきました。各国で、公営だったものが民営へと切り替わり、公共性のともなう社会的機能がみなビジネスの具にされ、巨大な資本が暴利を貪る市場へと開放されてきました。水や食料(種子等)など、人々の生命に関わる分野も例外ではありませんでした。

 

 さらに、そうしたビジネスを展開しやすくするために、8時間労働の実現をはじめ、資本主義の登場以来、労働者が長年の闘いによって勝ち得てきた諸々の権利も規制緩和が進みました。米ソ二極構造が崩壊し、社会主義陣営も変異・変質して「資本主義の勝利」が叫ばれるなかで、対抗する政治勢力や労働者の拠るべき組織が弱体化したり崩壊していくこととセットで、巨大資本による遠慮を知らぬ社会の私物化が始まりました。

 

 日本国内を見てもいまや派遣労働という現代の奴隷制が横行し、そのもとで少子高齢化を迎えて労働力人口が縮小すると、今度はより安価な外国人労働者を引っ張ってくる始末です。社会全体の未来や展望、人間そのものの再生産、国家としての計画的な運営などお構いなしに、みな株主や資本の都合に社会を従え、その最上段に金融資本が君臨して主人公を気取っています。その結果、必然的に貧富の格差は増大してきました。

 

◇      ◇

 

 今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、こうした新自由主義のもとでは人々は生きていけないことを鮮明に映し出しました。経済活動が窒息し、世界中が混乱を極めて人、モノ、カネの往来が停滞することによって、各国では恐慌突入ともいえる局面があらわれました。失業や倒産、廃業の危機が連鎖するなかでしわ寄せは末端に押しつけられ、暮らしがままならないなかで自殺者の増大も深刻なものとなっています。すべての対応を自己責任にゆだねたからです。例えコロナに感染しなくとも、自粛によって誰しもが何らかの影響を被り、社会の構成員一人一人の困窮が回り回って社会全体に波及していく様を、この一年わたしたちは目の当たりにしてきました。

 

 そこで問われているのは、それこそ「社会」とは誰のために存在し、国家は誰のために機能しなければならないのかです。主人公をはき違えた社会運営を是正しないことには、世の中の圧倒的多数を占める人々の暮らしが成り立たないことは歴然としています。コロナ禍において自己責任にゆだねて人間の暮らしを脅かせば、最終的には社会の存立基盤そのものが揺らぐのも現実なのです。

 

 「社会」とは、人間が集まって生活を営む集団であり、その構成員たちが相互に連関しあいながら、それぞれの役割や専門的要職を果たすことで誰かを支え、また支えられて成り立っていることをコロナ禍は教えました。医師や看護師がいなければ医療をまともに受けられず、学校が機能しなければ子どもたちは学ぶこともできません。物流を担う運送・輸送労働者がいなければ食料や物資は社会の隅々に行き渡らず、コロナだからといって電気、ガス、水道といったライフラインが滞れば暮らしは成り立ちません。農業、漁業といっても生産者がいなければ人々は食事にもありつけません。街の飲食店がなければ食文化もつなぐことができず、居酒屋がなければほんの少しの憂さ晴らしや付き合い、親睦を深めることも叶いません。スーパーがなければ食料の買い出しもできません。まだまだあります。そのように、みんなの仕事がみんなのために機能し、社会生活が成り立っているのです。

 

 自粛という我慢に耐えるなかで、日頃から社会を縁の下で支えているエッセンシャルワーカーに光が当たりましたが、こうした一人一人の労働こそが、人間が集まって生活を営む集団、すなわち社会を支えていること、その力なしにはいかなる人間の集まりも存続しえないことを教えました。それぞれに存在価値があり、社会的有用性に応えることで一つのパーツとして機能していること、人と人とのつながりによって世の中は動き、協同の力が支えていることについて、改めて考えさせられるものがあります。社会の主人公は人間そのものであり、その人間の暮らしが疫病によって脅かされているならば、国家が当たり前の営みとしてしっかり補償や手当をすることが、回り回って社会を守ることにつながるはずです。

 

◇      ◇

 

 実社会は恐慌さながらでありながら、株価は異様なる高騰を続け、相変わらず金融界だけは雲の上でバブルに踊っています。リーマン・ショックを上回る景気後退に直面するや、各国の中央銀行が当時よりもさらに異次元の金融緩和を実施し、市場にマネーを注ぎ続けたからに他なりません。こうして実体経済との乖離は極限まで進み、金融資本主義のプレイヤーたちは国家や社会に思いっきり寄生しています。国家からドーピング注射を受けたマネーを独り占めして、握りしめて離さないのです。そのカネを社会全体の利益のために吐き出させるというのは、特に乱暴な話ではないはずです。

 

 新自由主義を代表する哲学を単純化すると「今だけ、カネだけ、自分だけ」という言葉に尽きますが、そうではなく、社会にとっての必要性、人々が暮らしていくために必要なことが第一に優先される社会にすること、国家がそのために機能するという当たり前の営みをとり戻すことが、コロナ後の社会の在り方に違いありません。

 

 2021年 元旦             

 長周新聞社   

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